理解
リィドウォルは寝台の上に座る水の精霊を前にして、困惑して強く眉根を寄せた。
「……なぜ、謝る?」
水の精霊は僅かに唇を奮わせた。
表情の分かる部分は顔の半分もないのに、それだけで酷く辛そう見えた。
「この国の魔術師長から、話を聞いた。おぬしが私に何を求めていたのかを。……私にしか出来ないと思って、全てを懸けたのであろうに、それを叶えてやれないのはすまないと思う……」
水の精霊が目を逸らすと、リィドウォルは信じられないというように首を振った。
「それを信じたと? 今まで
彼女は自分の身体を見て、辛うじて半分残っている薄紅色の唇を噛んだ。
「忘れてなどいない。おぬしの言葉は嘘ばかりだ。どれが
「……何故そう思う?」
「私にザクバラ国王の居室に下りるよう頼んだ時、おぬしは確かに真剣だった。あの切実に救いを乞う気配だけは、間違いなく本物だった」
リィドウォルが言葉を失うと、水の精霊は小さく息を吐いた。
「私の魔力の状態は戻ったが、神聖力は乏しい。おぬしの求めるような
彼女は再びリィドウォルに視線を向けた。
「……だから、お願いだ。私をネイクーン王国へ帰らせて欲しい」
水の精霊は寝台の上で動く事も出来ず、自由になる右手をキツく握り締めていた。
こんな酷い状態にされたというのに、リィドウォル達を責める訳でもなく、ザクバラ国の為に出来ることをすると言う。
そして望むことは、当たり前に行われるはずだった、ただネイクーンに帰還する事。
「……お前は、どうして……」
リィドウォルは額に手をやる。
しかし、何か引っ掛かる。
水の精霊は、カウティスの
誰よりもカウティスの詛を解きたいはずであろうに、『
この者なら、出来る限りのことを試して足掻いてみてもおかしくないと思えるのに。
まるで、どうやっても出来ない理由が分かっているかのようだ。
リィドウォルはひとつ仮定して、手を下ろし、慎重に口を開く。
「水の精霊よ、お前が神の奇跡を呼ぶには、カウティスが必要なのではないのか」
目に見えて、水の精霊の身体が寝台の上でビクリと震えた。
「国境地帯で奇跡が起きた夜、私はカウティスが共に光に包まれているのを見た。もしかしてカウティスがいれば、お前はザクバラ国の
「カウティスに手を出さないで!」
水の精霊が突然声を上げて首を振った。
泥化が進んでいて、大きく動くことは出来なかったが、身体が傾きそうな程に必死に動かした。
「お願いだ! 出来ることはする! だからカウティスには……!」
リィドウォルが寝台に駆け寄り、ケープの裾を持って水の精霊の口を塞ぐ。
「騒ぐな、外の者に聞こえる! カウティスには何もしない」
信じられないのか、彼女は藻掻いたが、何分自由の効かない身体では、大した抵抗は出来なかった。
「落ち着け、確認しているだけだ。もしも、お前をカウティスの下へ帰したなら、詛を消すことが出来るのか……、っ」
言った途端、リィドウォルの心臓が軋むように痛み、水の精霊の口から手が離れた。
国王に『決して逃がすな』と命を受けている以上、背く事を口にしただけで身体は反応した。
『俺は、今
ジェクドの言葉が頭を
もしこの仮定が本当なら、まだ詛を解く可能性は断たれない。
「もしも……この足枷を外したら、お前は自力でネイクーンへ……戻り、詛を消せるのか……」
リィドウォルの黒眼に、切実な色が増す。
「せめてっ、……せめて、陛下唯一人だけでも良い……それが出来るなら、私は……」
震える手で、リィドウォルは泥に埋もれそうな足枷を握った。
「…………お前を……、っ」
脂汗を掻いて胸を押さえ、急激に顔色が悪くなっていくリィドウォルを見て、身体を
その手に
荒く呼吸をして咳き込み、リィドウォルは顔を歪めた。
水の精霊は警戒は解いていないのに、心配気な視線を向ける。
「……足枷を外せても、この姿では空を駆けることが出来ない。自力でネイクーンへは戻れないだろう。おぬしが何かの契約に縛られているのなら、命を懸けてまで私を助けようとしてはならない」
「…………お前は……どこまでも……」
リィドウォルは脱力して、寝台の側に腰を落とした。
水の精霊は弱く首を振る。
「それに……、カウティスがいても、詛を消せるのかどうかは分からない……」
国境地帯で“神降ろし”を行ったのは偶然で、再び解呪が出来るような神の御力を呼べるのか分からない。
「本当に、分からないのだ。それでも、ザクバラ国を必ず見守ると約束する。だから、お願いだ、カウティスに何もしないで……。お願い……」
精霊は、嘘をつかない。
右手を泥のような胸で握り、今にも泣きそうな声で懇願する水の精霊を見て、リィドウォルは自嘲気味に弱く笑った。
「……確かに私は、間違えたのだな……」
三国共有になっても、水の精霊はネイクーン王国以外には慈悲を施さないと思っていた。
竜人族によって、無理やり契約を更新させられ、仕方なく水源を守ることになったのだから、それだけの働きしかしないのだと。
ザクバラ国の現状を見ても、心を痛める筈などないのだと。
しかし、水の精霊はそういう者ではなかったのだ。
彼女はこちらが要求する前に、自分の意志で、三国を等しく見守ろうとしていた。
こちらが最初から斜に構えて、正面から彼女の性質に向き合っていなかっただけなのだ。
よく分かっているつもりで、真には“ネイクーン王国の水の精霊”を理解していなかった。
「……すまない……。おぬしの望みを叶えられない」
俯いてギュッと目を閉じ、胸の拳を震わせる水の精霊を、床に座り込んだままのリィドウォルは見上げる。
魔獣と称しても問題なさそうな姿になっているのに、その半顔はひどく美しく見えた。
「…………ごめんなさい……」
「もう良い」
震える細い声で謝罪され、初めて自然にリィドウォルの口から受け入れる言葉が出た。
「…………もう良いのだ。お前は何も悪くない、セルフィーネ」
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