呑み込まれた者

この回には暴力的表現がありますが、行為を容認・推奨するものではありません。


∷∷∷∷∷∷∷∷∷∷∷∷∷∷


「まだ見つけられぬのか!」

憎々し気な声を上げたのは、ザクバラ国王だ。


領街の中央辺りに位置する領主邸の一室で、苛立ちをあらわに杖を振る。

バシリと強く叩かれた机の上のペン立てが割れ、バラバラと床に転げたペンから黒いインクが散った。


応接室での混戦で、領主邸二階のあの一帯は破損してしまったので、王は別棟に移動していた。

どうやらこの部屋は、領主の執務室のようだ。

大きな黒い革張りの椅子にドッカと腰を下ろし、王は再び机を杖で叩いた。



「申し訳ございません。必ず見つけ出しますので、今暫く……」

膝をついた側に転がったペンを見つめて、近衛隊長は言う。

しかし、リィドウォルと水の精霊の捜索は、いまひとつ上手くいっていなかった。


国王が王城から率いてきたのは、国王の近衛隊だったが、その近衛隊ですら、リィドウォル宰相の謀反を信じられない者がいる。

それ程に、政権でのリィドウォルへの信頼は大きかった。


ましてや、探索を命じられた騎士達は、昨日危険な魔獣討伐を共に行ったばかりだ。

兵士達も、領主別邸で災害援助に即動いているリィドウォルを見た。

『裏切り者を探して引き摺り出せ』と言われても、戸惑うばかりだった。



王は革張りの肘掛けを掴んで、歯ぎしりする。

リィドウォルの裏切りが、腹に据えかねる。

あれ程目に掛けてきたというのに、ネイクーン王国から水の精霊を奪った今になって、何故裏切るのか。


「ええい、忌々しい!」

目の前をふわりふわりと漂う精霊が、この上なく邪魔だった。

払えるはずもないのに杖で払いかけた時、突然精霊達の動きが激しくなった。

一斉に同じ方向へ向かって、飛んだり消えたりする。


王は勢いよく立ち上がると、精霊が飛んでいく方の窓を開け放って外を見た。

南側に連なる建物の向こうに、精霊達のせいで一際輝いて見えるのは、オルセールス神殿だった。

王は醜悪に顔を歪めて笑う。

「……すぐに出発するぞ」


裏切り者には、その罪深さを思い知らせてやらねばならない。






オルセールス神殿では、昏倒したダブソンを起こし、リィドウォルを先頭にして、一行が大広間から月光神殿に入る。


辺りは更に精霊の数が増し、その不規則で混乱したような動きは、魔力が見える者にとっては、いっそ気分が悪くなりそうな視界だった。




カウティスは、リィドウォルを殴った右手を握り締めたままだった。

掌の聖紋は焼けるように熱を持っていて、カウティスの怒りを冷まそうとするかのように痛み続けている。


それなのに、殴りつけた時の感覚が、何度も身体の中で反芻されていた。


あの瞬間の、

暴力これが正しかったのだというような、充足感。

もっと、暴れたい。

セルフィーネを奪った者を全て薙ぎ払って、二度と彼女を悲しませる事がないように思い知らせてやる。



カウティスは眉根を強く寄せて額を押さえた。

何か今、おかしな事を考えていなかったか。

自分はセルフィーネを助けに来たはずなのに、何だか……。



「リィドウォル様……!」

声がして、カウティスはハッとして顔を上げた。

考え事をしている内に、祭壇の間の隣室に入っていた。


祭壇の間の二階部分に続く階段の上から、リィドウォルの護衛騎士が、見るからに表情を変えて一行を見下ろしていた。

その鋭い黒眼に、有り有りと憎しみや怒りが映し出されている。



リィドウォルが階段下まで足早に進む。

「イルウェン、水の精霊を視察団に引き渡すことになった。……イルウェン?」

段に足を掛けたリィドウォルは、上で動かないイルウェンをいぶかしんで目をすがめた。


「…………何故、を連れているのですか?」

イルウェンが見ているのは、リィドウォルでも、リィドウォルの背に剣先を向けているカッツでもない。



視線の先には、カウティスがいた。



イルウェンは強く歯ぎしりした。

「何故ここにお前がいる? 何故我が国の騎士の姿を!?」


有り得ない。

許せない。

生温いネイクーンの血が混ざった半端者のくせに、誇り高きザクバラの騎士の真似事をしているとは。

リィドウォル様の甥というだけで、気に掛けられ、王族だというだけで特別に扱われる。

そしてとうとう、我が国にまで乗り込んで来て、あの水の精霊化け物と共に、孤高のあるじと国を掻き回した。



イルウェンが階段の手摺を乗り越えて、一階へ飛び降りた。

カウティスから視線を外さず、躊躇ためらうことなく片刃剣を抜く。

「イルウェン! やめろ!」

リィドウォルの制止に、信じられないという視線を一度向けたが、すぐにカウティスを睨み直した。


「よせ、ここは神殿だぞ」

イスタークと女司祭の前に出て、ダブソンが剣を抜かずに構えて言ったが、イルウェンは鼻で笑う。

「それがどうした。ここはザクバラ国だ! ザクバラの為に建っている神殿内で、ザクバラの敵を排除して何が悪い!」


