思い付き

カウティスが7歳を迎える前のことだ。

ある朝、セルフィーネは日の出の鐘が鳴って、庭園の泉に立ち尽くしていた。



今朝は、カウティス第二王子が来なかった。

毎朝ここへ来ては、『水の精霊、いるか?』と声を掛けるので、すっかり呼ばれる前に構えて待つようになってしまった。

それなのに、今朝は来なかったのだ。


大雨の日は来ないが、そうでなければ王子は木剣を握り締めてやって来る。

昨朝は霧雨のような雨が降って、土の季節にしては冷えたが、やはり元気に走って来たのに、なぜ今日のような天気の良い日に来ないのか。



もう日の出の鐘が鳴ったのだから、どんな理由であれ、今朝は来ないのだ。

それなのに、何故かセルフィーネは泉から離れられなかった。

どうして王子は来なかったのだろうと、気になって仕方がない。


それは、セルフィーネにとって初めてのことだった。


それで、視界を広げて王城でカウティスを探した。

カウティスはすぐ見つかった。

おそらくカウティスの居室であろう場所で、寝台に上体を起こし、果物のような物を食べている。

普段よりも頬は赤く、少しだるそうだったが、寝台から出たいと言って、侍女にたしなめられていた。


微熱かあるのですから、無理してはいけませんというような言葉が聞こえて、セルフィーネは首を傾げた。

カウティス第二王子は、やると決めたら集中してやらねば気が済まない気質のようだが、人間の身体、特に子供の身体というのは、無理をし過ぎると病気になったり、怪我をしたりするようになっているようだ。


