聖騎士認定

水の季節後期月、一週五日。


午前の二の鐘から行われたイスターク司教との謁見では、司教を代表とする視察団が、ネイクーン王国側からザクバラ国へ入ることが、正式に知らされた。



「視察には向かいますが、おそらくは、聖職者我々にザクバラの民が呪詛だと訴えているものは解けません」

キッパリと言い切ったイスタークを、後ろに並んだ聖騎士と神官は困惑して見詰める。

これから視察に向かおうというのに、司教は隣国の国王に何を言うのか。


「……では、イスターク猊下はなんの為にザクバラ国へ向かわれるのか?」

「オルセールス神聖王国の体面を保つ為に派遣されるのです」

イスタークはエルノート王の問いにも、事も無げに答える。

後方の聖職者達はもう顔色も無い。



エルノートはいぶかしんでイスタークを見る。

この司教がわざわざザクバラ国へ向かう前に謁見要請したのには、理由があるはずだ。


「ザクバラ国の淀んだ気は、それこそ国中を一斉に解呪するような大規模な試みでも成さねば、どうにかなるようなものではないでしょう。それにはザクバラ国が協力的でなければなりませんが、今のところ、中央にそういった期待はできそうに有りません」

あっさりと言ったイスタークは、どこか達観した様子だ。

「そこで、陛下には難民の流入に備えて頂きたく、進言に参りました」

「難民の流入? それは、ザクバラ国から、ということだろうか」

「そうです」

イスタークは頷いた。


ザクバラ国民から多くの訴えが上がっている“呪詛”とは、国を覆う淀んだ気のことだが、それが水の季節に入ってから急激に悪化した。

オルセールス神聖王国でも、すぐにどうにか出来るものでもなく、もしかしたら改善の鍵となるのでは、と期待した水の精霊の魔力もあの状態だ。

既にザクバラ国内各地の神殿には、魔獣や災害による難民が入っている所もあり、中央がきな臭い今のままでは、いつ爆発的に難民が増えるかも分からない。

そして、そうなった時には神聖王国だけでは擁護しきれないだろう。



「ネイクーン西部の国境地帯では、両国が協力をして復興に当たっており、ザクバラの民が助けを求め易い環境にあります。今後ザクバラ国で何かあれば、おそらく難民が流入するのはあの地域でしょう。その際には、ぜひ御助力を」

エルノートは角ばった顎を指で撫でる。

災害に際し、困窮する他国民を救済することはやぶさかではない。

前もって知らせて貰え、備えられるのは有り難い事でもある。


しかし、ザクバラの民を西部の国境地帯に留めるのは、リスクも伴う。



「相分かった。しかし、オルセールス神聖王国の本分に助力するとなると、我が国に旨味はあるだろうか。……猊下には、私の大切な物を一つ持って行かれてしまうので、正直私は、ここで快く頷く気にはなれない」

エルノート王が珍しく、公的な場で私的な気持ちを口に出したので、この場にいたネイクーン王国の貴族や官吏達はざわついた。


イスタークは薄く微笑む。

「ザクバラ国に恩を売っておくことで納得頂けませんか?……後は、そうですね、私に貸しを一つ作っておく、ということでどうでしょうか」

エルノートは壇上で薄青の瞳を細め、イスタークと暫く見合った。

「……良かろう。西部を中心に、備えを急いでおく」

「感謝致します、陛下」

ずっと後ろでやきもきしていた聖職者達が、目に見えてほっとした。




「ああ、それから」

謁見終了かと思うタイミングで、イスタークが口を開いた。


「ネイクーン王族から、月光神の御力を頂き、聖職者となった者がおります」


ざわと謁見の間にいた者達が色めき立った。

エルノートが王座で肘掛けをキツく掴む。


「本来ならば、本国か神殿にて認定を行うのですが、せっかくこのような場が整えられているのですから、この場にて宣誓式を行い、認定させて頂きたい。その方が、誰の為にも良いでしょう」

