決断
セルフィーネは宿の一室で、一人寝台に座っていた。
リィドウォルが部屋を出て、また見張りとして魔術士が入って来るのかと思ったが、誰も入ってこなかった。
扉の外には人の気配がするが、室内に入って来る様子はない。
見張りに何をされるわけでもないが、この姿は人間には相当気味の悪いものらしく、恐れを含む視線を向けられ続けるのは苦痛だった。
その視線がなくなっただけで、少し落ち着けて、細く長く息を吐く。
息を吐いて、ずっと気を張っていたことに気付いた。
己の均衡を取り戻して、魔力は元に戻った。
しかし、狂いかけたこの身は、長い長い時間をかけて自然治癒するか、浄化しなければ元には戻れない。
神聖力は失っていないが、何故か以前より乏しい状態になっていて、目の前の者を癒やすのは容易かったが、自分の身体はどうしようもなかった。
カウティスと聖紋を合わせることが出来れば、元の姿に戻れるのだろうか。
もし戻ることが出来たなら、もっと魔力を大きくして、リィドウォルの言うように神の御力を借りることが出来るのか、試してみたい。
そうすることで、実体を得ることが再び遠のくことになるのかもしれず、カウティスを悲しませるのかもしれない。
しかし、実体化しても神聖力を持ち続けられる保証はどこにもないのだ。
カウティスの中にもある“
カウティスのことを思うと、胸が苦しくなって、セルフィーネは目を閉じた。
光の中で見た、優しい微笑みと言葉を思い出し、口付けした薄い唇を指でなぞる。
固くヒビ割れた部分に当たって、指先を止めた。
本当は、こんな醜く狂いかけた姿を、カウティスに見せたくはない。
でも、きっとカウティスは、会えば
……会いたい。
彼は今、何処にいるのだろう。
きっと、私を助け出す為に行動を起こしている。
セルフィーネは数度深呼吸して、視界を広げた。
空に広がる魔力が戻った今は、“見る”だけなら出来そうだ。
セルフィーネはまず、ネイクーン王国の王城に目を向けた。
半月も空いていない筈なのに、その懐かしい光景は胸を突く。
大門を、慌ただしく使者の一行が出て行くのが見えたが、その中にカウティスはいない。
王城の中を見ても見当たらないので、西部へ視界を移した。
しかし、拠点にも堤防建造の現場にも、周辺の町村にもカウティスの姿はなかった。
カウティスに纏わせていた魔力を解いてしまったことを、セルフィーネは一瞬後悔した。
魔力が繋がっていれば、見つけるのはもっと容易かった。
しかし、急いで首を振る。
カウティスの中の詛がどうなるか分からないのに、魔力を纏わせ続ける訳にはいかない。
捜し続けていたセルフィーネは、イサイ村の近くでマルクを見つけた。
以前、イスターク司教を含めた視察団の一行が野営の陣を敷いていた場所に、救護テントのような物が運び込まれていて、何やら官吏と慌ただしく打ち合わせをしているようだった。
ふと、視線を上げたマルクが、パッと顔を輝かせた。
クシャと泣きそうな顔で笑って、大きく手を振り、何か大声で叫んでいる。
余程注意深く見ていなければ、セルフィーネが視界を広げている魔力など分からないはずなのに、マルクは気付いた。
セルフィーネは嬉しくて、何かマルクに意思を示したかったが、マルクの側にはまとまった水がなかった。
今日は太陽が眩しく輝いていて、長く視界を広げるのも辛い。
気付いてくれただけで良かったと、セルフィーネは視界を宿の一室に戻した。
「討伐後に領内を見て回り、被害状況を確認次第、私は帰城する」
リィドウォルは、もう暫くすれば到着する魔獣討伐隊に同行する為に、魔術士の黒いローブに着替えながら言った。
セルフィーネの
「……帰城すれば、タージュリヤ殿下の即位準備を急ぐ」
椅子に座って、巻煙草をふかしていたジェクドが表情を一変させる。
「陛下に譲位を促すのか!?」
「今の陛下が、すんなりと譲位されることはないだろう」
リィドウォルはローブの胸の留め具を掛け、そのまま胸に手を置き、慎重に言葉を続ける。
「出来るだけ国を乱さず、譲位を成すには、殿下がフルブレスカ魔法皇国の後ろ盾を得るべきだと思う。先の皇帝の葬送の際、新皇帝への誓約に応じたのはタージュリヤ殿下だ。皇帝に働き掛ければ可能だろう」
叔父にはせめて、覇王の面影を残したまま王座を退いて欲しい。
その思いが全てだからか、胸に痛みは感じなかった。
ジェクドが眉根を寄せる。
「……それでは、我が国は皇国の政治的介入を許すことにならないか?」
「だとしても、言いなりになって終わるかどうかは、政権を担う者の腕次第だ」
下から睨め上げるようにして、ジェクドはリィドウォルの表情を
「その時は、丸投げせずに、お前もその一端を担うのだろうな?」
「…………命を拾うことが出来たなら、そうするつもりだ」
フンと鼻を鳴らすようにして答えたリィドウォルに、ジェクドの口の片端がぐっと上がった。
「及第点の答えだな」
勿論、それだけでは穏便に事は運ばないであろうことは、二人共分かっている。
万が一王が大人しく退位したとしても、
タージュリヤも、おそらくジェクドが考えたように、再び王を眠らせるような、出来る限り穏やかな余生を送らせる選択をするのではないだろうか。
リィドウォルにとっては苦渋の選択だった。
しかし、もはや避けられない王の最期を、今取れる最善の方法で送る努力をすると決めた。
「……
ジェクドが椅子に座ったまま、低く言って煙を吐いた。
皇国に使者を送り、皇帝の後ろ盾を得ることは、迅速かつ慎重に行わなければならない。
不審に思われれば、例えリィドウォルであっても、反意と取られて処断の対象になるだろう。
「分かっている。こちらのことは任せた。……それから、こちらの混乱に乗じて、
セルフィーネの望みは、ネイクーン王国へ帰ること。
血の契約に縛られていないジェクドなら、出来ないことはない。
ジェクドが咥えていた巻煙草を揺らす。
「……いいのか?」
「今後、ネイクーン王国と終戦条約を結ぶなら、必要なことだ」
ジェクドが勢い良く椅子から立ち上がった。
「終戦……、本気か!?」
「本気だ。以前、タージュリヤ殿下からその意志を匂わされたことがある」
王に殉死するつもりだったリィドウォルは、タージュリヤの想いを聞かぬふりをした。
終戦を宣言する事は、両国の争いの主原因である、ネイクーン王国側の国境地帯を完全に放棄する事だ。
成人前のリィドウォルがフルブレスカ魔法皇国に留学中、悩み続けていた両国間の関係改善には欠かせない事柄だが、ザクバラ国の中央に遺恨が根強くある以上、無理なことだと諦めていた。
諦めた時点で、決して叶うことはないのに。
「自分達の力でザクバラ国を変えようとなさる
視線を合わせないようにして、呟いたリィドウォルの肩を、ジェクドが力強くバシッと叩いた。
恨みがましい目を向けたリィドウォルに向けて、白い煙を吐く。
「俺は、当分現役は退かんぞ!」
勢い良く煙草の火を消し潰し、煙を払うリィドウォルに向けてジェクドが笑った。
「……リィドウォル様、討伐隊が到着しました」
部屋の入口から護衛騎士のイルウェンが声を掛ける。
二人はローブを
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