『 今朝も泉に行きたかったのに…… 』


カウティスが水を飲もうと、グラスを口に付けてポソとつぶやいたので、その声はセルフィーネの耳にはっきりと届いた。


何故か、胸の奥が揺れた気がして、セルフィーネは再び首を傾げた。

水色の長い髪が、フワと膨らむ。

今のはなんだろう。

よく分からない。

分からないが、明日は王子がここに来られると良いと思った。


そして、ふと思い付く。

カウティス王子に、魔力護りをつけてやろうか。


セルフィーネ自身に実感はないが、精霊の魔力が付いた者は、身体が丈夫になったり、怪我をしにくくなったり、穢れに強くなったりするという。

周囲に幸運も呼び寄せると言って、人間はとても有り難がるのだ。


そうだ、そうしよう。

そうすれば、王子はもっと身体が強くなって、鍛練を休むことも少なくなるだろうし、休まず鍛練出来れば、剣術の腕ももっと伸びて、きっと喜ぶだろう。



セルフィーネはその日、カウティスに薄く自身の魔力を纏わせた。

そうしてその日から、セルフィーネがフォグマ山で眠っていた十三年半の間も変わらずずっと、カウティスは魔力を纏い続けた―――。






水の季節後期月、一週五日。


午前の二の鐘が鳴る頃、ザクバラ国の王城を出て、東部へ向けて走る大型の馬車の中に、セルフィーネはいた。


防腐の魔術布を座席に広げ、その上に横たわったセルフィーネは、馬車の振動のまま力なく白い腕を揺らしている。

身体の表面半分は、既に赤黒い泥の塊のようになっていたが、両腕の殆どは、まだ白く美しい陶器のような肌を見せていた。


向かい側に座っているのは、リィドウォルと魔術師長ジェクドだ。

彼等は今、貯水池のせきが決壊した地域に向かっていた。


半実体で動けなくなっている水の精霊を運ぶには、馬車が必要だ。

大きな木箱に詰めて、荷馬車に入れてやろうかとも考えたが、目的地につくまで目が届かないのは困る。

結局、馬車に乗せて、同乗することになった。




「ごめ……、さ……い……」


座席の上で、虚ろな瞳の水の精霊が、うわ言のように言葉を零した。

まただ、とリィドウォルは密かに眉を寄せる。


カウティスがのろいに侵されている原因を突き付けてから、水の精霊は信じられないというように、力なく首を振り続けていたが、暫くして倒れるように床に伏してしまった。

瞼は完全に閉じていないので、意識はあるのだろうが、その瞳は虚ろで、何も映さない。

そして、時々うわ言のように、今のような謝罪の言葉を零した。



「一体、何に対して謝っているのか……」

「そりゃあ、お前、カウティス王弟にだろうよ」

ジェクドが顔をしかめた。

案の定、“カウティス”という名を耳にすると、水の精霊は一瞬、切なそうに唇を震わせた。


カウティス王弟大切な人が詛に侵されたのは、お前のせいだと言われたのだ。

王弟が最大の弱点だとリィドウォルが形容した程なのだから、それは大きなショックだったろうと想像出来た。


だが、リィドウォルはジェクド以上に顔を顰める。

「カウティス本人がいないのに、謝罪して何になる。鬱陶うっとうしい」

「……お前、この間から何にそんなにカリカリしているんだ?」

セルフィーネが座席を一つ占領しているので、仕方なく向かい側の座席に並んで座っていたジェクドが、隣のリィドウォルを眺めていぶかしむ。

「……していない」

「いや? してるぞ。水の精霊がこの姿を見せてからだな。のろいのせいかと思ったが、そういう感じでもなく……」

言い淀むジェクドを、リィドウォルは横目で睨む。

「何だ?」

「……何というか、子供の癇癪かんしゃくみたいだな。水の精霊がこうなったのが、気に入らないのか?」

ギュウッとリィドウォルの眉根が寄る。


垂れた黒髪を乱暴に掻き上げて、不快感と苛立ちをあらわにしたが、反論はしなかった。

代わりに、あっさりとその話をなかったことにするように、違う話題を持ち出す。


「しかし、えらくタイミング良く水害が起きたものだな」

あからさまに話題を変えたいらしいリィドウォルに、仕方なくジェクドは乗ってやることにする。

「ああ、タージュリヤ殿下も思い切ったことをなさった」

その答えを聞き、広がりかけていたリィドウォルの眉根が再び寄り、嫌悪感をあらわにジェクドを見遣る。

「人為的に、せきを切ったのか!?」

「苦肉の策だ。上辺だけでは陛下に見破られる。住民はあらかじめ避難させて、被害は最小限にしたつもりだが、それでも領地の被害はそれなりに大きい」

「よくそんな事を領主が了承して……」


冷静に言うジェクドを、リィドウォルは睨みつけて言いかけたが、目を閉じて頭を振った。

「お主の領地か……」

「正しくは、俺の嫁さんの領地だな。元々水害対策が必要だったところだ。大規模な改造計画を練っていたのもあって、殿下と密約を交わした。殿下の即位後に、親族の貴族院入りも約束を取り付けてある」


リィドウォルの凍るような目線を受けて、ジェクドがフンと鼻を鳴らす。

「死ぬ気の奴に先の事を咎められても、痛くも痒くもないな。気に入らないのであれば、生き残ってお前が殿下の周りにたかる虫を払えよ」

 

諦めずに生き残る道を探せと、言外に言い含められたようで、リィドウォルは返事をせずに再び髪を掻き上げると、足を組んで窓の方を向いた。


厚いカーテンのついた窓からは、外は見えない。

それも又腹立たしく、リィドウォルは眉根を寄せたまま目を閉じた。





日の入りの鐘が鳴って暫く。


フルデルデ王国のオルセールス神殿では、月光神殿の祭壇の間で、女神官から通信の報告を受けたアナリナが、驚きのあまり杯を落とした。

聖水を作る為に持っていた銀杯が、高い音をたてて床で一度跳ねたが、アナリナは拾おうともしない。



「……ネイクーン王国のカウティス王弟が、聖騎士認定された……?」

女神官はアナリナの側に寄って、転がった杯を拾おうと手を伸ばす。

「はい。月光神の聖紋を授かった、正聖騎士だそうです。イスターク猊下が、今日宣誓式を執り行われたと……」

「バカッ!」

頭上での聖女の大声にビクリとして、女神官の手から、銀杯が再び床を転がる。


「カウティスの馬鹿馬鹿! ホントにバカじゃないの!? 一直線すぎるでしょ!」

ザクバラ国に入る視察団に同行する為、聖騎士になったことは目に見えている。

聖紋の欠片を刻まれていても、自分からさらさなければ、聖職者として登録なんてされなかった筈なのだから。


「他に方法がなかったのっ、もう……!」

言いながら、アナリナは水色の祭服の袖を握る。

顔を上げ、月輪を背負った、静謐な月光神の像を睨んだ。



きっと、急ぐには他に方法がなかったのだ。

セルフィーネを救う為の最善の方法が、聖職者となることだったのだ。

理解は出来るが、聖職者になるということが、己だけでなく周囲にどれ程の痛みを与えるものなのか知っているアナリナには、思い切ったカウティスが恨めしかった。


その反面、それ程に真っ直ぐな彼を、まだ好ましいと思う自分を感じて、少し胸が痛む。

「バカッ!」

誰に言ったのかも分からない言葉を発し、アナリナは女神官を振り返る。



「今から言うこと、新米聖騎士に通信して!」




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