交錯 (1)

水の季節後期月、二週二日。


イスタークの一行は、午前の昼の鐘を前に、領地の郊外にある領主別邸付近へ到着した。


別邸の庭が開け放たれて、救護テントが幾つも立てられている。

避難してきた者達は、テントで割り振られ、無事な者は主に近隣の住居群に収容されていた。

領主別邸にいる者達は、手当の必要な負傷者達だ。




「妙だね」

別邸の家令に案内されて、領主一族の者に挨拶を受けた後、大方見て回ったイスタークがボソリと呟いた。

「妙、ですか?」

今朝から同行している神官が、首をひねる。

「思わぬ災害に見舞われると、大概はもっと混乱しているものだよ。例え普段から備えていたとしても、皆が皆、落ち着いて動けたりはしないし、何かしら想定外のことが起きるものだ」


避難している民達は、緊張したり疲れたりした様子はあるが、規律は守られ、食料も不足なく行き渡っている様子だ。

イスタークは、気に入らない、というように焦茶色の目を細めて周囲を見る。

「まるで、いつどのようなことが起こるか、分かっていたようだ」


カウティスもイスタークと同意見だった。

ここは、何か不自然だ。

目が合うと、ラードも神妙に頷いてみせた。


以前、辺境警備で魔獣討伐に赴いていたカウティスは、対策を怠っていなくても、突然出現する魔獣がどれ程の恐怖を与えるかを知っている。

全員が訓練通りには動けないし、予定通り事が運ばないことは嫌という程経験してきた。

災害の種類は全く違っても、混乱する場であることには変わりがないはずだ。


「混乱せずに済んでいるのなら、それに越したことはないのでは?」

ダブソンが控えめに尋ねると、イスタークは低く言った。

「政治的な意図で行われた事でなければ、そうだがね」




貯水池のせきが切れて、領民達が避難をした際には、大した怪我人も出ていない。

その後水魔が出た際に、堰の修繕に当たっていた作業員達と警備兵に怪我人が出たが、その者達は既に運び込まれ、治療がされてあった。


イスターク達は、残る軽症者の治療をしながら、ザクバラ国民が呪詛ではないかと訴えている現状を聞いて回った。

元々、そちらが視察団の本来の目的で、人々が多く集まる場に来られて、証言を集めるのには都合が良い。

カウティスは治療が出来ないので、主にイスタークに付いて動き、人々に話を聞く。

そうしている内に昼の鐘半になった。


イスターク達が領主一族の昼食の誘いを断って、簡素な食事を摂ろうとしていると、突然外が騒がしくなった。

側の窓から前庭を覗いて、カウティスが眉根を寄せる。

「猊下、怪我人が運び込まれています」



運び込まれていたのは、領内に見回りに行っていた自警団の者が数名だった。


「街にも魔獣がいて、鉢合わせたようです」

女司祭に付いていたカッツが、先に事情を聞いてきた。

ややいかつい顔を、更にしかめる。

「貯水池だけでなく、街にも出現しているとは……。ザクバラ国の民が呪詛を疑うというのも理解できます」


「鉢合わせた魔獣は、どんなものでしたか?」

カウティスがイスタークの後ろから尋ねると、カッツと共に領主一族に報告に来た自警団の男が、疲れた様子で言う。

「小さ目の人の形で、全身鱗がありましたが、顔は犬か狼のようでした」

「沼狼では?」

医療用の布を抱えて来たラードが言った。

「沼狼?」

「水魔に分類される魔獣です。沼や汚泥を好むので、もしかしたら貯水池に湧いたものが、浸水した街の方へ下りて来たのかもしれません」


あちこちから魔獣が湧く程大きな魔穴が出来ているのなら、魔術素質がない者にでも、目に見えて空間が歪んで見えるという。

だが、そんなものは世界史に残るような大事件でしか聞いたことがない。

街に現れたのが水魔だというのなら、貯水池に湧いたものが移動したという方が、可能性としては高いだろう。


「どちらにしろ、貯水池の方には、ザクバラ国の王城から討伐隊が到着したそうですが、街の方へも出現していることに気付いているのかどうか……」

カッツが窓の外を見るが、ここからでは街の外壁に阻まれて、中の様子はうかがえなかった。



「その魔獣はどうなりましたか?」

カウティスが尋ねると、自警団の男は首を振った。

「……分かりません。負傷した仲間を連れて逃げるので精一杯で……」

カウティスは僅かに目を細め、カッツの隣から外を見る。

今日の天気は良いが、水の季節で陽光が弱い日も多く、集中雨の後だからか、泥濘ぬかるみが多く残っていた。


「猊下、もし沼狼ならば、泥濘みがある所なら移動出来ます。この辺りの土地は乾ききっていないので、街まで下りて来たのなら、血の匂いと人の気配を追って、その内ここへやって来るでしょう」

