真実

ザクバラ国の魔術師長室では、リィドウォルとタージュリヤ王太子が向き合っていた。


リィドウォルが話をする間、魔術師長ジェクドは何度か巻煙草を手にしたが、口にまで持っていかずに下ろし、その間に何度も側の床にうずくまる水の精霊を見下ろした。




「ザクバラ国の“のろい”を全て消し去る……。そのような事が可能なのですか?」

タージュリヤが問うた。


政変に協力を乞うた時の約束では、リィドウォルは、既に詛に侵されている国王を解放し、王を正気に戻したいと言った。

その後、血の契約を解くという話だったはずだ。

しかし、リィドウォルの宿願は、ザクバラ国に根付き絡みついた詛を、全て浄化するというものだった。


「ネイクーン王国の水の精霊ならば、それが可能だと確信していました。なぜならば、国境地帯を浄化したのは、水の精霊この者だからです」

リィドウォルが、床に蹲る水の精霊を見た。

彼女は、青紫の細い髪を垂らして俯いていて、その表情をうかがうことは出来ない。


「あの地は確か、月光神の御力で清められたのではありませんでしたか?」

「結果的には、月光神の御力で清められましたが、あれは水の精霊が月光神を降ろした事で起こったのです。聖女の奇跡神降ろしを、この者が行ったのです」

タージュリヤは目を見張って水の精霊を見た。

「聖女や聖人の“神降ろし”は、その目に見える範囲でしか力が及ばないといいます。ですが、水の精霊には国を覆う魔力があり、魔力が届く範囲に広げられる目があります。つまり、この者の魔力が届く全てに、神の御力は届けられる」


部分的に気払いしても解呪しても、一時しのぎにしかならない。

ザクバラ国中に神の御力を降ろし、王族に絡んだのろいと、国を覆った淀んだ気を一度に解呪する。

そうして初めて、ザクバラ国が全て浄化される。


竜人族の血を取り込む以前の、あるべきザクバラ国に還れるのだ。




「リィドウォル卿の考えは理解しました。しかし……、水の精霊がなってしまった今、それでも神を降ろす奇跡を起こせるのでしょうか」

タージュリヤが白いおもてを曇らせる。

今や水の精霊は、思わず目を背けたくなるような姿だ。

身体の半分は赤黒い泥の塊に覆われ、新しい傷からはぐずぐずとただれを滲ませる。

それなのに、その周りは清々しく朝露のような蒼い香りに満ちていて、異常な状態である印象を強くした。


「神聖力は失くしていないようですから、“神降ろし”を行う力は持っているでしょう」

リィドウォルはセルフィーネの側にしゃがみ込む。

「……この者は、きっと……いいえ、必ず“神降ろし”を行います。何故なら、カウティス王弟も又、のろいを色濃く受け継ぐ者だからです」



不穏な言葉が聞こえて、セルフィーネはピクリと身体を震わせた。

下を向いていた頭を少し持ち上げる。

青紫色の髪の間から、うかがうようなリィドウォルの顔が見えて、腹の中が煮えるような感覚を覚えた。



自身の魔力全てを搾り取らんばかりの話にも全く反応しなかったのに、カウティスの名が出た途端、目に見えて顔色を変えた水の精霊が滑稽こっけいで、リィドウォルは苦笑する。


「カウティス王弟に魔術素質は無いと聞いています。それなのに、のろいを継ぐ者だと言うのですか?」

タージュリヤが水の精霊から目を離し、リィドウォルに向き直った。

「そうです。竜人族の血を取り込んで始まったザクバラ王族の変異は、少しずつ様相を変えて、“詛”と呼ばれるものに変化しました。詛が強く表れる者は、決まって魔術素質が高い為、魔術素質が高い者のみに継がれているという認識がされていましたが、それはおそらく誤りです。詛は王族の血を引く者全てに、等しく受け継がれている。魔術素質が高い者にだけ、目に見えて強く表れているだけです」


「何故そう思うんだ?」

側に立っているジェクドが、リィドウォルと水の精霊を見下ろして聞いた。

「……カウティスに、詛の兆候を見たからだ」


「…………うそ」


水の精霊が、ボソリと言った。

垂れ下がった細い髪の間から、紫水晶の瞳がリィドウォルを凝視している。

「嘘ではない。国境地帯でカウティスの身からのろいの兆候を見た。お前が水球を投げつけて来た時だ。目を覗けばはっきり分かるが、そこまでは出来なかった。だが、身の内から暗いものが湧く、あの感覚。あれは、間違いなく“詛”だ」

同じ感覚を何度も味わってきたリィドウォルには、間違えようもない。


「……っ、違う!」

セルフィーネは腹の中から煮えるものを吐き出した。

それは彼女の中で育った、初めての怒りの感情だった。


「嘘つき! おぬしの言葉は嘘ばかりだ! カウティスは“詛”なんて継いでいない!」

「本当にそうか? お前はカウティスが暗い感情に呑まれるところを見たことはないか? カウティスが、お前に香りを感じると言ったことは? 人間で精霊の香りを感じることが出来るのは、詛に侵され始めた者だけだ」

