交錯 (4)

リィドウォルを含む討伐隊は、貯水池から移動して、浸水被害のあった街の中央通りを前にして立ち、周囲の光景に茫然とした。


浸水で泥濘ぬかるみになっていた地面は、完全に乾いていた。

建物の外壁や露店の柱、街路樹など、至る所に浸水被害の跡と分かる黄土色の乾いた土が、膝の高さ程までこびり付いている。

弱く風が吹くと、乾いた泥が細かな砂になって、小波のように地面を流れた。




「一体何が……」

続く言葉を失くしている討伐隊員を尻目に、討伐隊長がリィドウォルに問う。

「これが、あの水の精霊の力なのですか?」

「…………おそらく、そうだ」

リィドウォルは黒眼を細めた。


貯水池の魔獣を片付けた頃、突然雨雲が湧くように、セルフィーネの魔力が領街の上空に集まった。

一体何が起こったのかと思ったが、おそらく彼女は水を操り、泥濘みとして残っていた街の水を短時間で消し飛ばしたのだ。


元々、名目上は領地の被害を減らす為に王城から連れ出したのだし、ネイクーン王国へ引き渡すまではこの地に留めるつもりだった。

しかし、時間を掛けて感じられる程度の“恩恵”を期待したのであって、こんな劇的な変化を望んでいたのではない。



リィドウォルは空を見上げる。

揺蕩たゆたう魔力は美しい色合いのままだが、心なしか輝きを弱めていた。

何故、彼女はこんなに無理な救済をしたのだろう。

いくら魔力の質が戻っていても、これ程のことを易々やすやすと行えたとは思えない。


そして、これはとても危険な行為だったように思えた。

魔術素質がある者ならば、あの急激な空の変化に気付いただろう。

彼女は、自らの特異な力を、多くの者にまざまざと見せつけてしまった。


この出来事は、すぐに陛下の耳に入るだろう。

その時、陛下はセルフィーネをどう使おうとなさるだろうか……。


最早、悪い考えしか浮かばなかったリィドウォルは、軋む胸を押さえる。

その時、隊員が声を上げた。

「隊長、斥候が戻って来ました」




リィドウォル達は、斥候が連れて来た自警団の男の案内で、壁外へと繋がる門の前へやって来た。

ここも、ここへ来るまでの道すがら見た景色も、同じ様に泥濘ぬかるみは乾ききっていた。



門の前の開けた場所に、倒された沼狼が十体近く集められていた。

既に輝きを失った鱗には、乾いた泥と血がこびり付いている。

魔術で攻撃を受けた跡はなく、全て剣で倒されたようだった。

首を落とされているものもあり、自警団の中には、余程剛腕な者がいたのかと思ったが、魔獣討伐を行った者を聞かされて、討伐隊の面々は困惑した。


「これを全て、聖騎士が仕留めたのか?」

討伐隊長が、信じられないというような顔をして自警団の男を振り返る。

「はい。今、領主様の別邸に、オルセールス神聖王国の視察団の方々が災害援助に来て下さっているのです。魔獣が街に下りて来たと知って、視察団の聖騎士様がお二人、手を貸して下さいました」