カウティスの言葉に、自警団の男の血の気が引き、イスタークが険しい表情で振り返った。

「魔獣討伐に赴くことをお許し下さい」

カウティスが立礼する。

「ここにいる領民達が、更に別の場所に避難するのは困難です。魔獣か辿り着く前に、倒します」



イスタークは一瞬眉根を寄せた。

聖騎士は本来、守りに特化した騎士だ。

聖職者を護衛する、護衛騎士の役割が大きい。

聖騎士エンバーのように攻撃的な太刀筋の者もいるが、あくまでも戦うのは守りの為、又は不浄に墜ちた者を斬る為で、魔獣討伐に赴くようなことはない。


しかし、カウティスは違う。

彼は、辺境で魔獣討伐に明け暮れていた過去がある。


それに思い至って、イスタークは頷いた。

「許そう。カッツを連れて行きなさい」

イスタークの言葉を聞き、カッツが太い金の眉を寄せて口を開きかけたが、カウティスが先に断った。

「いいえ。司祭と神官が同行している以上、お側の騎士を一人にするわけにはいきません。代わりに、ラードを連れて行く事をお許し下さい」


一瞬答えるのを躊躇ちゅうちょしたイスタークが、軽く首を振る。

「許す。だが、二人だけで?」

「いえ、地理に明るい者と、自警団で無事な者を同行します。それから、ザクバラ国の討伐隊にも、魔獣が街に下りた可能性を伝えた方が良いでしょう」

カウティスが答えると、ラードが頷いて動き出した。

「自警団の中に動ける者がいるか、確認します」



カッツと何やら話してから、カウティスは立礼してきびすを返す。

敵国で、慣れない立場で、突然魔獣討伐の任に就くというのに、カウティスは当たり前のように歩いて行く。

「カウティス」

イスタークが呼び止めると、カウティスが立ち止まって振り向く。

その青空のような瞳は、澄んでいる。

「…………頼んだよ」

「はい、猊下」


カウティスの出て行った広間の扉を見つめ、イスタークは小さく苦笑した。

カウティスがラードと二人で行くと言った時、一瞬、水の精霊を捜すために、視察団を離脱するのではないかという考えがよぎった。

しかし、彼に限ってそんな不義理な真似はしないと、心の中で打ち消した。


自分はいつの間にか、カウティスに信頼を置いているのかもしれない。

そして、彼がその心を曇らせることなく水の精霊を取り戻し、共に聖職者として在ってくれたら良いのにと思っている。



「……ハルミアンが懐いた理由が、分からないでもないな」

ボソリと呟いたイスタークを、隣でカッツが怪訝けげんそうに見つめた。






リィドウォルと数名の魔術士が、討伐隊と合流して貯水池に向かってから、セルフィーネは再び馬車の中に移されていた。



今回は抵抗せずに毛布に包まれ、大人しく運び出された水の精霊を、魔術師長ジェクドは見下ろした。


想定外に魔獣が出現して暴れた為、貯水池のせきの破損が広がり、水害の規模が予定よりも大きくなってしまった。

水害を口実に連れ出した訳だが、実際に出来るだけ近くに水の精霊を連れて行き、領地の被害を抑えなければならない。


「魔獣討伐が終われば、暫く領地に留まってもらう」

ジェクドの言葉に、水の精霊が僅かに頷く。

「領地の被害を減らせるよう協力する」


何の躊躇ためらいもなく水の精霊が答えるので、ジェクドは黒髪の頭を搔く。

協力させる交換条件のように、領地が落ち着いた後にネイクーン王国へ返す話をしようとしていたことに、罪悪感に似たものを感じて居心地が悪くなった。



「この領地が落ち着いたら、お前をネイクーン王国へ返すつもりだ」

セルフィーネは弾かれたように顔を上げた。

「……本当に?」

「ああ。だがすんなり返せば、さすがに俺も首が飛ぶ。せめて、奪い返された形にしたい。どうやら、ネイクーンはフルデルデ王国と二国共同で使者を出してくるらしい。上手く繋ぎが出来れば、その者達に引き渡すつもりだ」


セルフィーネは今朝ネイクーン王城の大門を出て行った、使者の一行を思い出した。

そういえば、あの中にはネイクーン王国の物とは違う装束の使者がいた。

きっと、あの一行が二国の使者だ。

ネイクーン王国も、フルデルデ王国も、セルフィーネをこのまま放置するつもりはなく、手を尽くしてくれているのだ。


様々な人々の顔を思い出し、セルフィーネは唯一自由に動く右手を胸に当てた。




ジェクドは水の精霊の足を見て、手を伸ばす。

彼女は僅かに警戒した様子だったが、足枷に手を伸ばしたのだと分かり、抵抗はしなかった。


魔術師長が口の中で小さく唱えると、くすんだ銀の留め金が外れたが、泥に半分埋もれたような足枷は一体化していて外れなかった。

舌打ちして、ジェクドは水の精霊を見遣る。

どうせ足枷を外しても、自力では帰れないのだとリィドウォルから聞いていたが、ネイクーン王国へ返す前に、ザクバラ国が拘束した跡は消しておきたい。


ジェクドが足枷に手を置いたまま尋ねた。

「壊そうと思えば壊せるが、一体化している部分があるから痛むかもしれん。どうする?」

「…………外して」

水の精霊の返答を聞いて、間髪入れずにジェクドが何か唱えた。



重い音がして、足枷が細かく割れて座面から降り落ちる。

「っっ……!」

目をギュッと閉じて痛みに耐えたセルフィーネが、震えながらそっと目を開けた。


足枷が外れた足首は、白い肌ではなく赤くただれていたが、ようやくザクバラ国の人間と対等に向き合う事が出来た気がして、セルフィーネは僅かに安堵した。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る