水面下 (後編)

水の季節前期月、六週四日。


夕の鐘が鳴って少し経った頃、滞っていた政務書類に目を通す為、国王の執務室の続き間に入っていたリィドウォルに、魔術師長ジェクドが会いに来た。



「帰国命令だと?」

リィドウォルが書類から顔を上げる。

「ああ。ついさっき、ネイクーンからの通信があった。ネイクーン王城の魔術士館で不測の事態が起こったとかで、一旦全員引き上げさせろと王命が下ったらしい」

ネイクーン王国の魔術士六人を拘束した後も、こちらの動きを疑われない為に、監視下で通信は継続させていた。


ジェクドに見せられた通信の紙を一瞥いちべつし、リィドウォルは小さく舌打ちした。

「……何かを勘付いたか?」

「どうする。ネイクーンの第三王子が越して来るまで、もう半月程だ。ここで目に見えて揉めるわけにはいかんぞ」

ジェクドが紙を折り畳み、腕を組む。

「ネイクーンの王が帰せと言うなら、帰さぬ訳にはいくまい。……記憶操作して帰そう」

六人の魔術士を記憶操作することを考えると、その負担度合いに頭が痛くなる。

額を押さえるリィドウォルに、ジェクドが追い打ちをかける。

「魔術士達を帰すなら、水の精霊の枷も、新たに何か充てがう必要があるんじゃないか」


慈悲深い水の精霊ならば、ネイクーン王国の人間でなくても、目の前で命の危険にさらされれば放っておけないだろう。

命を枷として使うのならば、いくらでもやりようがあるはずだ。


考えを纏めようとしていたリィドウォルの下に、侍従が慌てて走り寄った。

「リィドウォル様、陛下がもうすぐこちらにお越しです」

「陛下が!?」

リィドウォルは勢い良く立ち上がり、ジェクドと目を見合わせた。




ザクバラ国王は魔術具の車椅子で、王の執務室へ入った。

リィドウォルをはじめ、ジェクドや文官達が立礼で迎える。


「この空気……、久しいな」

王の掠れた声と、車椅子の動く極小さな音が、並んだリィドウォル達の前を通って執務机に向かった。

視線を上げられないリィドウォルに、側に並ぶ文官達の息を呑む音が聞こえた。


「リィドウォル」

呼ばれて、リィドウォルはようやく視線を王に向ける。


車椅子に座った王は、ゆったりとした衣服を身に付けていても分かる程やせたままだ。

それなのに、部分的に不自然に肉が盛り上がっていた。

赤く、新しい肉が、内から湧いて出たように、枯れ木のような皮膚から数カ所盛り上がっている。

落ち窪んだ目の下の左頬や、顎から首に掛けてにも、小さなこぶのように赤い肉が盛り上がる。


それは誰が見ても異様な姿だった。

覇王と期待された特別な王が、ザクバラ国に戻ったと喜んでいた誰もが、その姿に愕然とした。

あれは本当に、我が国が復帰を願っていた国王なのだろうか……。


執務室ここの空気は落ち着くな。やはり、明日からはこちらで公務に当たることにする」

王が満足気に言った。

その穏やかな黒眼に反して、纏う気も魔力も何と暗いことか。

リィドウォルは強張る口を開く。

「……御意のままに」



王がとうとう居住区を出た。

何とか極一部の者だけで囲っていた王が、多くの人々に、その姿を晒してしまう。


――――もう、本当に時間はない。


水の精霊の回復を急ぎ、のろいを解かなければ。

王が討たれるような事があれば、全て終わる。



リィドウォルは王の暗い気配におののきながら、自らもその気を纏い始めていることに気付いていなかった。






水の季節前期月、最終日。


ネイクーン王国、西部国境地帯の聖堂建築予定地では、ハルミアンが基礎工事の現場にいた。

大きな肩掛けのカバンを下げて、作業員の代表者と睨み合っている。



「だから! 魔術だって万能じゃないんだから、一日間を空けるべきなんだってば」

「それだと作業予定がずれるだろうが。作業魔術士が何の為にいると思ってるんだ」

両者は互いに譲らず、辺りには険悪なムードが漂い始めている。


ぐぐっとハルミアンが口を大きく歪ませた。

見目良い顔立ちには似つかわしくない表情で、次に口に出そうとしていた言葉を、無理やり飲み込む。

現場で作業員とぶつかって、イスタークに迷惑を掛ける訳にはいかないのだ。



ハルミアンが何か言いたそうなのに黙ってしまったので、作業員は溜め息を付いて作業に戻ろうとする。

遠巻きに見ていた作業員達の中から、「まったくあのエルフは何の為に来てるんだか」と、呆れたような声が聞こえて、ハルミアンはハッとする。

聖堂建築の現場に無理やり入れてもらったのは、聖堂建築に興味があったからだけではないし、勿論、イスタークの側にいたいからだけでもない。

歴史的建造物になる聖堂を、より素晴らしい物にする為。

そして、イスタークの役に立つ為だ。

それなのに、意見を飲み込んで良い訳がない。

作業員達は、建築作業に関してはハルミアンよりも技術が上だ。

でも、知識と理論に関しては、ハルミアンの方がずっと上なのだ。


ハルミアンは数度深呼吸する。

セルフィーネとマルクのアドバイスを思い出して、どういう言い方をすれば言いたいことが伝わるか、頭の中で整理し直した。



「あのね!」

ハルミアンは作業員に向かって、再び声を上げた。

「長雨で濡れた土地を、作業魔術士が乾燥させたでしょう?」

回り込んで、基礎工事を行う場所を指差した。

「自然乾燥と違って、魔術で強制的に乾燥を行うと、反動で土が周辺の水分を取り込もうとしてしまうんだ。それで、どの程度の誤差が出るか確認しないと、基礎を作っても僅かに沈み込む事に……ええっと、統計資料はここに!」