薄い笑みを称えたまま、イスタークは王座の一段下にいるカウティスを見遣る。

「……まさか、今になって怖気付いたりはなさらないでしょうね?」

周囲の目がカウティスに集まる。


黒の詰襟に藍のマントを付けたカウティスが、躊躇ためらう事なく前に出ると、王座のエルノートに視線を向ける。

「陛下、この場をお借りすることをお許し願えますか」

「……許す」

カウティスはゆっくりと立礼して、きびすを返す。



カウティスが目の前に来て、イスタークの前で膝を折って長剣を床に置くと、ネイクーンの者達は更にざわついた。

王族から聖職者とは、まさか王弟なのかと騒ぎ始める。


イスタークは笑みを消し、すうと息を吸う。

「これより、この者を正聖騎士として認定する為の宣誓式を行う。立会人は、この場にいる全員とする。静粛に」

イスタークの通る声が響き、謁見の間に一瞬で静寂と緊張が走った。




イスタークの堂々とした声を聞きながら、カウティスは床に置かれた長剣を見詰める。


水の精霊に、『騎士は無理だ』と言われて木剣を握り始めたあの日から、この剣で、この手で、多くを守りたいと願ってきた。

その全てがこのネイクーン王国と共にあった。

今、そのネイクーン王国から籍を抜かれ、大切なこの王城場所から離れる。


カウティスは奥歯を噛んで、青空色の瞳に、強く力を込める。

決して後悔しないしないために、真っ直ぐに前を見てこの先を進んで行く。


カウティスは胸に当てた右手を握った。

その掌は熱い。




この日、ネイクーン王城で突如発表され、正式に聖騎士として認定されたカウティス王弟の聖職入りは、瞬く間にネイクーン国内に知れ渡り、各地に衝撃をもたらしたのだった。







「あーっ。もう、何なのさ。僕の友人は、みーんな聖職者になるって決まりでもあるの!?」

ブツブツ怒りながら、魔術符の元になる特殊紙を机に並べているのはハルミアンだ。

ネイクーン王国の魔術士館で、濃緑ローブになったマルクに与えられた部屋の机上を陣取っている。


「これでマルクまで『聖職者になりました』なんて言ったら、僕、もう神聖王国に引っ越さないといけないじゃないっ!」

その怒り方に、今まで何とか宥めようとしていたマルクが噴き出す。

「何!? そこ、笑うところなの!?」

「いやぁ……、もう、何ていうか、ありがとうハルミアン」

怒っているのに、マルクが嬉しそうにお礼を言うので、ハルミアンは脱力する。

「何で『ありがとう』なのさ。僕は怒っているのに」



カウティスが聖騎士になることを、マルクとハルミアンが教えられたのは、昨日の夜だ。

正確に言えば、もう既に昼間イスタークに登録されていたので、話を聞いた時には聖職者だった。

明日にも聖騎士として認定を受けて、王城を出ていくと言うカウティスに、魔術師長ミルガンをはじめとする魔術士達は、開いた口が塞がらなかった。


ハルミアンなりにセルフィーネとカウティスを心配していたのに、知らぬ間にイスタークまで一緒になって、別方向で解決の糸口を見つけていて、疎外感が物凄く大きかった。

それで、ついそのまま怒っていたのだが、マルクと一緒にいたら、何だか馬鹿らしくなってきた。


「……マルクはあんまり驚いてなかったよね」

ハルミアンが椅子の足をガタガタ鳴らして聞けば、マルクは栗色の眉を下げた。

「突然だったから、驚いたよ。……でも、カウティス王子とセルフィーネ様は、いつか月光神の使命の為に動く日が来るんじゃないかって、ずっと思っていたから……」


ベリウム川から狂った水の精霊セルフィーネを救い出した時から、二人の特別な関係には月光神が様々に関わってきた。

側でずっと見てきたマルクには、驚きよりも、とうとうこの日が来たのだというような気持ちの方が大きかったのだった。



「でも、セルフィーネの為に全てを捨てるなんて、すごい思い切ったよね……」

ハルミアンが感嘆の息を吐いて言った。

「王族の身分を捨てても、王子の中に残ってるものはたくさんあるはずだし、私達がちゃんと繋げていく」

西部での復興支援も、カウティスはただ指示するだけの上役ではなかった。

彼が精一杯やって来たことは、マルク達が受け継ぐ。

「ネイクーン王国籍が失くなっても、王子はずっと、ネイクーンを思っていて下さるよ。そして、セルフィーネ様も……」

マルクが手を握りしめる。

ザクバラ国へ向かう前にマルクの手を握ってくれた事を思い出し、胸が痛んだ。


どうか、無事でいて欲しい。

窓から見える空の魔力は、すっかり色を失っていて、そんな彼女の置かれている状況を想像するだけで堪らない気持ちになる。




キツく握ったマルクの拳を優しく叩いて、ハルミアンは机に向かう。

「明日王子が……ああ、もう王子って呼んじゃいけないんだっけ。カウティス達がネイクーンを出てしまったら、僕達が直接出来ることはなくなる」

聖職者の視察団として行くのだから、無関係の者は手出しできない。


「だから、僕達にしか出来ないことをしよう、マルク」

ハルミアンが机の上の特殊紙を手に取る。

マルクは一度、窓から見える空を眺めると、表情を引き締めて、ハルミアンの隣に立った。




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