交錯 (5)

リィドウォル達が領主別邸を訪れたのは、夕の鐘半になろうかという頃だった。



前もって聞いていた通り、別邸の前庭には大型テントと救護テントが連なり、今は端の一角で炊き出しも行われていた。

非常食なども配られているはずだが、温かな煮炊きの湯気や香りは、それだけで人々の心を癒やすものだ。


別邸から続く住居群には、救護が必要でない者達が避難している。

それらの家々でも、それぞれが食事の準備をしているようで、どこか温かな雰囲気が漂っていた。

それでも、それはまだ、災害の前後から統率された状況下であるからと、人的な被害が殆どないからだ。

一度思わぬ事態に遭遇したり、復興に向けての動きや国からの支援が遅れたなら、すぐに不満は膨らんでくるだろう。


その点を含めても、魔獣が街から出る前に討伐してくれた、オルセールス神聖王国の視察団には感謝せねばならない。

聖職者の神聖力では解けもせぬくせに、“呪詛”の調査に乗り出してくる、目障りな者達だと思っていた。

しかし、ここに魔獣が辿り着いていたら、今頃こんな風景は見られなかっただろう。



邸内に入ろうと歩き出した時、弱く風が吹いて、乾いた泥濘ぬかるみの跡から、黄土色の砂が流れた。


幸か不幸か、セルフィーネのお陰で、水害の水を抜く作業は必要なくなった。

当面の衛生的な問題は少なくなったので、水抜きに当たるはずだった作業魔術士を住居の再建に当たらせれば、当初の予定よりも早く領民達の暮らしは戻るかもしれない。


民の暮らしを守る算段をしながら、リィドウォルは状況確認をする為に、領主一族と面会した。




ある程度の確認を終えた頃、別行動していた討伐隊長が戻って来た。


「オルセールス神聖王国の視察団は、住居群の方へ行っているようで、残念ながら会えませんでした」

隊長は残念そうに言った。

別邸の方にいる聖職者達は、領街の神殿の者と、近隣の町村の神殿から災害支援に集まった者達だったらしい。

元々、視察団は視察の為にザクバラ国に入国してきたのだから、災害支援が間に合っていれば積極的には関わらないというところだろう。


「では、魔獣討伐を行った聖騎士とやらにも会えなかったのか?」

リィドウォルが聞く。

聖騎士に大して興味はなかったが、会って礼は述べたい。

「はい。視察団の代表が、聖王候補のイスターク司教らしいのですが、司教の専属聖騎士は、剣の達人ソードマスターに引けを取らない実力だと聞いたことがあります。その者ならば、あの数の魔獣を倒したのも頷けます」

リィドウォルは知らないが、騎士の間では名の通った聖騎士らしい。


護衛騎士のイルウェンが、“剣の達人ソードマスター”と聞いて、後ろで僅かに怒気を滲ませた。

イルウェンの称号に対する想いは、昔から並々ならぬものだった。

しかし彼は、フルブレスカ魔法皇国への留学時代に、剣の達人ソードマスターの称号を懸けた闘技戦で、自分よりも年若い者に手酷く負かされ、称号を逃した経験がある。




既に日の入りの鐘から一刻以上経っている。

互いに討伐の疲れもある。

別邸にいないのなら、謝礼は明日で良いだろう。


領主一族に挨拶をして、討伐隊の野営地に戻ろうとするリィドウォルの前に、隊長が立ち塞がった。

「閣下は、このままこちらにお残り下さい」

討伐隊長に小声で言われて、リィドウォルはいぶかしむように彼を見遣る。

「王太子殿下からのご指示です。殿下から召集のめいが下るまで、どうかこのまま中央へ戻られませんように」


魔術による封じの紋が入った、小さな筒状の書簡を差し出され、リィドウォルは眉根を寄せた。

「“殿下からの命が下るまで”だと? どういう事だ」

「……私は、そう命を受けただけです。詳細は存じません」

それ以上は何も説明出来ないというように、隊長は口をつぐむ。

後ろで見守っていた領主一族に小さく合図して、彼は立礼してきびすを返した。


リィドウォルは振り返り、実質は領主である貴婦人を睨んだ。

彼女は魔術師長ジェクドの正妻で、リィドウォルとは面識がある。

「……何か知っているのか?」

「いいえ。私共にも、宰相閣下がこちらを訪問された際には、王太子殿下から指示があるまで留まって頂くようにと、通達があっただけでございます」

彼女に嘘をついている様子はない。

リィドウォルは指先で開封の紋を描いて、書簡を開いた。




「……殿下は、何と仰せなのですか?」

読んで終わっても、そのまま動かないあるじを見て、イルウェンが声を掛ける。

「“呼び戻すまで、身を潜めていろ”と……」

リィドウォルは目をすがめて、書簡の文字から何か読み取ろうとするようにじっとしていた。


“中央に戻ってはならない。呼び戻すまで、身を潜めているように”


