結束

郊外の領主別邸。


オルセールス神聖王国の視察団に誂えられた広間では、カウティスとラードが、遠い昔にザクバラ国に与えられた、竜人族の血から始まるのろいについての話を終えたところだった。




「過去に与えられた竜人族の血が、人間にとってののろいと化したということか」

イスタークが固い表情で呟く。

女司祭は顔色悪く、祭服の袖で口元を押さえた。

「聖人の神聖力をってしても、全て清めることが出来なかったのはそういう訳だったのですね……」


竜人族が、過去にザクバラ国に何かを与えたのであろうことは、オルセールス神聖王国も気付いていた事だ。


ザクバラ国とフルブレスカ魔法皇国とは、いつの時代も、常に繋がりがあった。

それは、竜人族がザクバラ国と何かしら取引を行ったからこその繋がりだと思われていた。

しかし、もしかしたら、竜人族は血を与えた後のザクバラ国の変化を見張るために、繋がりを持っていたのかもしれない。



目線を下げ、喉から絞り出すように声を出して、カウティスは話を続ける。

「“のろい”と呼ばれる存在を知った時は、それでも何処か遠い話のように感じていました。私に魔術素質はなく、詛の存在を私達に教えてくれたハルミアンエルフからも、詛を継いではいないようだと言われたので……」

カウティスは右掌を開いて見る。

傷は既にイスタークによって癒やされ、今はいびつな聖紋が僅かに光を放っていた。

「それで、初めてこの身の内に黒く粘るものが湧いた時も、……自分の内にはこんなにも醜い感情があったのかと驚いただけで、それが詛の片鱗であるとは考えなかったのです」


セルフィーネが竜人族に無体な扱いを受け、契約更新を強制された時。

その一部始終を黙って見つめていた、リィドウォルの執着の視線に気付いた時。

あまりの怒りと憎しみに、我を忘れそうになった。


あれこそが、詛の兆候だったのだ。



「間違いなく、のろいなのですか?」

カッツが聞けば、ラードが深く頷いた。

「カウティス様に、制御できない程の衝動的な負の感情の起伏が増え、おかしいと思ってハルミアンエルフに確認してもらったのです」

ネイクーン王国の神殿を出発する前、改めてハルミアンに目を覗いてもらった。

確かに詛を感じると、ハルミアンも驚いていた。




「この事実を報告すれば、本国は竜人族の失態を喜ぶのではないですか?」

神官が、何処か期待を込めたように言った。


オルセールス神聖王国とフルブレスカ魔法皇国は、表面上は互いを尊重している。

しかし、どちらも我こそが神々の寵愛を受けた者であるという自負があり、互いを煙たく思ってる。


竜人族がザクバラ王族に血を与えた事で、人間に“のろい”という種を蒔いてしまったのなら、それは神々による創造と進化を歪めることになるのかもしれない。

オルセールス神聖王国としては、それは許し難いことであると同時に、竜人族の失態は喜ばしくもある。



「……確かに、本国に残る司教達なら、喜ぶ事実なのかもしれないね」

イスタークの言葉に、神官は喜色を滲ませた。

「ならば、すぐにでも本国に報告をいたしましょう。ザクバラ国の視察としての成果にも成り得ます」

しかし、イスタークは少しも表情を変えず、溜め息をつく。

「報告してどうするのかね? 今の内容で報告を上げても、本国は竜人族を追い落とす為の材料として利用しようとするだけだよ」


神官は困惑して眉根を寄せる。

そもそも、ザクバラ国の民が“呪詛”だと訴えたものを、本国はどうにか出来るとは思っていないはずだ。

その根本的な原因が突き止められたのなら、それだけで視察団の大きな成果になるだろう。

「……しかし、猊下。この内容だけでも十分成果があり、猊下の次期聖王就任への一手にも繋がるのでは……」


カッツとダブソンの気配がピリとしたが、イスタークは、も下らないというような顔をした。

「そんなものは関係ない」

「か、関係ない……、とは……」

すっぱり切り捨てられて、神官は目を白黒させる。


「確かに、今回の視察団は本国の体面を守る為に組まれたものだがね、私は上辺の視察をするつもりなど全くないよ。今まで、ザクバラ国の異変の原因が分からなかったから手が出せなかったが、“呪詛”の内容が分かったのなら、それを解呪する手段も探せるはずだ」

