交錯 (8)
リィドウォルは黒いローブを
二階から三階に上がる途中、領主一族の侍従らしき男とすれ違う。
「あ、閣下、この上は視察団の方々がお使いなので……!」
制止の声を無視し、三階に向かって階段を駆けながら、リィドウォルは、やはりと思った。
三階に到着し、息を整えて広間の扉の前に立つ。
オルセールス神聖王国の視察団。
ネイクーン王国側から入って来たと聞いている。
もし、神聖力を持っている
それならば、この部屋にいるのは……。
リィドウォルは扉を叩いた。
暫くして、扉が内から開かれ、聖紋の刺繍が入ったチュニックを着た女が顔を覗かせた。
オルセールス神聖王国所属の下女だろう。
「……早朝に失礼する。私はザクバラ国宰相を務める者だ。外から、精霊の尋常でない動きを見て、司教猊下を案じて尋ねた。猊下はお戻りか?」
「は、はい。お待ちを……」
リィドウォルから強い圧を感じて、一旦扉を閉めようとした下女を退けて、リィドウォルは扉を押し開けた。
「リィドウォル宰相閣下ですね?」
淡い金髪の
「初めてお目にかかります。オルセールス神聖王国で司教を務めております、イスタークと申します」
焦茶色の髪を揺らし、イスタークは
間延びしたような口調で挨拶する彼は、小柄な体格であるのに、側についている大柄な聖騎士よりも余程存在感があった。
「朝の祈りを終えてからお目に掛かるつもりでしたが、閣下自らこのような時刻に
平時であれば、聖職者の祈りの時間を妨げてはならない事は誰もが知るところだ。
言外に早朝に訪ねた事を非難され、リィドウォルは僅かに眉を揺らす。
「いいえ、こちらが偶然に邸を訪れて面会を求めたのです。
リィドウォルも姿勢を正して立礼を返した。
「しかしながら、それとは別に、先程外からでも分かる程に尋常でない精霊の動きが感じられました。視察団の方々に何かあったのではと案じて、急ぎ参じた次第です」
一体どのような理由をつけるのかと、聖職者等の反応を
「あれをご覧になりましたか。宰相閣下は魔術素質の高い方なのですね」
何のことはない、というような反応を返され、リィドウォルは僅かに困惑した。
「あれ、とは?」
「司祭の祈りに反応して、月光神の眷族が集まったのですよ。彼女は、土の精霊の加護持ちですので」
イスタークが、窓際に膝をついてこちらを振り返っていた女司祭を示した。
彼女は立ち上がって立礼する。
「申し訳ありません。驚かせてしまったのでしょうか? 何故か今朝は、普段よりも精霊達が多く集まってきたもので……」
上品な顔立ちの、貴族女性と言っても良さそうな
リィドウォルは眉根を寄せる。
確かに、女司祭の周りに薄く緑色の魔力が取り巻いている。
土の精霊の加護だ。
「……祈りで精霊が集まると?」
「はい。集まるのは、月光神の眷族だけですが」
確かに、さっき前庭で見たのは殆どが水色で、少しだけ緑の光が混ざっていた。
月光神の眷族、水の精霊と土の精霊だ。
「加護持ちの聖職者は珍しいので、こういったことが起こることをご存じなくても仕方がありませんね」
イスタークが笑顔のままでリィドウォルを見上げた。
「とはいっても、今朝はやけに水の精霊が集まりました。……それも、貴国が三国共有になった水の精霊を留めているせいでしょうか?」
「……そのような話をどこで耳にされたかは存じませんが、事実ではありません」
平たい声で返しながら、リィドウォルは広間の中を素早く見回した。
女司祭の近くに、赤毛で長身の聖騎士が一人立って、警戒気味にこちらを見ている。
少し離れた寝台の側に、何事かと緊張した様子の神官と、見るからに新人の聖騎士らしき男が一人、そしてチュニックを着た下男が一人いた。
こちらは三人とも凡庸な風貌で、特に目を引くような者達ではない。
「視察団の方々は、ここにいらっしゃる方で全員でしょうか」
