問い掛け

リィドウォルは吹き飛ばされるようにして、高台の低木に背中から激突した。

激しい衝撃に息が出来ず、そのままズルリと地面に伏してあえぐ。


「リィドウォル様! 大丈夫ですかっ!?」

護衛騎士のイルウェンが、駆け寄って助け起こす。

上体を起こされて咳き込み、身体中の痛みと倦怠感に顔をしかめた。

「今のは何です!? 姿が消えたように見えましたが、魔術ですか!?」

顔面蒼白のイルウェンが、立ち上がれないリィドウォルに肩を貸そうとしながら聞く。


「……魔術?」

あの光は、そんな易しいものではなかった。

リィドウォルは光の渦の圧迫感で、ろくに目も開けられなかった。

耳鳴りのような不快な音の中で、身体の感覚もおかしくなり、水の精霊を抱き抱えているのかどうかもよく分からない。

微かに水の精霊とカウティスの声だけが聞こえたが、止めることも加わることも出来ずに、ただ耐えていただけだ。



ここで初めて、リィドウォルは両腕に水の精霊を抱えていないことに気付いた。


「水の精霊は…………、!」

視線を上げると、広場の中央に、毛布で包まれた人のような塊が横たわっていた。

リィドウォルはイルウェンを押し退けるようにして、身体を低くしたまま急いで近寄ろうとする。

どうせ水の精霊あれは動けないのだし、消滅するだろうと言っていたのだから後で良いのにと思いながらも、イルウェンは主に肩を貸した。




その時、毛布の塊が動いた。



はそろりと起き上がった。

高さが出て、スルリと毛布が滑り落ちると、まだ白い肌の残る、水の精霊の横顔が月光に照らされる。

水の精霊は細い右手の指を地面につき、横座りになったまま、伸び上がれるだけ伸び上がって首を反らすと、空に輝く青白い月を見上げてゆっくりと瞬きした。

長いまつ毛がふるりと揺れる。


彼女の身体の周りに、水色と薄紫の美しい魔力が立ち昇る。

ほう、と息を吐くように薄く口を開けると、身体の殆どが泥の塊のような姿なのに、恐ろしく艷やかだった。



「ば、化け物……!」

リィドウォルの身体を支えているイルウェンがおののき、空いている方の右手で片刃剣の柄を握った。

その手は小刻みに震えている。

「やめろっ!」

リィドウォルの手がイルウェンの手首を掴んだ。


突如、水の精霊の身体から、空に向かって魔力の筋が立ち昇った。

水面を逆さにしたように、魔力が当たった所から色褪せていた魔力の層に波紋が広がる。

それは幾重にも波状に広がりながら、水色と薄紫が薄く重なり合った、美しい魔力の層に変えていく。


「魔力が……元に戻った……」

リィドウォルは空を見上げて、目を見張る。

劇的な変化は、周囲の空気感すら変わったようで、呼吸まで楽になった気がした。



感嘆の声で呟き、陶酔したように空を眺めるリィドウォルを、隣で支えているイルウェンは、信じられないという目で見た。

ネイクーン王国へ使節団として赴いた時も、国境地帯に留まっていた時も、あるじであるリィドウォルは確かに水の精霊に執着していたが、こんな目をしていただろうか。


魔術素質のないイルウェンには、ずっと水の精霊は、いると言われてもいないようなものだった。

それがある日、突然姿を見せたと思ったら、その恐ろしく美しい姿を醜悪に崩していく。

そしていつの間にか、主をこんな風に変えてしまった。

水の精霊がザクバラ国の気を浄化すれば、ザクバラ国が腑抜けた国に変わってしまうのではないかと案じていたが、既に主は骨抜きにされているのではないのか。

主を元に戻すには、やはり水の精霊を消すしかないのでは……。


イルウェンの思考を止めたのは、魔術師長ジェクドの声だった。

「リィドウォル!」

この急激な魔力の変化に驚いて、高台を駆け上がってきた。

「何が起こって……」

息も荒く聞いたジェクドも、水の精霊の様子と、立ち昇る魔力を見て言葉を失い、立ち尽くした。





空に広がる水の精霊の魔力が、元の輝きを取り戻したことは、深夜だったというのにすぐに三国中に知れた。

精霊達の異常な動きを、各地の魔術士や、魔術素質の高い者達が感じたからだ。

その多くは、天変地異の前触れかと慌てて外へ出て、魔力が変化していく様を目の当たりにした。

そして、水の精霊が甦ったことを喜んだのだった。




「やった! セルフィーネはまだ消えないよ!」

ネイクーン王国の西部国境地帯で、川原に下りたハルミアンが興奮してマルクの肩を揺すった。

「良かった……」

ガクガク揺らされながらも、マルクは空を見上げて涙目だった。



完全に美しい色に染まりきった空を見て、ハルミアンが言う。

「それにしても、大規模な魔法が使われた気配はないし、今回のことは精霊達が自ら動いたのかな」

神々の意志か、魔法による使役で動かされるだけの精霊達が、何らかの形で手を貸したのだ。

「少なくとも、精霊達にもセルフィーネを救いたいという意思があるってことだ」