男の説明を聞いて、リィドウォルもいぶかしんだ。

聖騎士といえば、聖職者を守護する者だ。

目の前で誰かが襲われでもしない限り、あるじの下を離れて魔獣討伐に赴いたりするような者達ではない。

一体どのような理由で、他国の魔獣討伐に手を貸したりしたのだろうか。


「……どのような理由であれ、討伐に手を借りたことは確かなようだな。後で別邸へ行くついでに、私が礼を述べよう」

リィドウォルは魔術士達に魔獣を焼くよう指示を出す。

討伐隊にも、残った魔獣がいないか、街を隈なく探索するよう隊長から指示が出された。




夕の鐘が鳴った。


残った魔獣は発見されず、倒した魔獣を全て魔術の火で焼いて、討伐は完了した。

討伐隊は、今夜は念の為に街で野営をして、異変がなければ明日帰城する。


探索する討伐隊と共に、街の被害状況を簡単に見て回ったリィドウォルは、この後領主別邸へ行き、領主一族と状況確認等をしてから、明日討伐隊と共に帰城するつもりだった。



「閣下、私も共に別邸まで参ります」

討伐隊長が馬を引いて、リィドウォルの側に来た。

怪訝けげんそうに馬上から見下ろすリィドウォルに、まだ完全に燃え尽きていない魔獣を指し示す。

「あれを倒したという聖騎士に、興味があります」

同じ騎士であれば、そういうものなのかもしれない。

リィドウォルは軽く頷いて、馬首を返して門を出た。






郊外の領主別邸に戻ったカウティスとラードは、イスタークに全ての報告を終えた後、視察団の仮宿として用意された広間で休むように言われた。



夕の鐘が鳴って、神官と外の大型テントの方へ行っていた聖騎士ダブソンが、邸内のイスタークの方へ戻って来た。

休めと言いつけられた筈のカウティスが、救護テントの方で領民の聞き込みをしているという。


「カウティスが? 休むように言った筈だが」

ダブソンから報告を受けたイスタークが、焦茶色の眉を寄せる。

「はい、私もそう言ったのですが、何というか、かたくなで……」

今はカウティスの方が立場的には下なのだが、何しろ平民出の准聖騎士のダブソンは、ついこの前まで王族の立場にいた正聖騎士のカウティスに対し、強く出にくいようだ。

ただ性格的なものかもしれないが。


イスタークは軽く首を振る。

「私が行こう」

イスタークが歩き出すと、一歩遅れて聖騎士カッツが続く。


「やはり、先程の水の精霊の件があるからでしょうか?」

カウティスの大体の事情を聞かされているカッツが、小声で尋ねた。

あの尋常でない魔力の動きを見れば、カウティスに平気でいろと言っても、無理な話だろうと思った。


「まあ、そうだろうね。じっとしていられないから、目の前のやるべきことに集中して、紛らわしておきたいのだろう」

だがどんな人間も、心身には疲労というものが蓄積する。

休むべき時には、休まねばならない。




「カウティス」

名を呼ばれて、衛兵から話を聞いていたカウティスは振り返った。

そこに何か言いたげなイスタークが立っているのを見て、僅かにバツが悪そうな表情になる。

近くにいたラードも、恐縮して数歩下がった。

二人は、着替えと身支度をしただけで、ここに戻っていたようだ。


そもそも、視察団が領主別邸ここを訪れた目的は、災害援助は勿論の事だが、それとは別に、ザクバラ国の民が訴えている“呪詛”に関しての聞き込み調査だ。

それを放ったらかして、聖騎士が行う職務とは別の魔獣討伐に出向いていたカウティスは、確かに疲れているが、休めと言われて素直に休めなかった。

しかも、その呪詛だと評される淀んだ気が、ザクバラ国がセルフィーネを捕らえた事と関係があるのかもしれないと思えば、尚更だった。 



「私は、休めと言ったはずだが? ラード、君もだ。君はもうカウティスの従者ではないはずだぞ」

普段通りの静かでゆっくりとした口調だったが、カウティスには妙に責められているように感じた。

「しかし……、猊下……」


素直に下がらないカウティスを見て、イスタークは小さく溜め息をついた。

ここに来て、カウティスが初めて疲労の色を濃く見せている。

それは当たり前の事だ。

彼を取り巻く状況が目まぐるしく変わりすぎて、疲れていない方がおかしい。

おそらく今まで、平気であるように振る舞っていただけだ。


「…………水の精霊が、心配かね?」

イスタークに言われて、カウティスが視線を戻した。

今まで揺るぎなかった青空色の瞳が、僅かに不安に揺れている。

「街を乾かしたのは、間違いなく水の精霊だろう。あの魔力の高まりは、近くにいる証拠かもしれないね」

イスタークの言葉に、カウティスは強く眉根を寄せる。



魔獣討伐によって疲れたのは当然だが、討伐の最後に起きた出来事から、セルフィーネの安否が心配で、気が気でない。

今まで、セルフィーネを救い出す明確な道筋が分からないながらも、月光神の導きのようなものを感じて、何とか耐えてきた。

ザクバラ国に入り、思った通りセルフィーネに近付いている。


それなのに、魔穴まけつに続いて、領街でも。

あんなに近くにいたはずなのに、セルフィーネを掬い上げることが出来なかった。


その無力感に、カウティスは急に押し潰されそうになった。

この手が届かない内に、ザクバラ国の者によって、セルフィーネが害されてしまうのではないかという考えがよぎり、居ても立ってもいられない。

あの赤黒い泥のような物に、彼女が塗り込められるところを想像し、震えが走った。




不意に、肩をぐっと掴まれて、カウティスは驚いて目を見張る。

王子であったカウティスは、不意に身体を掴まれるような事はそうなかった。


「猊下……」

「本当に水の精霊を救いたいと思っているなら、今は休みなさい」

治療院で患者に話し掛けていた時のように、柔らかな声音で言われて、カウティスは目を瞬いた。


「疲れ切っていると、人間はまともな思考を失くすものだ。現に今、悪い想像しか頭にないだろう?」

図星を突かれ、カウティスは言葉に詰まる。

「想像はね、想像でしかない。現実は、別のところにあるよ、カウティス。それを掴むために、今は休むんだ。……精霊達も、君を気にしている」


“精霊”と聞き、イスタークがチラと上に視線をやったので、つられてカウティスが目線を上げる。

その途端、イスタークの掌が眼前に広げられて、淡い金の光を見たと思った時には、カウティスは意識を失ってその場に崩れ落ちた。


「カウティス様!」

ラードが駆け寄るよりも早く、イスタークが何をするか察していたカッツが、地面に伏す前にカウティスの身体を受け止めた。

「……余程気を張っていたようですね。ラード、手を貸してくれ」

カウティスの左腕を肩に担ぎ、カッツが難なく立ち上がって苦笑する。

イスタークが施した神聖魔法は、心を落ち着けて眠りに誘うものだった。



「これからのことは、目が覚めてからだ。ゆっくり休ませなさい」

イスタークが小さく頷きながら言った。


ラードは一度姿勢を正してイスタークに立礼し、急いでカウティスを支えた。





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