全てを懸けて (3)

王の身体から、強制的に魔力が吸い出される。

リィドウォルとザクバラ国王の周りに、眩い光が走った。


魔術符を王の胸に貼り付ける為に、リィドウォルは稲妻を避けなかった。

頭部から焼けただれた姿で、杖で彼を打とうとする王の腕を掴む。

「リィドウォルゥゥッ」

暴れる王を、彼は渾身の力で押さえ付けた。



魔力集結の魔術符は、以前マルクが、セルフィーネの為に作った物だ。

術者の魔力を吸い出し、増幅して魔力の場を作り上げる。

内包魔力の大きな者程、引き出される魔力が大きくなる。

国王の身体に魔力を供給し続ける魔石から、膨大な魔力が一度に吸い出されていく。

 

魔力と共に、悲鳴に似た絶叫が王の喉の奥から響く。

充血した眼球が飛び出さんばかりに目を見開いて、王がリィドウォルの爛れた顔を凝視した。

「……お約束通り、最期まで、お側におります」

リィドウォルの右目が、一瞬で深紅に染まった。

「リィド……ッ」



王の手から黒光りする杖が落ちて倒れた。



何処か小さくなったように見える王が、土塊つちくれの上にガクンと膝をついた。

共に膝をついて支えたリィドウォルの前で、王の首がカクリと傾き、灰墨色の髪が流れる。

緩んだ口端から、うー、と小さな呻きと共に涎が一筋垂れた。

胡乱うろんな瞳は、もう何も映さなかった。


「叔父上……」

リィドウォルは魔眼をキツく閉じた。





魔力が祭壇の間を埋め尽くすように、怒涛の渦を巻く。

魔石から強制的に吸い出され、祭壇の間は強力な魔力の場となっていた。

その圧は、誰もが呼吸するのに苦労する程だった。



「とにかく! ここを出ましょう!」

ラードが大声で言って、カウティスが立ち上がるのを手助けしようと腕を取った。

しかし、カウティスの身体は、床に縫い付いているように動かない。

カウティス自身も立ち上がろうと足に力を込めるが、少し動けても立ち上がることが出来なかった。

セルフィーネが動かないのだ。

さっきまで、あれ程軽々と運べたセルフィーネが、引き上げようとしても持ち上がらない。


「……行けない」

小さく、しかしきっぱりと腕の中のセルフィーネが言った。

「セルフィ……」

顔を上げたセルフィーネの瞳を間近に見て、カウティスは言葉を失った。



セルフィーネの瞳は、宝石のような紫色から、青銀色に変わり始めていた。



辺りを渦巻いていた魔力が、セルフィーネの身体に向かって流れ込み、細い絹糸の髪が舞う。

「私はザクバラ国の“のろい”を浄化する。今なら月光神様の御力をお借り出来る」

カウティスが大きく息を呑む。

「無茶を言うな! そんなことをすればそなたは」

「姿は消えても、この心は失くならない」

セルフィーネの長いまつ毛が揺れる。

「…………必ず、いつか必ずカウティスの下に、戻るから」


ギリと音が聞こえる程強く歯を食いしばり、カウティスは渾身の力で右手を引く。

二人の聖紋を離すのだ。

咄嗟とっさにラードもカウティスの手首を持って引いたが、掌の聖紋は僅かも離れず、セルフィーネは静かに床に膝をついたままだった。

「駄目だっ! やっと会えたのに!」

カウティスは堪らずセルフィーネの身体を掻き抱く。

「……いつか、また会える」


カウティスは震えた。

フォグマ山が噴火し、セルフィーネが眠りにつく前。

カウティスとの別れの時にも、彼女はそう言った。

セルフィーネを待ち続けた、あの長い長い十数年。

一人きりの辛く苦しかった日々が甦り、カウティスは吠える。

「簡単に言うな!」

「簡単なんかじゃない!」

淡々と言葉を発していたセルフィーネが、初めて声を荒らげた。


青銀の混じる紫水晶が揺れる。

「……簡単になんて言えない……カウティスと、もう……もう、離れたくない」

「それならっ!」

セルフィーネは首を振り、白く細い指をカウティスの胸に置く。

そしてそっとカウティスの身体を押して、青空色の瞳を覗き込んだ。

「それでも……私はそなたののろいを浄化する。その身の奥に残った黒いものを消し去りたい。二度と、あんな風に苦しまないで良いように」


泥の塊のようになりながら、僅かに保った意識で、カウティスが詛に飲み込まれるのを見た。

あの苦しみ、痛み。

あんなものを、カウティスの中に残してはおけない。

ザクバラ国の誰からも、全て消し去ってしまわなければならない。


そして、その機会は今しかないのだと、空から眩しい程に降り注ぐ青銀の光が教える。

ザクバラ国が壊れる寸前の、今、この時。

その為にお前はここにいるのだと、月光神の声が聞こえるようだった。



「…………嫌だ、行かないでくれ。側にいると、言っただろう……」

カウティスの顔が苦し気に歪んだ。

震える左手がセルフィーネの頬を包む。

「側にいる。いつも。見えなくても」

セルフィーネの瞳が、硬質な青銀の輝きを増し、紫色が消えていく。



「……だから、お願いだ。『待っている』と言って。お願い、カウティス……」



渦巻く魔力を取り込んで、セルフィーネの身体は白い光を急激に増幅していく。

その眩しさに、すぐ目の前のセルフィーネの姿が眩みそうだった。


どれだけあらがおうとも、もう時間はないのだと、カウティスには分かった。


「お願い……」

セルフィーネの瞳が涙で潤む。

カウティスは、胸に添ったセルフィーネの指が震えていることに気付いた。

セルフィーネもまた、心の内で離別を悲しみ、恐れているのだ。



セルフィーネを守るのだと、誓っただろう!