上辺の視察をして終えるつもりだった神官は、イスタークの言葉に愕然とする。

イスタークは神官を見遣り、重く言った。

「私は常に、民の為の聖職者であるつもりだ。解呪の可能性が僅かにでも見えたのなら、ザクバラ国の民の嘆願に沿い、詛を解呪するための手段を探る」



しん、となった室内で、イスタークがフンと鼻を鳴らした。

「第一、聖王になりたいなどと、一体私がいつ言ったかね? 実に下らない」

付け足されたその言葉に、女司祭がくすくすと笑った。

「仰っていなくても、本当に聖王に相応しいのなら、きっとその座が嫌でも転げ落ちて来ますよ、猊下」

イスタークがあからさまに嫌そうな顔をした。


女司祭の柔らかい声音で、場の雰囲気が少し緩んだが、神官とダブソンは何処か釈然としない顔をしていた。





「猊下に、お願いがございます」

イスタークの言葉を真剣に聞いていたカウティスが、決意を込めた表情で言った。


「聞こう」

イスタークが正面に向き合う。

「水の精霊を……、セルフィーネを救い出す為にご助力頂きたいのです」


更に訳の分からない様子の神官を他所に、イスタークは僅かに興味を引かれたように、焦茶色の瞳を輝かせた。

軽く頷いてカウティスに先を促す。

「ザクバラ国が、ネイクーン王国の水の精霊を欲したのは、ザクバラ国の淀んだ気、……そして、その主原因であるのろいを弱め、出来得できうるなら解呪する為であると思われます」


セルフィーネの回復に協力し始めたザクバラ国に対し、エルノート王や魔術師長ミルガンの見解はそういうものだった。

カウティスも初めは半信半疑だったが、三国共有となってから西部で聞いたザクバラ国の変化や、入国してからの空気感で、セルフィーネの清らかな魔力を、ザクバラ国が如何いかに強く欲していたのかを感じた。


「……水の精霊を取り戻せば、詛を解けると言うのかね?」

イスタークが声を低くする。

カウティスは一度右手を広げ、歪な聖紋を見つめた。

「……確かに、セルフィーネが正常な状態であるのなら、そのようなことが可能なのかもしれません。ですが、ザクバラ国は彼女がなのかを理解していない。ザクバラ国にこのまま彼女を留めていても、詛を解くどころが、彼女が損なわれるだけなのは明白です」


カウティスは言葉を切った。

セルフィーネが損なわれると口にしただけで、内から何が込み上げそうで、右手で服の上から金の珠を握る。



「私は猊下に、彼女を知って頂きたいのです」

「……知る?」

イスタークはいぶかしむように、カウティスの顔を覗く。

その瞳は澄んだ青空色だ。


「水の精霊が、特別な精霊であることは知っている。神聖力を得たのかと思ったが、管理官の確認で無しとされた。それなのに、あの精霊の何を知って欲しいと? 今更、やっぱり水の精霊が聖職者だとでも言うつもりかね?」

試すようなイスタークの視線を受けて、カウティスは珠を握る手に力を込める。


セルフィーネの心を知らず、拘束し、ただ思うがままに使おうとする者達に、彼女の溢れる慈愛の力は理解出来ない。


だが、イスタークは違うかもしれない。


カウティスはずっと、イスタークがセルフィーネの強大な魔力と神聖力を、オルセールス神聖王国の為に欲しているのだと思っていた。

しかし、彼ならばもしかして、セルフィーネの心を知れば、正面から向き合ってくれるかもしれない。

二人は種族も立場も全く違うが、民の安寧の為に、己の持てる力を迷いなく使おうとする者だ。


カウティスの右手は熱を持っていたが、焼けるようなものではなく、温かい。

「……セルフィーネは、ずっと変わらず“水の精霊”です。神聖力の有無に関係なく、彼女の慈愛の心がネイクーン王国の人々を護ってきました。そして、今は三国を変わらず護ろうとしています。その心こそが、猊下が在ろうとされているものであると思うのです」


カウティスは膝をつき、跪礼きれいする。

「お願いです、猊下。セルフィーネを助け出す、ご助力を」




イスタークは黙って、カウティスを見下ろした。


水の精霊に神聖力があることは、確信している。

おそらく、カウティスも隠し通せているとは思っていないだろう。

ザクバラ国の民の嘆願に沿うなら、水の精霊の清らかな魔力は必要にも思われ、今の状況から救い出す事に手を貸すことはやぶさかではない。


それでも、この期に及んでもかたくなに水の精霊を聖職者だとは認めないカウティスの姿勢に、進んで手を貸すと言いたくないのも事実だった。



むむ、と唇を歪ませたイスタークの後方で、女司祭が困ったような声で笑った。

「猊下、精霊達が……」

イスタークが肩越しに振り返り、思わず引きつった。

「うっ……」


イスタークの肩にのしかかるかのように、水の精霊と土の精霊が何処からか集まって来ていた。

その数はどんどん増えていく。

「精霊達……」

カウティスの周りにも、気遣うように水の精霊のほのかな光が集う。




「…………ザクバラ国の民を救う為に、月光神が眷族を遣わしたと、そういうことにしよう」

イスタークが溜め息混じりに言った。

カウティスが弾かれたように顔を上げる。


「まずは、水の精霊をザクバラ国の拘束から解く。“のろい云々うんぬんは、それからだ」





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