交錯 (2)

昼の鐘半を過ぎて貯水池付近へ到着した討伐隊は、それから更に上流側へ移動して、少し高い位置から全体を見渡す。

せきが切られてすぐ、下流側の水門は開けられていて、水位自体は随分下がっていた。




「沼狼だと報告されていたが、間違いないようだな」

リィドウォルが遠眼鏡を下ろして言った。


貯水池にいる魔獣は、狼のような顔をしているが、半魚人のような出で立ちのれっきとした水魔だ。

一体ずつなら大して強力でもないが、泥濘ぬかるみがあれば陸でも移動し、大概は群れで動くので厄介だった。


「そのようですが、最初に報告が上がってきた時の半数以下です。領民で先に討伐隊を組んだ訳ではありませんよね?」

討伐隊長が同じように遠眼鏡を覗いて、言う。

「そのような報告はなかったが……」

水魔は、水上にいれば魔術でなければ討伐が難しい。

領民が簡単に討伐隊を組めるものでもないはずだ。


リィドウォルは破損したせきの方を見る。

領主のめいによって切られた堰は、魔獣の出現で破損が大きくなってしまったため、予想よりも街に泥水が流れ込んでいた。

泥濘ぬかるみがあれば移動できる沼狼なら、貯水池に留まるよりも、獲物を求めて街の方へ下りるかもしれない。

リィドウォルは軽く舌打ちした。


「街の方へ下りたのかもしれない……。さすがに郊外まで泥水は流れ出ておらぬだろうから、避難した者達に影響はなかろう。念の為に街へ斥候を出し、こちらを片付けてから街へ入ろう」

