衝突
イルウェンと別れてから、リィドウォルは太陽神殿の聖職者控え室で、祭事用の衣装が置かれてある物置を物色していた。
司祭が神祭事を執り行う時には、装飾の付いた祭服を着たり、精霊の好む銀製の指輪や腕輪を身につけることもある。
魔術の発動体は基本的には金製品だが、銀製の装飾品に神聖力が流れるのなら、魔力耐性はあるはずだ。
魔術の発現にブレがあるかもしれないが、発動体がないままよりはマシだ。
鍵の掛かった小さな金庫のような箱を見つけ、手を当てて魔術で鍵を破壊した。
発動体がなくても、高位魔術士ならこの位はわけがない。
予想通り、箱の中には神祭事用の腕輪と指輪が並べられていた。
神を祀る為の物に手を付けるのには、やや抵抗があったが、背に腹は代えられない。
リィドウォルは、その内の一つを右手の中指に
リィドウォルが箱を閉めて物置の棚に戻した時、ふわりふわりと漂っていた精霊達が、突然一斉に動き出した。
慌ただしく動き回り、外に向けて飛び出していく。
「セルフィーネ!?」
彼女に何かあったのだと思った。
リィドウォルは黒いローブを
二つの神殿の間にある大広間に出て、月光神殿の方へ戻ろうとした時、裏庭で人影が動くのを認めて、窓の側の壁に貼り付いた。
「あれは……」
リィドウォルは目を
月光が差し込む裏庭を、建物の影に隠れるように忍んでやって来たのは、聖職者の一行のようだった。
その中の小柄な男性聖職者は、領主別邸で面会したイスターク司教に見える。
では、あれはザクバラ国に派遣された視察団なのだろうか。
しかし、今時分に視察団が人目を忍んで神殿に入るとは、一体どういう訳か。
眉根を寄せてよく見れば、一行の中には自国の騎士と兵士が一人ずつ混じっている。
リィドウォルは小さく舌打ちした。
兵士達だけで神殿内を探索することが
―――どうする。
リィドウォルは窓の外を見たまま、右手の銀の指輪を撫でる。
王の配下に、セルフィーネを渡すわけにはいかない。
そして、ふと、神聖力を持つ者を決して逃すまいとする聖職者達ならば、セルフィーネの神聖力さえ確認できれば、精霊でも保護の対象にするのではないだろうかと思った。
聖職者が保護すれば、少なくとも王に水の精霊を奪われずに済む。
三国から出られない水の精霊は、保護されれば、ザクバラ国以外のどちらかの国に移されるはずだ。
外から、扉の取っ手を握った音がした。
リィドウォルは即座に物陰に移動し、右手を上げて構える。
入って来たところを、自国の二人だけ昏倒させるつもりだった。
扉の鍵が壊されて、人が入って来た。
煌々と月光が輝く外よりも、照明のない屋内の方が遥かに暗い。
最初に入って来たのが、白いローブの聖騎士であることは分かって、リィドウォルは動かず待った。
続けて入って来た男が、ザクバラ国の黒いマントを着けた騎士であることを確認して、リィドウォルは昏倒の魔術を放つ。
しかし、騎士は驚いた事にしゃがみ込んでそれを避け、前を歩いていた聖騎士に魔術が発現してしまった。
「気を付けろ!」
タブソンが目の前で崩れ落ちたのを見て、カウティスは後に続こうとしていたラードに叫び、即座に動いた。
暗殺用の武器でも、魔術でも、じっとしていては狙われる。
さっき視界の端に映った光の方へ、低い姿勢で詰める。
物陰に人が隠れていて、距離を詰めたカウティスに指を向けて、至近距離で魔術を発現させた。
瞬間、ぐんとしゃがみ込んで避け、勢いをつけたカウティスは、立ち上がりざまに相手の右手首を取って回り込み、後ろ手に
右手首を掴んだまま、うつ伏せに倒れた相手の背中に、膝を落とす。
「っ……ぐっ……!」
自由に言葉を発せない程度に体重をかけたのに、倒した相手は高位魔術士だったらしく、声を出さずに魔術を発現した。
捻り上げた右手の銀の指輪が、突如淡く輝く。
「カウティス様!」
しまったとカウティスが思った時には、ラードが手を出していた。