タージュリヤからの書簡に、指示として明確に書かれてあるのはそれだけだ。

後は、“全てを打ち明けてくれた貴方が、必ず私と共に歩んでくれると信じている”というような、曖昧あいまいな内容ばかりだった。

何故そのような指示を出すのか、理由については一切触れられていない。


タージュリヤと共に歩んで行く為には、血の契約を解かねばならないが、おそらく今の王では無理だ。

そもそも、一体、何に対して“身を潜める”必要があるのか……。



現在知り得ている欠片を繋ぎ合わせ、一つの考えに辿り着いたリィドウォルの身に、震えが走った。


タージュリヤが理由を知らせないのは、リィドウォルがからなのではないだろうか。

知れば、中央へ戻らなければならなくなる理由。


―――政変だ。






水の季節後期月、二週三日。



日の出の鐘まで、優に一刻以上はある頃、ラードは目を覚まして、寝台から起き上がった。

魔術ランプの極薄い明かりが、隣の寝台で眠っているカウティスを照らしている。

今、広間には二人だけだ。


視察団用に急あつらえされた広間は、女司祭以外は皆一緒に使うはずだったが、イスタークは領主一族に何かと構われるのを嫌がって、昨夜は領民のいる住居群へ行ってしまった。

下男の仕事を免除されて、カウティスと共に休んでいたので分からなかったが、用意されている寝台に乱れがないところを見ると、誰も戻っていないのだろう。

どこかで休む場所を提供されたのだろうか。



ラードはそっと寝台を降り、カウティスを起こさないように寝台の下を覗く。

そこには小結界の魔術符と、小さな魔石が置かれてあって、ぼんやりと光っていた。

正常に発現していることを確認して、ラードは満足気に立ち上がる。


魔術符は、ネイクーン王国を出発する前に、マルクとハルミアンから渡された物だ。

聖騎士になったカウティスには、護衛などはつかない。

しかしラードにとっては、王子でなくなっても、カウティスは支え守るべきあるじで、とてもじゃないが、そのままホイと一人で寝かせてはおけないのだ。




ラードは静かに素早く身支度を整えて、広間を出る。


昨夜は免除されたが、一晩休んだのだから、イスターク達が戻る前に、せめて朝の支度を整えておかねばならない。


まずは水を汲みに行くついでに、カウティスのローブを受け取りに洗濯室へ向かった。

平時のように洗濯室は稼働していなかったのだが、昨日泥と魔獣の返り血とで、酷い身なりで帰った二人を見て、別邸の使用人達が魔術具での洗濯を買って出てくれたのだ。

ラードもさすがに手洗いで綺麗にする自信はなく、有り難く預けたのだった。



魔術の便利さを再確認しつつ、すっかり綺麗になったローブを受け取って、若い下女に礼を述べていると、男の声が耳に入った。


「新しい布を一枚貰えないか」


聞き覚えのある声に、思わず視線を上げたラードは、黒髪の目つきの悪い騎士を認めて、素早く顔を背けた。

出来るだけさり気なく棚の影に移動し、騎士に気付かれていないことを確認する。

そして、不思議そうに声を掛けようとした若い下女を、そっと影に引き込んだ。


下女から布を受け取っているのは、おそらくリィドウォルの護衛騎士だ。


「……あの騎士は?」

黒髪の騎士を指して、ラードが若い下女の耳元で聞けば、頬を染めた彼女が同じ様に小声で返す。

「宰相閣下の護衛騎士様ですよ。昨日、日の入り前にこちらに来られて、そのままお泊りになっています」

「宰相……リィドウォル卿か?」

「ええ、そうです」




同じ邸に、カウティスとリィドウォルがいる。

ラードは、ゴクリと喉を鳴らした。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る