「それがよろしいかと。すぐに移動しましょう」

討伐隊長がきびすを返した。




リィドウォルは、遠眼鏡を側にいた護衛騎士のイルウェンに渡す。

「……イルウェン?」

差し出した遠眼鏡に気付いていなかったのか、間があって、ハッとしたイルウェンが受け取った。

「ぼんやりするな」

言って討伐隊長の後を追おうとしたリィドウォルの背に、イルウェンはこらえきれず声を掛けた。

「本気で終戦をお考えですか」

リィドウォルが黒眼を細めて、肩越しに振り返った。


「リィドウォル様、どうか策略の一角であると仰って下さい! そう仰って下されば……」

「そう言ったら何だ。そう言わなければ従えないというのか?」

リィドウォルの声音が冷たく響く。

「イルウェン。護衛騎士の本分を忘れていないか。そんな迂闊うかつな者を専属にした覚えはないぞ」


イルウェンはぐっと言葉を飲み込む。


護衛騎士は、あるじを守ることが務めだ。

職務中は影となり、主の言動を見聞きしなかったことにするのが基本で、指示がなければ内に立ち入ってはならない。

しかし、イルウェンはリィドウォルの専属護衛騎士としてだけでなく、中央を離れている時は、従者の役割も担うことがある。

護衛騎士という役割り以上に、誰よりもリィドウォルの近い所に立っているという自負があった。


だからこそ、見過ごすことが出来ない。

ネイクーン王国と馴れ合うことは、長年に渡る国の宿願をないがしろにする事に他ならないはず。

終戦を唱えることは、ザクバラ国に対する反意なのではないだろうか。


主をみすみす逆臣にするような真似は、決して出来ない。


「申し訳ありません。ですが! 陛下のご意向に反してしまうのではと……」

「よせ!」

イルウェンの言葉を切って、リィドウォルは一度息を吐いた。

王に反すると言われると、一瞬胸が痛んだ気がして、冷や汗が滲む。

「……もう良い。この事は、状況が落ち着いてから話す。私に仕える意志があるのなら、今は黙っていろ。行くぞ」

「…………はい」



背中をさらして歩いて行くあるじは、やはり自分を信頼して下さっているのだと、イルウェンは思った。

その主の信頼に応えなければ。

今は目の前の討伐に注力し、その後には、必ず考えを改めて頂かなければならない。

あれ程に主が敬愛し、忠誠を誓ってきた国王に、逆臣として処断されるようなことがあってはならないのだ。


イルウェンは主の背を追いながら、眼下に小さく見える沼狼を睨んだ。

湧いた魔獣が水魔というだけで、水の精霊の仕業のように思えた。


あの精霊化け物は、害にしかなっていない。

全ての苛立ちを水の精霊のせいにして、イルウェンは舌打ちした。






セルフィーネを乗せた馬車は村を出て、出来るだけ水害被害を受けた街に近付き、午後の一の鐘を過ぎて、街道を脇に避けて止まった。


魔獣討伐が終わり、討伐隊が現場を完全に離れたら、水の精霊は浸水被害にあった領主邸へ運び込む予定になっていた。

郊外の別邸付近には避難した領民がおり、誰の目にも異様な姿に映る水の精霊を留めるには向かない。

領主邸であれば、水害の後片付けが始まっても、簡単に誰かの目に触れることはない。




外に一旦出ていた魔術師長ジェクドが、馬車の中に戻った時、水の精霊の瞳が硬質な輝きに変わっていた。


「おいっ」

視界を広げていたセルフィーネは、声を掛けられて視界を馬車の中に戻した。

「領内を見ていただけだ」

ジェクドはほっとしたように小さく頷いた。

魔力が戻った今は、見ようと思えば遠くを見ることも出来るのだと失念していた。


「魔獣が街に侵入しているようだが、討伐隊は気付いているのだろうか?」

静かに言われて、ジェクドはギョッとする。

「水魔じゃなかったのか?」

「水魔だが、泥濘ぬかるみがあれば移動できるものだ」

沼狼に思い当たり、ジェクドは苦いものを噛んだような顔になった。

「獲物を求めて貯水池を下りたのなら、不味いな……。お前、街の外壁の外はどうなっているか見れないか? 郊外の住居群の方へ、領民の殆どが避難しているはずなんだ」


「見てみよう」

セルフィーネはコクリと頷いて、視界を浸水被害にあった街の方へ伸ばした。






カウティス達が、外壁の門をくぐって街の中へ入ると、流れ込んだ水自体は引いていたが、足を取られる程には地面が泥濘ぬかるんでいた。


魔獣は何か別の目的がない限り、血の匂いが残っていれば、必ずそこを目指して来る。

獲物を狙って来るのなら、別邸へ怪我人を運んだこの門を通るはずだ。

カウティスとラードは念の為、外壁に幾つかある別の門へも、動ける衛兵と領主の私兵を送った。

もし魔獣を見つけたら、発煙筒と警笛で知らせる手筈になっている。




迷いなく振るわれた長剣で、沼狼の首が飛び、泥濘ぬかるみに落ちて転がった。

頭を失くした身体が力なく倒れて、陽光を弾いていた真珠色の鱗が輝きを弱くしていく。


あまりにもあっさりと魔獣を倒した聖騎士カウティスを見て、一緒に来ていた自警団の男達が、揃って馬上でパカと口を開けた。

街の中では、それなりに腕が立つもので組まれている自警団だが、鍛えている騎士と比べると、こんなにも実力に差があるのだと改めて知る。

目の前の青年が、“剣の達人ソードマスター”の称号を得ているとは知らない彼等は、オルセールス神聖王国の聖騎士とは、これ程強いのかと感心した。



「この魔獣は大体群れで動くので、一体ではないと思った方が良いでしょう。今のは斥候かもしれません。私達は知らせがない限り、ここを動かず待ち伏せます。二人一組で、この辺りを見て回って、もし沼狼を発見したら警笛を吹いて下さい」

短剣を腰の太いベルトに挿して、固まっている自警団の男達にラードが指示を出した。

彼等は慌てて口を閉じ、頷く。


「沼狼は馬より遅いから、馬上から降りないようにしろ。泥濘みから離れたら追えないから、いざという時は高い所へ登るのも有効だ」

長剣に付いた血を払いながら、カウティスが言った。

魔獣討伐に出たからか、王子の立場で指示を出すような調子になっていたが、無意識らしく気付いていないようだ。

「こちらにやって来た魔獣は、残らず私達が倒す。そなた等は、自分達の命を必ず優先して守れ」




カウティスの言葉を神妙に受けた男達が、正面の中央通りから脇道へ馬を走らせて行くと、ラードが落ちていた沼狼の頭を拾って、首のない身体の近くへ運ぶ。

後で討伐隊に、まとめて焼いてもらわなければならない。


頭を落として、ラードが口端を上げた。

「相変わらず、思い切りのいい踏み込みですね」

一対一ならばそれ程手強い魔獣ではないにしても、長剣の一閃で首を飛ばすのは、太刀筋に迷い無い証拠だ。


「…………魔獣には悪いが、鬱憤うっぷん晴らしには丁度良い」

少々バツが悪い様子で言ったカウティスに、ラードが灰色の眉を上げた。

「さすがに鬱憤が溜まっていましたか」

「それはそうだ!」

カウティスが憤然と声を上げる。

「セルフィーネの笑う声を、どれだけ聞けてないと思っている!?」


「………………は?」

ラードは思わず間を空けて、気の抜けた返しをしてしまった。


「鬱憤って、そこですか!?」

「他に何がある?」

全くもって本気で言っている様子のカウティスに、ラードは軽く噴いた。

「聖職者となってからのあれこれで、鬱憤が溜まっているのかと思ってましたが」

カウティスは真剣な表情で首を振る。

「どんな立場であろうと、自分に与えられた役割を精一杯果たすことに変わりはない。しかも自分から望んで聖職者になったのだから、学ぶのに必死で、鬱憤を溜めるような余裕もないぞ。……大体、なりたくて王子になっていた訳でもないし……。何だ、何故笑う?」


今度は盛大に噴いたラードを、カウティスは睨む。

「いえいえ、相変わらずだと思いまして」

「嫌味か」

「とんでもない」

ラードがわざとらしく立礼して見せるので、カウティスは鼻の上にシワを寄せた。



決して言葉通りではないだろうと、ラードは聖職者の白いローブを纏うカウティスを見る。


我が主にと第二王子を求めた日から、様々なことがあった。

理不尽な出来事に、胸を痛め、歯を食いしばることも多いはずだ。

それでも、俯かず、振り向かず、僅かにでも前へ進もうとする、そんなカウティスの気質が変わっていないことを、ラードは何より誇らしく思う。


そして、この元王子をあるじに選んだ己を、心の内で褒めた。




二人で僅かに和んでいた空気に、突然ピリリリと警笛の音が鳴り響いた。





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