交錯 (7)

カウティスとラードを除く、イスターク達一行は、昨夜は住居群の方で過ごしたが、日の出の鐘の前に領主別邸へ戻って来た。

避難生活の領民からかてを頂く訳にはいかないし、昨日から領主別邸に入っているというザクバラ国宰相が、魔獣討伐の礼を述べたいと待っていると、領主からの知らせもあった。



「ザクバラ国の宰相は、確か昨年交代したのだったね」

イスタークが、間延びしたようなゆっくりとした口調で言った。

「はい。確か、ザクバラ国王の甥でした」

一歩後ろを行くカッツか答える。

「……リィドウォル卿だったかな」

「ご存知でしたか?」

「面識はないがね」

オルセールス神聖王国の調べでは、水の精霊が三国共有となったきっかけを作ったのは、その者だということだった。


正直、面会するのは面倒だと思っていた。

ザクバラ国は、特に上層になればなる程、閉鎖的だ。

ザクバラ国の民が訴えた、“呪詛”を調査しに来た視察団を歓迎するとも思えない。

面会しても、こちらが欲しい情報は漏らさないだろう。

おそらく、向こうもこちらを鬱陶うっとうしく思っているが、事実、魔獣討伐で視察団が領民を助けた事になったので、形式上謝意を表しておかねばならないといったところか。




邸の階段を上りながら、イスタークはこの後の事も考えていた。

なかば強制的に休ませたカウティスのことも気になる。


「カウティス殿の事をお考えですか?」

不意に女司祭に声を掛けられて、イスタークは焦茶色の目を瞬く。

「そう見えたかね?」

「はい。昨夜も、気にされていましたよね? 猊下が、アナリナ聖女様を指導なさっていた頃を思い出しました」

女司祭は祭服の袖で口元を覆って、くすくすと笑う。

彼女は、イスタークが本国でアナリナを指導していた時に、月光神殿にいた者だ。

土の精霊の加護持ちで、呪詛に耐性があるので、今回の視察団に唯一女性で参加している。

「失礼かもしれませんが、何だか猊下は楽しそうです」


イスタークは僅かに口元を歪ませた。


楽しんでいるつもりはない。

どちらかといえば、今になって一から新人の指導をするのは気が重いとすら思っていた。

しかし、本人の意思が働いているのかいないのか、アナリナもカウティスも、自ら神聖力を望んだわけではないのに、聖職者としての気質を備えている。


彼等は想定外のことを起こしてばかりで、世話が焼けるし、見ていると気苦労も絶えない。

それなのに、常に何となく気になってしまう。

そして、いつか神の試練に立ち向かうの事になるのか、見てみたいと思ってしまうのだ。



「……厄介な者達だ」

呟いて苦笑したイスタークが階段を上りきった途端、あつらえられていた広間に、ラードが飛び込んだのが見えた。


「カウティス様っ!」


切羽詰まったようなラードの声と様子に、カッツがイスタークと女司祭を守るように前へ出る。

その横をダブソンが駆け抜けて、扉に向かった。





カウティスの内側から、黒く粘るものが急激に膨れ上がる。

それと共に、熱気のような怒気が口から漏れ出した。

身体中の血が熱くたぎり、視界に赤黒い光が散る。

その視界に映るリィドウォルが、激しく憎かった。


右掌の聖紋が焼けるような熱を発したが、憎しみと怒りの痛みが勝って、カウティスは気付かない。

左手で窓枠をキツく握ったまま、熱を持った右手を腰の長剣に伸ばした。



突然、その手首を誰かの手が掴んだ。

「カウティス様! いけませんっ!」

切羽詰まったような声が聞こえたが、眼下に見えるリィドウォルから目が離せず、内から湧き上がる熱に掻き消される。

カウティスは衝動的に腕を振って、掴んでいた手を振り払った。


「カウティス殿、落ち着いて!」

更に誰かの腕が伸びてきて、後ろから右腕を固められた。

「邪魔だっ!」

カウティスは迷いなく、後ろに立つ者の足の甲を踵で力一杯踏み付けると、僅かに緩んだ相手の腕を取って腰を落とし、肩越しに投げ落とした。

立ち上がりざまに剣の柄を掴もうとするが、再び厚い掌が右手首を掴んではばむ。


「離せっ!」


抑えきれない怒気が、食いしばる歯の間から漏れ出る。

窓を睨むその目は、暗雲垂れ込めた空の色に染まっていた。


自由になる左手を拳にして振り抜こうとしたカウティスを、また誰かが羽交い締めにした。

「邪魔をするな! 奴をっ、リィドウォルをっ……!」



―――殺す!