ハルミアンは肩掛けの大きなカバンの中から、束になっている資料を引っ張り出し、作業員に差し出した。 

「せめて半日以上は待たないとその誤差を確認出来ないし、後から分かれば、基礎工事のやり直しにもなり兼ねないから、えっと……」


セルフィーネの言った通り、マルクのように出来るだけゆっくりと、柔らかい言葉運びになるよう気を付ける。

マルクの言ったように、相手がイスタークだと思って、口を開く。


「……君達の負担を減らして、より良い聖堂を建築する為に、僕の持っている知識を使ってくれないかな……」

ハルミアンが上目に作業員を見た。


エルフの整った美しい顔が、真剣な表情で見上げていて、目の前の作業員だけでなく、周りにいる作業員達も男女関係なく頬に血が上る。

深緑の瞳がキラキラと輝いて、目があった作業員は、ドギマギしながら資料を受け取った。


「わ、分かった。まずはこれを見てから、考えるとする……っていうか、こんな資料いつ作ったんだ?」

作業員は資料をパラパラとめくる。

受け取った資料は既存の物でなく、この地に立てる聖堂の為に作り直された物だ。

ざっと見ただけでも、昨日今日で作ったものではない。

「ここの土地で建てるに当たって、考えられる問題と対策を先に纏めておいたんだ。全部見る?」

ハルミアンが大きなカバンの中を見せると、中にはぎっしり資料やらメモやらが詰まっていて、作業員は開いた口が塞がらない。

「……何だ、司教様の知り合いが、興味本位で中途半端に口出してんのかと思ってたのに、専門家じゃねぇか。ちょっと来い!」

「わぁ! 何!?」

「こっちでゆっくり話を聞かせてくれ、先生!」

「ええっ!? 先生!?」


ハルミアンは作業員に引っ張って行かれて、テントの中は、いつの間にか講習会状態になっていた。





午後の一の鐘が鳴って随分経つ頃、ようやく解放されたハルミアンが、ぐったりした様子でテントから出て来た。


目の前に水筒を出されて、引っ掴んでグビグビと喉に水を流し込む。

作業員や職人達に囲まれて、喋りっぱなしだったのだ。


はあ、と一息ついてから、水筒を渡してくれたのがイスタークだと気付いた。

彼の少し後ろには、新しく付いた聖騎士が二人立っている。

「ありがとう。喉カラカラだったんだ」

「どういたしまして、“先生”」

サラリと言うイスタークを軽く睨んで、ハルミアンはもう一口水を飲んだ。


「そういえば、現場に僕のこと何て紹介してたの?」

「知り合いのエルフとしか言っていないが?」

「それでかぁ」

ハルミアンは脱力する。

さっき打ち解けた作業員から、『余計な口出しばっかりする、物好きで邪魔なエルフだと思っていたが、司教の知り合いだとわかっているから追い出せなかった』と言われて、愕然としたのだ。

「何でちゃんと説明しておいてくれないのさ」

「どうしても現場に関わりたいと捩じ込んできたのは君なのに、何故私が説明する必要が? 自分の居場所は自分で努力して作りたまえ」


素っ気ないイスタークの言葉を聞き、ハルミアンは口を尖らせる。

しかし、すぐに口が緩んでしまった。


イスタークはああ言うが、オルセールス神聖王国から派遣されている現場監督だけには、ハルミアンのことを、詳しい専門知識のあるエルフで、必ず聖堂建築の役に立つ筈だと説明していたらしい。

さっきテントを出る時に、現場監督がこっそりと教えてくれた。

『きっと自分で現場に溶け込む筈だから、放っておいて欲しい』

イスタークがそう言っていたと聞いて、幾らかの信頼はあるのだと感動したことは、今は秘密にしておこう。




「……何をニヤけている?」

「別に!」

イスタークが気味悪い物を見るような顔をするので、ハルミアンは急いで緩んでいた口元を引き締める。


「それより、今夜はカウティス殿下の方へ戻るのだろう?」

「え? うん、そのつもりだけど」

月が替わって、セルフィーネが帰って来るはずなので、日の入りの鐘までには拠点に戻るつもりだった。


「よく見てやった方が良いと思うがね」

イスタークが言って、祭服の腕を上げて空を指差す。

つられて上を向いたハルミアンが、眉根を寄せた。

「なに、これ……」



空に広がる網目状の魔力は、今や殆ど目を詰め、皺のない一枚の布のようになりつつあった。


しかし、あの美しい水色と薄紫の輝きは、色褪せたように乾いた色をしていた。






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