セルフィーネが鋭く息を呑んだ。


青紫の髪を乱し、肩で息をする水の精霊を、リィドウォルは注意深くうかがう。

ザクバラ国王が香りについて口にした時、水の精霊は激しく反応した。

それは、カウティスに関係している事だったからではないのだろうか。


セルフィーネは強く首を振る。

「……そんなのは、嘘。おぬしは今、魔術素質が高い者にのろいが表れると言ったはず! 魔術素質のないカウティスに表れるはずがない!」

「そうだ。そんなはずはなかった。カウティスもマレリィと同じ様に、ネイクーンで詛に関わることなく生きていけるはずだった。……だが、お前がきっかけを作った」

リィドウォルがセルフィーネのただれた胸に、指を突き付ける。



「魔力に縁のなかったカウティスに、お前が常に魔力を纏わせた。魔術素質の高い者と同様の条件にしたのだ。カウティスが身の内に秘めたままであるはずだった“詛”を、呼び覚ましたのだ!」



セルフィーネはおののき、目を見張って何度も首を振った。

違う、そんなはずはない。

そう言いたいのに、言葉が出ない。


三国共有が差し迫った時、カウティスの中に暗いものが湧き上がるのを感じた。

ただの怒りとも、悲しみとも違う。

絶望と憎しみに満ち満ちて、周りの物全てを飲み込んで破壊し尽くそうとする、あのどろどろとした暗いもの。

セルフィーネが恐れ、カウティスに飲み込まれないで欲しいと願ったが、“のろい”であったのだ。



リィドウォルは手を降ろして立ち上がった。

信じられないというように、弱々しく首を振り続ける水の精霊を見下ろし、冷たく声を落とす。

「カウティスをザクバラ国王のようにしたくなければ、お前が全てを浄化するのだ、セルフィーネ」







ネイクーン王城にカウティスが戻り、エルノート王の居室を訪れたのは、日の入りの鐘が鳴って一刻は経っていた。



「……カウティス、今、何と言った? もう一度言ってみろ」

人払いされた室内に、エルノートの声が響く。

居室に戻ってすぐだったのか、マントを外しただけの詰襟姿でカウティスの話を聞いていた。

しかし思わぬ内容に、エルノートは緩めかけていた首元をそのままにして聞き返した。


「……聖騎士として、イスターク猊下の視察団に同行します」

「認めない」

強い口調でエルノートが即答した。

「大人しく待てと言ったはずだ。フルデルデ王国と共に、使者を送る手筈も整えている。セイジェのザクバラ国行きで分かることもあるだろう。必ずセルフィーネを取り戻す手立てはある」

マレリィが懸念していたように、エルノートも又、カウティスをザクバラ国の中央へ行かせるべきではないと思っていた。

「焦るな、カウティス」


ピシャリと言ったエルノートを見て、カウティスは一度唇を引き結んだ。

しかし、首を振り、エルノートに右掌を広げて見せる。


カウティスの掌には以前から、月光神の聖紋が部分的に痣のように刻まれていた。

しかし、今広げた掌には、欠けていたはずの部分が青白く弱い光を放ち、まだらではあっても聖紋として完成されていた。

「それは……」

「聖紋を刻まれた聖職者として、オルセールス神聖王国に登録されました。明日、正式に聖騎士として認定を受けます」

そう言ったカウティスは、最近は穏やかな笑顔の増えていた兄の表情が凍るのを、胸の痛みと共に受け止める。



「聖職者だと……。そなたは、ネイクーン王国の……国王の弟だぞ……」


神聖力聖紋を授かれば、どんな者であってもオルセールス神聖王国所属となるのがこの世界の決まりだ。

例え王族であっても、例外はない。

理解はしていても、エルノートはカウティスに詰め寄って肩を掴んだ。

「カウティス! そなたは私の盾となり剣となって、共にこの国を背負うと誓ったであろう! 私に忠誠を誓うと……、っ!」

「その誓いに偽りはありません! 今も、これからも、私の忠誠は兄上のものです!」


カウティスは崩れ落ちるようにしてその場で跪礼きれいする。

「しかし、月光神は私にセルフィーネの下へ行けと命じているのです。この時の為に、私に聖紋の欠片が与えられていたのだと思えてならないのです!」


なぜ中途半端で、聖職者として認定もされないような聖紋を与えられたのか。

なぜ、セルフィーネと二人で一つの聖紋なのか。

ずっと疑問に思っていた答えは、きっと、これなのだ。


「どうか! どうかお許しを、兄上……」


深く頭を下げたカウティスの頭上で、エルノートは一言も発さなかった。

強い葛藤の気配だけを感じて、カウティスはただ拳を握りしめて、耐え難い沈黙を受け止める。





「……明日、午前の二の鐘に、イスターク猊下に謁見許可を出してある。……別れの時間は短い。行け」

長い沈黙の後、エルノートが言って背を向けた。


明日、聖騎士として認定を受ければ、その時点でカウティスはネイクーン王族ではなくなる。

自由に王城の中を動けるのは、そこまでだ。


カウティスは強く奥歯を噛んで、震えそうになる身体を叱咤しったして立ち上がる。

これ以上何も言えず、兄の背中に向けて、黙ってゆっくりと立礼すると、居室を後にした。




「……セルフィーネ、そなたを初めて恨みに思うぞ」

エルノートは拳を額に当てて呟いた。





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