苦しさに張り裂けそうな胸を、セルフィーネの両手ごと押さえて、カウティスは心の内で己を叱咤しったした。

必死に堪えて、ようやく僅かに笑顔を作る。

「…………約束したろう。年寄りになったとしても、そなたをずっと待っている」

安堵したように、セルフィーネが小さく息を吐いた。


「ずっと、必ず待っている。必ずだ。……愛している、セルフィーネ」


カウティスは、微かに震えているセルフィーネの薄紅色の唇に口付けした。

溜まっていた涙が零れて、セルフィーネの瞳から紫色が消えた。




祭壇の間の空気が変わった。




残っていた粉塵と焼け焦げた匂いが消え、恐ろしく澄んだ空気を感じ、この場にいる全ての者に強大な魔力の圧が掛かった。

瞬きすることも、指先を動かすことも出来ず、誰もが息を詰める。


夜空に冴え冴えと輝く月の、青銀の光が一層輝きを増した。

それと共に、青銀に彩られた巨大な女性の人形ひとがたが、夜空に浮かび上がる。


顔も分からない青銀の人形ひとがたが、その両腕をゆっくりと広げると、空に青銀の波が生まれた。

青銀の波は、オルセールス神殿の上空を起点に、水の精霊の魔力が揺蕩たゆたう空を波状に広がっていく。

狂った精霊を浄化し、魔穴は閉じられ、溢れ出た魔獣は消し飛ぶ。


その波は、ザクバラ国の隅々まで広がり、暗く淀んだ空気を余さず洗い清めていった。




ネイクーン王国とフルデルデ王国では、ザクバラ国との国境から遠く離れた地域まで、その神秘的な空を望むことが出来た。


魔術素質のあるなしに関わらず、青銀の波が広がっていく様を多くの人々が目撃した。

それは正に、月光神の御力が起こした、世界史に残る奇跡だった。




「そんな……、セルフィーネ様……」

ネイクーン王国北部で、山間部の水源の水量確保に努めていたマルクは、夜空を見上げて、手にしていた魔術符を滑り落とした。

青銀の波がセルフィーネの魔力を塗り替えていくのを、驚愕の表情で見つめる。

側にいた魔術士達も、言葉を失って呆然と空を見上げることしか出来なかった。



西部の聖堂建築現場でも、殆どの作業員達が外に出て来て、騒ぎになっていた。

ザクバラ国の上空に広がった青銀の波は、ベリウム川を超えて、ネイクーン王国の西部にまで到達した。


ネイクーン王国には降ったことのない雪のように、空から青銀の光の粒が降る。


ハルミアンは、目の前に降ってきた青銀の粒を握り潰す。

月光神貴女は、セルフィーネの進化を望んでいるんじゃなかったの……?」

奇跡の空に輝く月を睨み、悔しさを滲ませて拳を震わせた。



ネイクーン王城では、魔術士館からの報告で、エルノート王をはじめとする人々が空を見上げた。

そして、遠く西の空で起こっている奇跡の瞬間を、それぞれが胸を痛めて見つめていた。




フルデルデ王国の王都でも同様に、多くの者が騒然とした。


オルセールス神殿の前庭で、聖女アナリナはガクリと地面に膝をつく。

前庭の門番が焦って駆け寄って来たが、引き起こそうとするのを拒んで、固い地面を掌で叩いた。

