進化 (前編)
火の精霊が、辺りをゆっくりと飛びながら見守っている。
深い緋色の中で、竜人ハドシュは
「“ツケ”だと?」
ハルミアンの使い魔の鳥は、ツンと黒い嘴を上げる。
「そうだよ。ザクバラ国の“
ハドシュがギチと牙を鳴らす。
「何故それがツケになる」
鳥は腹立たし気に、バサと大きく翼を広げた。
「軽い気持ちでザクバラ国に撒いた
鳥は咳払いするかのように嘴を鳴らして、翼を畳む。
「神が世界に直接手を出す為には、聖人聖女に降ろして貰わなきゃならない。大規模な浄化を行うために、月光神は水の精霊に降ろさせた。……彼女は、竜人族の尻拭いに使われたんだ」
ハドシュは牙を剥いていたが、反論しなかった。
「ちゃんと彼女に、ツケを払ってよ」
臙脂色の鳥は、ハルミアンの声で静かに言った。
溜め息のように息を吐いて、ハドシュはゆっくりと牙を仕舞う。
「……何をすれば良い?」
落成式前日、日の入りの鐘が鳴った。
明日の落成式に参列する為に、今夜は多くの聖職者が西部に集まっている。
聖堂から少し離れた場所に建つ住居棟には、高位聖職者が宿泊するとあって、ネイクーン王国の騎士も混じえて、聖騎士が警備に就いていた。
イサイ村より東の、西部で一番大きな街に加え、聖堂に一番近い町であるアスクルにも聖職者が宿泊する。
聖堂建築に伴って、アスクルの町は復興が進み、復興前よりも随分規模が大きくなった。
今後、聖堂に聖職者の巡教や観光客が訪れることを踏まえ、更に土地を広げて手を入れていく予定のようだ。
きっと、この一帯の中心地として栄えていくことになるだろう。
「カウティス様、どうぞ」
聖職者の住居棟の外で警備に当たっていたカウティスに、差し入れで温かい飲み物を持って来たのはラードだ。
続けて、少し離れた所に立つ騎士にも渡しに行く。
カウティスが受け取った飲み物を飲み干した時、住居棟の方から、カッツを連れてアナリナが近付いて来た。
「今夜もキレイな月ね」
アナリナが空を見上げて言うと、戻って来たラードが空のカップを回収し、立礼して下がる。
その後ろ姿を見て、アナリナは呆れたように口を開けた。
「あの人、また下男になったの?」
カウティスとカッツは軽く吹いた。
ラードは、どういう手を使ってか、度々役職を変えながら、五年半ずっとカウティスの側にいた。
オルセールス神聖王国にいた時は、事務方で雑用係をしていたり、街の傭兵ギルドに出入りしたりもしていた。
今はまた神殿の下男のチュニックを着ているが、時々どこからか西部の復興状況などの情報を得ては、その都度カウティスに報告している。
初期から関わってきた西部の復興状況を、カウティスがずっと気にかけているのを分かっているのだ。
一年と少し前に、イスタークの
「ねえ、カウティス。私、
アナリナが、再び空を見上げて言った。
「ここに?」
「そう。月光神の聖女なら、この聖堂にぴったりでしょ? 去年、新しく聖女が見つかったから、巡教はそっちに任せて暫く落ち着きたいなって思って」
昨年末頃、現世界に二人目の聖女が確認された。
「それでね、カウティス、私の専属にならない?」
アナリナが、黒曜の瞳でカウティスを見上げて言った。
「そうすれば、ネイクーンにもいられるし、……いつか戻って来るセルフィーネも、きっとあなたを見つけやすいと思うわ」
確かに、アナリナの専属となって聖堂に残れるなら、今後のネイクーンを見守っていける。
カウティスは、暫く黙っていたが、軽く首を振った。
「私は猊下に付いて、本国へ戻る。猊下には返しきれない大恩があるのだ」
あの時、セルフィーネを救いにザクバラ国へ向かうことができたのは、イスタークのお陰だ。
その後の騒動に視察団が巻き込まれたのは、カウティスのせいでもある。
アナリナが軽く眉を下げた時、イスタークの間延びした声が聞こえた。
「勝手に引き抜きしないで欲しいですね」
振り向けば、聖堂からダブソンを連れてイスタークが歩いて来ていた。
住居棟へ帰る途中のようだ。
「アナリナが心配しなくても、カウティスはネイクーンへ置いていきますよ」
イスタークの言葉を聞いて、カウティスだけでなく、アナリナとダブソンも驚いた顔をした。
「……そうなのですか?」
落成式が終わり次第、イスタークはオルセールス神聖王国に帰国する予定だ。
カウティスはてっきり付いて行くものだと思っていたが、専属任命されているわけではないのだから、別の任地を指示されれば、受け入れなければならない。
イスタークは、不意に軽く首を傾げた。
「実はね、少し前にエルノート陛下から、この辺り一帯を“アスクル領”として、領主を置いて治めさせたいと相談を受けたんだよ」
現在、西部国境地帯は殆どが国の直轄地だ。
王城から官吏が出向いて繋いでいるが、今以上に人が増えれば、多くの問題も出てくるだろう。
「それで、カウティスを推薦しておいたよ」
「…………は?」
当たり前のように言われた言葉に、カウティスは思わず、ポカンと口を開けた。
少し間が空いて、口を閉じ、目を
「猊下、ご冗談を。私は、聖職者として……」
「うん。だが、君はいつでも世俗に戻れる立場だ」
カウティスは神聖力を失くしている。
一度得た神聖力を失くせば、一般人に戻れるのは周知の事実だ。
「ネイクーンの国政と西部の事をよく知り、地元の人々と繋がりがあり、聖職者と聖堂の事に詳しい人間。……君以上の適任者がいるかね?」
冗談でないことは、イスタークの表情で分かった。
カッツも事前に知っていたのだろう。
カウティスの反応を真剣に見つめている。
「落成式が終わったら、一度私と本国へ戻って除籍しなさい。それから……」
「お待ち下さい、猊下! 私は……」
戸惑いを見せるカウティスの肩を、イスタークは軽く叩く。
「一晩よく考えなさい。でもね、カウティス。君が生を全うするべき場所は、きっと、
イスタークとダブソンが住居棟の側まで歩いて戻ると、ハルミアンが壁際に座り込んでいた。
彼はイスタークを見上げ、にんまりと笑う。
「カウティスのこと、結構気に入ってたクセに」
「盗み聞きとは、行儀が悪いエルフだな」
不機嫌そうに鼻を鳴らすイスタークは、きっと本当は、カウティスを手放したくなかったのだろう。
「……君は本当に、優しいんだから」
伸びた金髪の先を揺らして嬉しそうに笑うハルミアンを、イスタークは嫌そうに
「エルノート陛下には、借りがある。それだけだがね」
以前、イスタークからの要望を受けて、混沌としたザクバラ国から流出した民を、王は最大限受け入れて救護してくれた。
その大きな借りは、返せる時に返さなければならない。
「明日、珍客が来るかもしれないよ」
背後からの言葉に、イスタークが肩越しに振り返る。
「会えたのか?」
「まあね」
ハルミアンが得意気に笑う。
ハルミアンは数年前に先王から、フォグマ山中腹に水の精霊の
それで、使い魔を使って何年も探し続けていた。
しかし、見つけたセルフィーネの
ハルミアンは、何度も何度も再生を繰り返すセルフィーネを見守りながら、姿を表さないハドシュを、根気強く待ち続けていたのだった。
ハルミアンは深緑の瞳をキラキラと輝かせる。
「役者は揃った。後は、二人の絆を信じるだけだよ」
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