ジュッという音と共に、ラードの小さな
ラードは、カウティスが押さえ付けた魔術士の右手の指ごと、発動体を握っていた。
熱波の魔術だったのか、掌から手首までが焼けたようだった。
「ラード!」
カウティスは血の気が引く。
威力の強い魔術だったら、ラードの手が吹き飛ぶところだった。
「…………カウティスだと?」
膝にかかる圧が緩んだ為か、押さえ付けていた魔術士が、呻くように声を発した。
名を呼ばれ、カウティスは弾かれたように組み敷いた魔術士の顔を見た。
窓から差し込む月光に照らされて、魔術士の顔が見えた。
汚れた床に垂れた、クセのある黒髪。
右頬には、特徴のある大きな痣。
「リィドウォルッ!」
カウティスの身体中を、一気に血が巡った。
身の内にくすぶる黒いものが勝手に膨れ上がる。
リィドウォルの右手首を握ったまま、カウティスは腰の長剣の柄を左手で逆手に掴んだ。
「カウティス様! 駄目ですっ!」
ラードに飛び付かれ、カウティスはリィドウォルの背中から、固い床に落ちた。
左手を柄から離せないままだったが、ラードの右手がカウティスの左肩を掴んでいて、その匂いと焼け
歯を食いしばった間から、震える息を吐き出し、服の上から胸の辺りを掴んで、カウティスは耐えた。
身の内に感じる黒く粘るものに、消えろ、消えろと強く念じ、必死に神聖力を
視線を離せなかったラードの右手の上を、精霊の光が飛んだ。
セルフィーネを助けに行かなければ。
彼女か呼んでいるのに、こんな所でうずくまっている場合ではない!
黒いものを無理矢理に押し込んで、カウティスは深く息を吐いて顔を上げた。
ラードと視線が合って、僅かに緊張が緩む。
気付かない内に、イスタークが頭上で手を
どうやら解呪を試みてくれていたようだった。
「そなた……、やはり
声がした方にカウティスが視線を向けると、床の上に起き上がり、カッツに剣先を突き付けられたリィドウォルが、やり切れないような表情でこちらを見ていた。
「ザクバラ国王が、この街に来ていると?」
イスタークの声に同調するように、聖職者一行は皆、驚きを隠せない。
リィドウォルは銀の指輪を取り上げられ、床に膝をついて剣先を突き付けられたまま、淡々と話した。
「詳しく説明する暇はないが、私は国王の下を離反した。とにかく今は、水の精霊をオルセールス神聖王国に保護して貰いたい。王には渡せぬ」
「今更……っ、勝手なことを……!」
カウティスはカッとなったが、吐き出したい数々の言葉を、辛うじて飲み込む。
「そちらの都合などどうでも良い! 水の精霊はどこにいるっ!?」
火を噴きそうな勢いのカウティスを、リィドウォルは静かな目で見上げた。
カウティスの中に、
子供の頃から詛を知り、恐れ、度々その存在を感じてはやり過ごしてきたリィドウォルと違い、ごく最近身の内から湧き上がったのだ。
その勢いに呑まれないよう、必死に
しかし、さっきの激高を見ても、それ程長くは耐えられないだろう。
カウティスもまた、詛に沈むのだ。
「……案内しよう」
拳を握り、リィドウォルは立ち上がる。
「待て」
剣先を喉元に充てがったカッツが凄んだが、リィドウォルは素手で剣先を押した。
「私は文官だ。魔術は使えるが、発動体もない今は戦う術を持たない。私を警戒するよりも、早く水の精霊を救ってやってくれ」
リィドウォルは一度息を吐いて、カウティスを見遣った。
「急がねば、セルフィーネはもう保たない」
周りの誰が止めるより早く、カウティスはリィドウォルを殴った。
「気安くその名を呼ぶなっ!」
「カウティス様!」
神聖魔法で瘉された右手で、ラードがカウティスの腕を掴んで止める。
よろけて壁に手を付いたリィドウォルは、切れた唇を袖で拭い、黙ってそのまま月光神殿の方へ歩き出した。
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