「ええ、そうです。魔獣討伐を行ったのは、この者達ですよ」
イスタークが一歩下がり、側に控えていた大柄の聖騎士と、女司祭の側の赤毛の聖騎士を示した。
魔獣討伐を行ったのは、聖騎士二人。
そして、ここにいる人数は、報告されている視察団の人数と合っている。
その中に、カウティスがいないことを再確認して、リィドウォルは密かに息を吐いた。
「……昨日は、聖騎士の本分と離れてザクバラ国の民を救って頂き、感謝しております。図らずも、この場でお礼申し上げることをご容赦願いたい」
リィドウォルがカッツに向かって言うと、彼は立礼して謝意を受けた。
「我々は、神々と司教猊下の
その物言いと態度は聖騎士の模範のようで、リィドウォルはこれ以上
世界は神々と、神々の意を受けた
「宰相閣下、我々はオルセールス神聖王国に救いを求めた民に対して、出来得る事をしただけです。これ以上の謝意は結構ですので、このまま我々が貴国で視察を続けられるよう、ご配慮下さい」
イスタークが左胸に手を当てて、貼り付いた笑顔のままで頷いた。
向こうも必要以上に関わりたくないのだと分かり、リィドウォルは挨拶を返して広間を後にした。
前庭で、多くの精霊が集まるのを見て、あの窓の内にカウティスがいるのではないかと思った。
しかし、どうやら勘違いだったようだ。
階段を下りながら、リィドウォルは一つ溜め息をつく。
カウティスがこの場にいなくて、残念に思ったのか安堵したのか、自分でもよく分からない。
もし、カウティスを見つけたなら、どうするつもりだったのだろう。
この期に及んで、捕らえてセルフィーネの前に引きずり出し、
リィドウォルはそれを想像して、口の中に苦いものが広がるような感覚を覚え、僅かに顔を歪めたのだった。
「…………何とかなったようですね」
扉の側に立ち、外の気配を
皆、一様に張っていた気を緩めた。
イスタークが、寝台の近くに立っていた、新人の聖騎士に見える者の方を向く。
「……よく我慢した」
隣に立つ凡庸な風貌の下男が、聖騎士の背中に貼っていた魔術符を剥ぐ。
その風貌がゆらりと緩んで、まるで描き変えられるように別人の姿になった。
強く奥歯を噛み締めたカウティスだ。
その右手はキツく握られ、指の間には血が滲んでいた。
下男が自分の背中の魔術符を剥ぐと、ラードの姿に戻る。
剥いだ魔術符は、ネイクーンを出発前に渡された物で、ハルミアンとマルクが一緒に作ったという、隠匿の魔法を応用した物だった。
凡庸な姿として映って、見た者に印象を残すことがない。
見たはずなのに、どんな者だったのかよく思い出せなくなるのだ。
「ハルミアンの奴、すごい物作ったな」
魔術符を見つめて思わず呟いたラードを、側まで来ていたイスタークが
「彼はあれでも、フォーラス王国の国家魔法士だよ」
そう言ってカウティスの右手を開かせるイスタークは、何処となく得意気に見えた。
開かせたカウティスの掌には、血の付いた金の珠が入っていた。
聖紋は
イスタークはカウティスを見上げ、青空色の瞳を覗き込む。
「カウティス、君の内にあるのは、これまでザクバラ国の民が度々訴えてきた、“淀んだ気”や“呪詛”にまつわるものではないかね?」
カウティスの気配がピリリと張る。
その反応で、その仮定が正しいものだと分かった。
「……我々はずっと、ザクバラ国が抱えている呪いのようなものは、神聖力を以ってしても解けないと考えてきた。だが、根本的な原因が分かれば、それも変わるかもしれない」
イスタークだけでなく、カッツや女司祭達も、真剣な表情でカウティスとラードを見つめている。
「詳しく、話してくれるね?」
イスタークが、静かに言った。
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