口にしかけたカウティスの顎を、固い手が掴んだ。

そのままグイと強く引かれ、見開いた目を焦茶色の強い瞳が射る。

「カウティス! 今の姿を水の精霊に見せられるかっ!?」

カウティスの濁った瞳が目一杯開かれた。



『カウティスにあんな目をして欲しくない』



心配そうに覗き込む紫水晶の瞳を思い出し、ヒュッとカウティスの喉が鳴った。



カウティスの動きが止まった瞬間に、手首を掴まれたままの右掌に、金の珠を握り込まされる。

「ぐっ!!」

ジュッと音が聞こえたようだった。


熱いのか冷たいのか分からないが、掌から肩に向けて鋭く痛みが駆け上がり、カウティスは咄嗟とっさにキツく目を閉じた。

目を閉じると、自分の内に黒くドロドロとしたものが満ちているのを感じて、初めておののく。


「はっ……、っ……はぁ……、くっ」

息を整えたいのに上手くいかず、喘ぐ喉に、再び黒い憎しみのようなものが込み上げそうになった。

「しっかりしなさい、カウティス! 神聖力だけを感じるんだ」

目の前でカウティスの顎を掴んでいるイスタークが、淡く輝く金の光をカウティスに流すが、内から湧き上がる黒いもやのようなものと拮抗する。

イスタークの表情が僅かに歪み、額に汗が滲む。


「猊下」

「しっ! いけません、猊下は解呪に入っています」

起き上がって、間に入ろうとしたダブソンを、女司祭が止める。

「……解呪……?」

片膝をついたまま、カッツとラードに両腕を拘束されて喘いでいるカウティスを見て、ダブソンは眉根を寄せた。

カウティスは、神聖力を授けられた正聖騎士であるはずなのに、呪われているというのか。



ふと、淡く光る白いものが、ふわりとカウティスの側に飛んだ。



「精霊が……」

女司祭が呟いた。

視線を上げたカッツの目に、見たこともない数の精霊の光が映る。

この色は、水の精霊か、土の精霊か。

そう思った時には、精霊達はカウティスを取り巻いて、帯状に流れて数周回ると、パッと一瞬で消えた。


カッツとラードの腕の中で、カウティスの腕が脱力する。

同時にイスタークもカウティスの顎から手を離し、その場に座り込んだ。

「イスターク様!」

「カウティス様!?」

カッツとラードが、互いの主人を覗き込む。

同時に扉が開いて、入って来た神官と下女が、室内の状況が分からずに入口の側で固まった。


「……あの、一体どうされたのですか……?」

戸惑う神官の声に、皆曖昧あいまいな表情で顔を見合わせた。




座り込んだまま、滝のように汗を掻いたカウティスがゆっくりと視線を上げる。

「…………申し訳ありません、猊下……」


悔いと申し訳無さを滲ませるカウティスの姿に、黒い靄のようなものがなくなっているのを確認してから、イスタークは深く深く息を吐いた。

「……事情は後で、詳しく聞かせてもらう。いいね?」






領主別邸の前庭で、衛兵と話していたリィドウォルは、自身の内から黒いものがうごめくのを感じて、僅かに眉根を寄せた。

周りを見回してみたが、特に何の異変も感じない。


そもそもこんな所に、のろいが同調するようなものなどないはずだ。



セルフィーネの清らかな魔力で鎮められてから、リィドウォルの中の詛は鳴りを潜めている。

こうなってみると、王城にいた時、国王と中央に集中している淀んだ気に、どれ程同調して引き摺られていたのかが知れる。


そして、今その場に残されているはずのタージュリヤ王太子が案じられてならない。

彼女こそ、守られなければならない者だというのに、リィドウォルがこんな所で身を潜めていて良いはずがない。

もし仮に、彼女が即位を敢行することを決めたのなら、それを手助けして生き残ってこそ、共に歩む資格があると思った。



「ここに留まるよう指示されたのに、戻って良いのですか?」

周囲を警戒しながらイルウェンが問う。

昨夜、殆ど眠らずに何かを思い悩んでいたようなリィドウォルが、今朝になって討伐隊と王城へ戻ることを決断して動き出したので、心配していた。

「……中央の動きが分からぬまま、安穏としている訳には行かぬ」


衛兵に馬の手配など指示し終えて、一旦邸内へときびすを返したリィドウォルの目に、ほのかに輝く精霊の光が映る。

何気なくそれを追って、三階の一つの窓に多くの精霊が寄っているのを見つけて、ギョッとした。


精霊があれ程に集まるのを見るのは、珍しい。

以前あんな風に集まって、帯状に流れたのを見たのは確か……。



「……まさか……!?」

リィドウォルは急いで邸内へ向かう。

驚いて名を呼ぶイルウェンの声は耳に入らない。


今まで精霊の異様な動きを見たのは、いずれもカウティスとセルフィーネに関わっている時だけだ。





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