KAC2023参加作品まとめ

『ワンダー・ストア』

 一体なぜ、だし巻き卵はこんなにも旨いのだろう。


 僕はコンビニで買った弁当——というか、だし巻き卵にしゃぶりついていた。

 ソヨソヨと吹いてくる春風が気持ちいい。見渡す限りの広大な畑の緑も小さく揺れていた。

 ――正直、年寄りは苦手なんだけどな……。

 ここに来て、今のところ何冊か売れている。老人ホームはやはり暇している人が多いからなのか、売り上げがいい。

 時々近くに住んでいる子供が絵本を買いに来たりもする。

 ――来るならもっと子供に来て欲しいんだけどなぁ。売り上げのためならしゃあないか……。


「あぁ、終わった」

 昼食を食べ終えた僕は車を降り、外に設置している本棚を整理し始めた。この海のような深い青のラインが入ったバンが太陽に輝いているのを見ると、春の訪れを感じる。


 この移動書店、「BOOK MARK」は本屋や図書館などが身近に無い十四の市町村をそれぞれ一カ月に一回巡っている。一日だけそこに滞在し、本を販売するのだが市役所などの宣伝もあって意外とよく売れるのだ。

 これのおかげで、小さい子の親などと友情関係が育まれることもある。間違っても、恋愛関係は出来ない。この年になるまで恋愛経験がないのだから。

 三十歳になってから会社を辞めて始めた理由は単純で、ただただ本に囲まれ、自分がいいと思う本を他人に読んでもらいたかったからだ。




「おぉ、この棚いいねぇ」

 だし巻き卵を消化中、うたた寝していると少し枯れているが太いしっかりした声が頭上で聞こえた。

「ほえぇ……」

 目をこすり、目を開けると窓の向こうに紫色のコートを着た、白髪交じりのロングヘア―の老人がいた。

「あ、いらっしゃいませ」

 急いでバッと立ち上がり、緑色の丸眼鏡を手に取る。この店では冬は白いセーターに青のGパン、そして緑色の丸眼鏡が正装だ。

「ちょっとね、ここ来たの初めてなんだよ。つい先日極楽園に入って。いいとこだろう?」

 言いながら、六十後半と見えるおじいさんはタバコに火をつけた。

「え、はい、とてもいいところですね」

「だろう?」

 おじいさんは満足そうにガハハと大きな口をあけて笑った。

「さて、ちょっと本を貰うか……わしはSFが好きなんだが、オススメはないかい?」

「SFですか!」

 なんと。この老人がSF。意外にも見えるが、この世代はSF漫画の世代だからなのかもしれない。

「SFは良いですよね! あるかもしれない一つの未来を巧みに想像して語っている。すごい引き込まれますよね。迫力もあるし、一言でSFって言っても広いですからねっ。十人十色で本当に面白い!」

 気付けば、窓から身を乗り出してSF談義をしていた。

「オススメはですね、何といっても僕の中では『ワンダー・ストア』です。ここに二冊あります。未来の書店が舞台の作品なんですけど、すごい面白かったです」

「そうなのか? それならそれを」

「お値段は千二百円です。……はい、確かにお受け取りいたしました」

「うん、ありがとう。また来月も来る。良い店だ。わしは長谷部はせべというんだ。覚えておいてくれ」

「僕は店主兼書店員の大森雄星おおもりゆうせいと言います」

 またガハハと大笑いしながら長谷部さんは大股で去って行った。


 売上がまた増えた。

 取りあえず、僕はワンダー・ストアを棚に入れることにした。

 ――ん?

 カバーを手に取ると、何やら手に違和感を覚えた。

 裏表紙を見てみると、そこには何かが貼りついている。


「何だこれ?」


 確かに、赤い円に金色の時計のマークが付いたピンバッチがそこにはあった。

 ――これ、なんだ? 全然見覚えないんだけど……。

 取りあえず、僕はペリッとピンバッチを剥がした。

 と、それがカバーから離れた瞬間だった。

 ――え。待ってナニコレ……。

 ぐにゃりと視界が曲がった。外に見える緑色の畑がグルグルと渦巻いている。何なんだ、これは何かの夢か?

 緑と茶色の渦巻きの中、僕はグッと吐き気を堪えようとしたが、それも続かなかった。せっかくのだし巻き卵が戻された――その瞬間、僕の視界に黒い幕が下りた。



 ◆◇◆



 ザワザワザワザワ

 耳に雑音が入ってくる。

「これ、誰?」

「倒れてるんだけど」

「救急は?」

 雑踏の音。そして、見ず知らずの人間の声。

「うぅ……」

 頭を上げようとすると、ズガンと稲妻が走る。

 何とか目を開けると、そこは見知らぬ所だった。

 ほとんどが灰色で構成されている街の道のど真ん中。なんか変なピッチピチに密着した白や水色の服を着た人間が歩き回っている。

 ――え?