ここしばらくの消化不良と、混乱続きの出来事とに、イルウェンの鬱憤うっぷんが噴き上がる。

「ここで決着をつけてやる! 今度こそ、お前の腕を叩き斬ってやる!」



牙をくように言ったイルウェンを見て眉を寄せ、ラードがカウティスの側で腰の短剣に手をやる。

「『今度こそ』って、あいつと何か因縁でもあったんですか」

「……覚えがない」

カウティスが顔をしかめて言った一言に、イルウェンの怒りが爆発した。

「っ!! 殺してやるっ!」

怒りで顔を真っ赤にしたイルウェンが、走り込んで来てカウティスとラード目掛けて薙いだ。

ラードが飛び退すさり、カウティスが鞘付きの長剣で受け止める。


窓からの月光を弾く、やいばの硬質な輝きに、カウティスの心臓がドクンと突き上がる。

イルウェンの黒眼が、憤然と湧き上がる憎しみを映しているのを間近で見て、身の内から黒くドロドロとしたものが急激に膨れ上がった。


カウティスは目の前のイルウェンの腹を蹴り、一旦距離を開けると、長剣の柄に手を掛ける。

「カウティス!」

イスタークが叫ぶと、カウティスはビクリと身体を震わせて、手を止めた。




「どうした!? 怖気付くのか!?」

イルウェンは小さく舌打ちする。


フルブレスカ魔法皇国に留学していた頃、イルウェンが切望した剣の達人ソードマスターの称号をはばんだのはカウティスだ。

ネイクーン王国の王子であること、リィドウォルに血縁だと気にかけられていることが憎く、試合にかこつけて、腕の一本でも叩き斬ってやろうと殺気立って立ち合ったイルウェンを、2歳下のカウティスは手酷く負かせた。

あの時からずっと、イルウェンにとってカウティスは許し難い存在のままだった。



剣を抜かないカウティスに、イルウェンは吊り上がった目を眇めた。

「早くしないと、水の精霊は助からないぞ。はもう泥の塊だ」

怒りの目を上げたカウティスに、イルウェンは再び斬り掛かる。

横からラードが割り込もうとしたが、刃を返されて飛び退る。


カウティスが、再度鞘付きの長剣で刃を止めた。

「教えてやろうか。水の精霊を最初に斬ったのは、この俺だ!」

間近でカウティスの目が見開かれた。

「柔い肌をこの剣で斬ってやった! もうやめてくれと泣いていたぞ! お前の名を呼んで泣き叫ぶのを、俺が刻んだ!」

見開かれた瞳の、黒い瞳孔が開く。


力任せにカウティスが片刃剣を押し返した。

薄く開いた唇からフゥフゥと熱い息を吐いて、低い姿勢でイルウェンをめ上げ、躊躇ちゅうちょせずに長剣を抜いた。

「やめろ、カウティス!」

再びイスタークが制止の声を上げたが、カウティスは内から湧き上がる暗い感情をもう止められなかった。


鈍く瞳を光らせて、体勢を整えたイルウェンと同時に踏み込むと、カウティスは剣を交えた。

ギャリという耳障りな音と、互いの怒気に、不思議と高揚感が増す。


そうだ、暴力これを求めていた。


身の内から黒いものが膨れ上がり、暴力的な欲求がカウティスをあっという間に呑み込んだ。




リィドウォルは歯を食いしばった。

カウティスの膨れ上がるのろいの勢いに、引き摺られそうになるのを堪える。

街を覆おうとしている王の暗い気配で、同調しやすくなっている。

目の前で剣を振るうカウティスは、完全に引き摺られてしまった。


精霊達は詛の気配を忌避きひしてか、あれ程飛び回っていたのにカウティスの側を離れてしまっている。

手摺をキツく握って、リィドウォルは何度目か刃を合わせた二人を見つめる。


カウティスは、もう引き返せない。

王のように、人格は破壊されてしまうだろう。




イルウェンが流れるように次々と刃を繰り出す。

カウティスはそれを難なく受け流して、不意にぐんと懐に踏み込み、顎を目掛けて頭突きした。

一瞬ひるんだイルウェンが、上がった顎を戻して体勢を整える前に、脛に容赦なく踵を落とす。

骨が折れる鈍い音と共に悲鳴が上がり、イルウェンが崩折れた。

すかさず、片刃剣の柄を持つ右手を力の限り踏み付ける。


「……口程にもない。ザクバラ騎士の実力はこんなものか」

カウティスが足に体重を掛ける。

床に貼り付くようにして睨み上げたイルウェンが、あまりの怒りに言葉にならずに吠えた。

見下ろして、カウティスがせせら笑う。


その様子にラードが急いで近付いて、カウティスの右手を掴む。

「もう終わりです! 早く行きましょう!」

カウティスは掴まれた手を振り払った。

その手には抜き身の長剣が強く握られたままで、思わずラードは一歩下がる。



「終わり?……まだだ」

言葉と共に吐かれる息は火のように熱く、黒い気配は尚も膨らむ。


「この男はセルフィーネを斬った! それ以上に刻んでやらねば気が済まない!」


青空色の瞳を曇天の色に変えて、カウティスが長剣を振り上げた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る