全てを懸けて (1)

カウティスがザクバラ国王に斬り掛かるのを見て、カッツは急いで首元から金の珠を取り出した。

側のザクバラ騎士達は、あまりの事態に自失している。

女司祭も昏倒している今、イスタークに神聖魔法を施せるのは自分だけだ。


カッツはイスタークよりも酷い火傷を負いながらも、起き上がって腕を伸ばす。

頭を押さえていたイスタークは、血の付いた手で、カッツのその腕を押さえた。

頭部に傷を負ったのか、こめかみから頬に血が流れる。

「カウティスを守れ、カッツ!」

「猊下!」

「精霊達が動き出した! 分かるだろう!」

壁の穴の向こうで、事態は悪い方向へ進んでいる。

遠巻きだった精霊達が、急速に動き出していた。


「やめろーっ!」


カウティスが叫ぶ声が響いた。

精霊達が、一斉に狂ったように飛んだ。

「カッツ! 行けっ!」

イスタークに強く命じられ、カッツはグッと奥歯を噛んで立ち上がる。

低く地鳴りのような音を聞きながら、焼け焦げた白いローブをひるがえして走り出した。






カウティスの右掌と、セルフィーネの背中の聖紋が合わさり、完璧な聖紋となって輝く。


「戻れ、セルフィーネ!」

カウティスは左手で、ゴツゴツと固まった泥のような頬を包む。

セルフィーネの瞳には、赤い滲みが広がっていく。

額を合わせるように顔を近付け、カウティスはセルフィーネの硬質な瞳を覗き込んだ。


「俺はここにいるっ! 頼む、こっちを見てくれ!」


聖紋が焼け付くような熱を放った。

泥の塊のようなセルフィーネの身体に、聖紋から細い亀裂が走る。

内側から熱が膨れ上がり、亀裂から白く眩しい光が溢れた。

完全に粉塵の収まっていない祭壇の間を、四方八方へ光の筋が走る。



突然向かってきた光を避けきれず、ザクバラ国王はそれを正面から受けた。

「ううっ!」

光の筋が鋭く目を刺し、呻いて顔を両手で覆ってよろめく。



反射的に目を閉じたカウティスは、口元に震えるような呼気を感じて、細く目を開ける。

赤い滲みのある紫の水晶の瞳が、僅かに光を取り戻し、カウティスの青空色の瞳を見た。

「……あ……、あ……カ……ウ……、……」

言葉にならない声が漏れる。

「そうだ、俺だ。すまない、遅くなった」

カウティスはセルフィーネの赤黒い頬を、愛おしむように指で撫でた。

「迎えに来たよ」

身体とも思えない泥の塊を、カウティスは力強く抱きしめた。


セルフィーネの瞳が揺れる。


カウティスに触れているところが、青白い光を増した。

赤黒い泥の様な皮膚が剥がれ落ち、みるみる間に白く再生されていく。

重く垂れ下がっていた髪が、青味がかった紫色に変わり、サラサラと流れ始めた。

眩しい光の中で、セルフィーネは元の姿を取り戻していく。


「セルフィーネ……」

僅かに腕を緩め、セルフィーネを見つめたカウティスの前で、白く柔らかな肌が輝く。

最後に左肩からの裂傷と、右頬の傷が消えると、セルフィーネはゆっくりと目を瞬いた。

長いまつ毛が揺れ、澄み切った紫水晶の瞳に涙が溜まる。

ポロポロと雫を溢して、セルフィーネはカウティスの胸にしがみついた。





ギィンと刃と刃が擦れる耳障りな音がして、セルフィーネはビクリと身体を震わせた。


混濁していた意識から浮上したばかりで、頭が混乱する。

しかし、確かにカウティスの胸が目の前にあって、抱きしめられている。

カウティスの胸と腕に遮られ、周りは見えなかった。


おそるおそる顔を上げれば、すぐ側にカウティスの顔があって、澄んだ青空色の瞳が僅かに細められた。

「…………セルフィーネ、良かった。大丈夫か?」

掠れた低い声で尋ねられて、コクリと頷く。

夢ではないのだと思うと、更に涙が零れた。

背中の肩甲骨の下で、聖紋が強く熱を発していたが、不思議と痛みはない。

聖紋で繋がっているからか、触れ合っている感触があって、胸が震える。

「…………カウティス……」

ようやく愛おしい人の名を呼んで、セルフィーネはカウティスの背中に腕を回した。


「……つっ」

カウティスが小さく呻いて、セルフィーネは弾かれたように手を戻す。

その掌には、カウティスの赤い血がべったりと付いていた。





王の後ろに付いていた近衛騎士の二人から、続けざまに斬撃を受けて、ラードがカウティスの後ろに転がった。

即座に起き上がった上に、片刃剣が振り下ろされ、短剣で何とか受け流す。

もう一人の剣を受け切れず、手から短剣が落ちた。

相手の剣先が腰を掠って、腰に固定していた小さなバッグが裂け、中に入っていた魔術符が散る。


腰からもう一本の短剣を抜きながら、魔獣討伐で刃がこぼれたままだったことに気付いて舌打ちした。

騎士二人を相手にするのは分が悪い。


チラと後ろを見れば、背中を向けて膝をついている、カウティスのマントの裾から、セルフィーネの白い足が見えた。