「……バカ……、自分を第一に大事にしなさいって、あれ程言ったのに……」

黒曜に輝く大きな瞳から、大粒の涙が零れ落ち、固い地面を濡らす。


「セルフィーネーッ!」

アナリナは友の名を呼んで地面に伏した。

その頭上からは、揺蕩たゆたう水の精霊の魔力が、散り散りに消え去っていった。




強大な魔力の動きに気付いて、竜人ハドシュは大股に部屋を出た。

遠くザクバラ国の上空で、月光神が降ろされていることを感じて、急いで契約魔法陣を目の前の空間に映し出す。


映し出した瞬間、魔法陣はキンと乾いた小さな音を立てて、粉々に散った。

水の精霊の契約は、これにより破棄された。

彼女は、魔力の枯渇こかつにより消滅したのだ。


ハドシュは自分でも驚く程、その事実に衝撃を受けた。

月光神が降臨したことよりも、己の内を揺さぶる事実に、魔法陣が消えた空間を強く見つめ続けていた。






突如として、魔力の圧から解放されたイスタークは、瓦礫の上に力なく腰を落とす。


水の精霊の神聖力に加え、神の奇跡神降ろしを間近で体験して、身体にはかすり傷一つない。

しかし強大な魔力にさらされ続けて、酷く疲れたように感じる。

出来ることなら、もうここから一歩も動きたくない。


ボロボロの白いローブで駆け寄ってきたカッツが、イスタークの側に膝をついた。

「ご無事ですか?」

「ああ、神の御力のお陰でね」

周りで生き残った近衛騎士達は、神の奇跡で完全に毒気が抜かれ、茫然自失だ。

もう、危害を加えられることもないだろう。



見上げれば、祭壇の間の天井には幾つもの穴が開いていて、そこから青銀の粒が、名残惜しくチラチラと降っていた。

「……水の精霊が神聖力を授かったのは、この為だったのだね」

イスタークは溜め息混じりに呟く。


ザクバラ国を浄化する為に、己の全てを懸けて月光神を降ろすこと。

おそらくそれが、水の精霊が月光神から与えられた使命だったのだ。


イスタークは、瓦礫の上でうずくまっているカウティスとラードの汚れきった後ろ姿を見て、静かに目を閉じた。




「カウティス様……」

ラードに声を掛けられて、カウティスは辛うじて小さく頷いた。


何もなくなった自分の腕の中を見つめて、奥歯を噛む。

足下の瓦礫に落ちている、飴色に光るバングルの上に、チラチラと青銀の光が降る。

あまりに美しく哀しくて、カウティスは強く強く目を閉じた。

空を見上げる勇気は、今はなかった。



「…………セルフィーネ……」

何よりも愛おしい者の名を呼び、ついさっきまで彼女と繋がっていた右手を握りしめる。


その掌に、聖紋の欠片はもうなかった。




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読んで下さってありがとうございます。

残り4話で完結となります。

ハッピーエンドを、どうぞ見届けて頂けますようお願い致します!

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