 そして、空には大きなドローンのような乗り物が飛び回っている。

「どこだ、ここ……」

 少しずつ記憶も回復してきた。確か、僕は良く分からないピンバッチのせいで変な渦巻きに巻き込まれて、それで……。

 白いセーターについた埃を払いながらなんとか僕は立ち上がる。

「は? どういうこと……?」

 Y字型の道の分かれ道があるところに巨大な、やはり灰色の建物が立っていた。


「ワンダー・ストア」


 看板にはゴシックでそう書かれていた。




 確かに、中には本が一冊もない。ただ、壁には本らしいタイトルとQRコードがほとんど間もなくずらずらと並んでいる。

 周りにいる人は、スマートフォンを構え、コードを読み取ってすぐに店を出て行く。

「あの本と一緒だ……」

 確か、本の「ワンダー・ストア」は二千六十年の物語で、スマートフォンやQRコードは進歩しつつも、まだ存在していたはずだ。

 実際に、未来はこのようなものになるのだろうか。それなら、僕はタイムスリップした? ということになるのか?

 あの衝撃的な看板を目にしてから頭が真っ白になって、何度も自問自答を繰り返していたけど、ようやく現実を少しだけ飲み込めて来ていた。

 あの本では、もう紙の本なんてものは存在しない。本屋にはQRコードが並び、これを読み込んで電子書籍を読む。

 そういうやつ。

「紙の本だから良いんだけどな……」

 小説では、主人公が紙の本を発見し、過去を振り返ろうと呼びかけ、紙の本を楽しむ人が少しだけ増えていた。

 この世界ではそんなことはないのだろうか、やっぱり。


 ――それでもさ。


 紙の本ってやっぱりいいと思う。

 本を商品としてワクワクしながら購入し、ワクワクしながらページをめくる。持っているだけで幸福感を味わえ、コレクションとして保有できる。

 急速に発展する電子書籍に僕は危機感を覚えていた。

 電子書籍には“物を持っている”という感覚が無い。これが本当に残念でたまらないのだ。

「あんた、何やってるの、ここで棒立ちして」

 誰かが声を掛けてきた。顔を上げると、声の主はちょび髭の優しそうなおじさん。

 ――小沼こぬま店長だ。

 小説でも出てくる。そのまんまだ。

「あれ、これは何だい?」

 と、店長はふと僕の胸元を指さした。

「へ?」

 連なってそこを触ってみる。


 ――あ、ピンバッチだ。


 こんなところについていたのか、このバッチは。誰がなぜ置いたのか。というか、それならこれを買った長谷部さんに目が行くが。

 バッチを触っていると、地面にコトンと音がした。

「え?」

「何だい、これは!」

 店長はバッと地面に落ちた“それ”を拾い上げた。

「え……? 何で、これが……?」

 どこから飛んできたのか、ここに来た時には失っていた「ワンダー・ストア」がQRコード世代の人間の手に収まっている。

「これは、もしかして“ブック”かい?」

「え。そうですけど……」

「タイトルはワンダー・ストアじゃないか! うちの店名だ! なんかすごいぞ! ちょっと見せてくれ」

 この世代はこんなものに触れたことが無いからなのか、多少苦戦してやっと店長は一ページ目を開けた。

「おお! これはこの書店の物語じゃないか! すごいぞ!」

 興奮した店長はこの本をパラパラパラパラっとめくった。

「良く分からんが、あんた! 良くやってくれた! 私たちはこの“ブック”のことを忘れていた。だがしかし! 私は気づいたかもしれない。あんたに気づかされたよ。ありがとう」

「え? え? 何が? え?」

「あんたがこれを作ってくれたおかげだ」

 店長はブンブンと僕の手を握り、大げさな握手を交わした。

「良かったらこれはくれないか。この書店に並べたい。……いや、書店じゃないな。ブック……だから、本屋だ! 本屋としてこの“ホン”を並べさせてくれ!」

「え、良いですけど……」

 と、その時だった。店長の顔を白黒のコードが並んだ壁がぐにゃっと歪んだ。

「えぇぇぇ……?」

 白と黒と灰色のモノトーンが渦巻きを起こし始めた。目の前に店長はもういない。

 ズガンと脳に衝撃が走り、その瞬間、僕の記憶は途切れてしまった。



 ◆◇◆



 体中に春の穏やかな温かい風が当たる。

「あれ……」

 目の前には、見渡す限りの広大な畑。窓枠にもたれて寝ていたらしい。

 窓から辺りを見回すと、どう考えても不自然なほどポツンと、老人ホームが建っていた。

「そうだ、ワンダー・ストアは……やっぱ、夢か」

 頭はあまり痛くはない。

「やけにリアルな夢だったな。面白い」

 運転席に青い表紙の本が置いてある。

 まさか、と思って本を手に取ってみた。

 裏側に赤いバッチはついていない。


「大丈夫、やっぱり妙にリアルな夢だったんだ」


 と、何かが本に挟まっていることに僕は気づいた。

「え?」

 開けてみると、そこには――赤くて丸い、金色の時計のマークがあるピンバッチ……。

「ウソ、夢じゃないの? 待って、嘘だ、たまたまこれを見て夢を見たんだ……」

 だが、さらにそのページ――初めて見たあとがきにはこう書いてあった。


『作者は本の移動販売をしていた時に不思議な夢を見てしまいました。その夢ではタイムスリップして、変な本屋を営んでいる僕の子孫、小沼に出会ったんです。多分それは夢だったと思うんですけど、将来まで紙の本があったらいいなぁと思って作家デビューして二作目に、この本を書こうと決めたんです』

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