元の姿を取り戻す事が出来たのだ。

ラードは内心で安堵しながらも、カウティスの背中に裂傷があることに、焦りを覚える。


カウティスはセルフィーネを救う為に、近衛騎士と王の間を走り抜け、手を伸ばした。

そのせいで、斬撃を全ては避けられなかった。

裂けたマントは、黒い生地でも分かる程に、じっとりと濡れて背中に貼り付いている。

あれは深傷ふかでだ。

急いで治療しなければならないが、二人の聖紋は繋がったままで、迂闊うかつには触れられない。


一つだけマシな事といえば、ザクバラ国王が白い光に目をやられてから、まだ立ち直っていないことだ。

あの威力の魔術を向けられては、自分では防ぎようがない。



近衛騎士が、片刃剣で横から薙いできた。

ハッとしたラードは、刃をまともに受けてしまい、カウティスの背から数歩分の距離が開いてしまった。

もう一人の近衛騎士が、カウティスの背に斬り掛かる。

「しまった!」

間に合わないと思った時、汚れた白いローブをひるがえし、カッツが間に滑り込んだ。

太い腕で構えた長剣で、近衛騎士を強引に押し返す。

「貴重な正聖騎士を奪わないで貰おうか!」

言って、一息に騎士の片刃剣を叩き折った。






「……あ……あ」

目を見開いて、ブルブルと震えながら、セルフィーネは血の付いた両手を見つめる。

「セルフィーネ、見るな」

カウティスは左手で彼女の両手を握った。


貼り付いたような右手を急いで剥がそうとするが、二人の聖紋は最初から一つだったかのように、少しも離れない。


カウティスの焦燥感が増す。

狂う寸前だったセルフィーネに、今神聖力を使わせるのは危険だ。

例えセルフィーネが、ザクバラ国の民を救いたいと望むのだとしても、まずはここを脱出して十分に回復してからだ。



「カウ…ティス……、怪我……背、中に」

セルフィーネの薄い唇が酷く震えて、上手く言葉にならない。

「大丈夫だ。イスターク猊下も一緒にいるから、すぐに治して頂ける。だから……」

冷や汗が流れたが、出来るだけ心配させないように言葉を選ぼうとした。


突然、ズズ、と低く地鳴りがした。

遠くで、細く耳鳴りのような音が、連続して響く。

「何だ!?」

カウティスが辺りを見回し、窓の外を見て息を呑んだ。

明るいと言って良い程に月光の差す裏庭に、異常に濁った色で、まだらに光りながら精霊が塊になっていく。

その中から湧き出るように、黒い魔獣が顔を覗かせた。


―――魔穴まけつだ。


「セルフィーネ、落ち着け。精霊達がそなたに引き摺られている」

カウティスが向き直った時には、セルフィーネの胸に白い光が沸き起こっていた。

「……カウティスが、傷付くのは、いや……だめ……」

「セルフィーネ、大丈夫だから!」

白い光はどんどん大きくなり、二人の間を満たす。

血の気が引いた顔で、震えながらセルフィーネが呟く。

「いや……」

白い光が膨れ上がり、二人を包んだ。

カウティスの背中の傷が、すうと消えていく。


痛みが消えるのを感じて、カウティスは握ったままのセルフィーネの両手を揺らす。

「もういい、治った。もう平気だ!」

しかし、セルフィーネは弱く首を振る。

一緒にいたはずのラードはどこにいるのか。

カウティスが傷を負ってでも助けに来てくれたのに、ラードが平気でいるはずがない。

セルフィーネは涙に濡れた瞳を、硬質な物に変える。

視界を広げているのだ。

「セルフィーネ、もういい。やめろ」



カウティスの腕の中しか見えていなかったセルフィーネの目に、祭壇の間の惨状が見えた。

破壊された神殿。

傷だらけで戦って、カウティスとセルフィーネを守っているラード。

倒れている聖職者と、血を流すイスターク司教。

真っ黒な気で覆われた、ザクバラ国王。

狂った精霊が魔穴を生み出し、魔獣が街の中に現れ始めている。


セルフィーネは、大きく震えた。

「見るな!」

見るなというカウティスの声が聞こえたのに、セルフィーネは視界を広げることをやめられなかった。

ザクバラ国を覆った淀んだ気は、更に濃く暗くなっている。

国中の至る所で嘆く民がいる。

それなのに、中央では王城を中心に反乱が起き、多くの血が流れていた。

傷付き倒れる兵士達や、捕縛される貴族、震えながら抱き合う使用人達。




「どうして……酷い……」

セルフィーネの口から、震える声が零れた。

硬質な瞳から、止めどなく涙が溢れる。




突如、二人の間から光が弾けた。

輝く白い光が、二人を起点に広がっていく。

それは放射状に広がりながら、祭壇の間を飲み込む。

そのまま神殿を飲み込み、更に外へと広がっていった。





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