乱れた栗色の髪を撫で付けて、マルクは月光を弾くベリウム川を見る。

「以前、セルフィーネ様はこの一帯の狂った精霊を助けたくて、その中に入ったんだ。精霊達も、その時のようにセルフィーネ様を助けたかったのかも」

「同族愛ってやつなのかな……。何だか、魔法を使いづらくなっちゃうな」

ハルミアンが軽く顔をしかめた。

エルフの使う魔法は、精霊を魔力として消費する。


「とにかく、魔力が戻ったってことは、セルフィーネの“目”がこちらに届くようになるかもしれないってことだ」

マルクが川面から視線を上げる。

「……こちらからの働き掛けが、伝わるかもしれない?」

「そういうこと!」

横に立つハルミアンの深緑の瞳は、キラキラと輝いていた。






日の入りの鐘も近付く頃、村の高台から宿の一室に運ばれたセルフィーネは、寝台の上に置かれていた。



精霊達の繋げた場で、カウティスに『許すよ』と言われ、心のおりが流れ落ちるようだった。

申し訳ないと思う重くて苦しかった気持ちを、何も聞かずに全て受け入れてくれたカウティスの優しさが胸に沁み入り、固まってしまっていたセルフィーネの心を溶かした。


意識がはっきりと戻ってすぐ、セルフィーネは長年カウティスの身に纏わせ続けていた、自身の魔力を解いた。

だからといって、カウティスの中に生まれたのろいが消えるわけではないのは分かっている。

それでも、原因となった魔力を纏わせ続けることは、恐ろしくて出来なかった。


一瞬だけ、繋がりが途絶えた様な気分になって胸が痛んだ。

でも、もうどんなことがあっても絆が消えたりしないと信じることが出来る。

詛を負わせてしまった償いは、彼の元に帰ってからだ。

その為にも、どんな形でも、どんな姿になっても、カウティスの元に帰る。


セルフィーネは顔を上げ、光の戻った紫水晶の瞳で、部屋の入口に立つ魔術士を見た。




「……ザクバラ国は、これから私をどうするつもりなのだ」

もう手の施しようのない状態だと思っていたのに、しっかりと意識を保って声を発した水の精霊に、入口に立ったジェクドは目を見張る。

「驚いたな……本当に復活するとは。一体何がどうなったのやら……」


リィドウォルは体力的な消耗が酷く、半ばイルウェンに担がれるようにして宿に入ると、そのまま気を失ってしまった。

宿に到着するまでに何とか聞き出した内容は、精霊が“魔穴まけつ”のような特殊な場を作ったのであろうことと、ネイクーン王国のカウティス王弟が、その場で水の精霊の正気を取り戻したということだった。



ジェクドは目の前の水の精霊を見詰める。


高台から運ぶ時、『触るな』と暴れたので、仕方なく無理やり毛布に包んだ。

ずっと毛布の中で藻掻いていたので、僅かに残っている無事であった皮膚も、とうとうただれに覆われてしまうだろうと思った。

しかし予想に反し、毛布をはぐって出て来た姿は高台にいた時と同じで、よく見れば、固まっていた泥の境目から滲み出ていた爛れも止まっていた。


間違いなく、狂いの進行が止まっている。

そして、それを止めたのは、カウティス王弟なのだろう。


思えば最初から、水の精霊と王弟との関係は特別なものだと分かっていた。

だからこそ、いつか水の精霊をザクバラに得ることが出来た時の為に、王弟をタージュリヤ王太子の配偶者にと望んだのだ。

しかし、それは叶わず、状況は予想していなかった方へ大きく流れてしまった。


やり直そうにも、一体どこからやり直せば良いというのか。




ふうと息を吐いて、笑うしかないというように、ジェクドが弱く笑む。

「正直言うとな、俺達もどうするべきか悩んでるよ」

迷いの混じる声音に、セルフィーネは眉を寄せる。

「悩む……。何を?」

「お前にこちらの望みを叶えてもらう為には、どうするべきかってことをさ」


ジェクドは扉近くから寝台に近付き、木の椅子を引っ張ると、ガタンと音を立てて座った。

セルフィーネは警戒したように、寝台の上で身を固くする。


「俺達は、ザクバラ国を変えたい。その為には淀んだ国中の気を払う必要がある。しかし、リィドウォルはそれだけでは駄目だと言う。詛を全て根本的な原因を消さなければ、変えることは出来ないってな」

寝台の上で、上目に見て黙っている水の精霊に向けて、魔術師長はゴリと椅子の脚を鳴らしてにじり寄る。


「この国を清め、苦しみにあえぐ民を助けられるのが唯一水の精霊お前だけなのだとしたら、ザクバラ国俺達は一体どうするべきなんだろうな」

ぐいと顔を寄せたジェクドは、変わらず弱く笑んでいたが、その黒眼は切迫して見えた。



「なあ、水の精霊よ、お前はどう思う? ザクバラ国の民俺達が慈悲を求めたら、お前は『今更だ』と言うのか?」





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