頼み事

水の季節前期月、四週二日。


昼休憩の時間に拠点に来ていたセルフィーネは、メイマナの妊娠がフルデルデ王族にばれてしまった件を話して、小さくなった。


「……知っているのに、知らないとも言えないし、上手く誤魔化せなかったのだ」

「セルフィーネ様には難しいでしょうねぇ」

ラードが可笑しそうに笑って言う。

「まあ、慶事なのだし、構わないのではないか?」

カウティスが言えば、セルフィーネは頷く。

「王もそう言って笑っていたが、フルデルデ王国の王配は暴走しそうだと、侍従達が心配していた」


愛娘の妊娠を知り、メイマナの父親である王配は喜んでいるのだろうか、悲しんでいるのだろうか。

どちらにしても大騒ぎしていそうだと、カウティスは想像して苦笑いした。



「先王陛下も暴走気味だそうですよ」

マルクが笑い含みに言う。

先王が毎日、メイマナのご機嫌伺いに離宮から本城へやって来るので、王城の者達には、すっかりメイマナの妊娠が知れ渡ってしまったらしい。

エルノートとマレリィに窘められているが、全く懲りていなようだ。


「メイマナに余計な気を遣わせるなと、昨日釘を刺しておいた」

セルフィーネが強く言うので、三人は顔を見合わせた。

「そなたが父上に?」

「そうだ。メイマナは悪阻つわりで辛いのだ。度々気分が悪くなって大変なのだぞ。王城に戻ったら、また神聖魔法をかけてやらねば」


カウティスはぽかんと口を開けた。

知らない間に、セルフィーネの交友関係が広がっている。

呼び方もいつの間にか、“メイマナ王女”から“王女”が取れている。

「随分と仲良くなったのだな」

セルフィーネはコクリと頷いた。

「メイマナも好きだ。メイマナは私を応援してくれるから、私もメイマナを応援するのだ」

「……そうか」


「はい、王子は妬かない、妬かない」

「妬いてない!」

ラードが、カウティスの目の前で掌をヒラヒラと振るので、カウティスは鼻の上にシワを寄せて、その手を叩いた。




休憩が終わり、ラードとマルクが先に席を立った。

セルフィーネはこれからまた、王城の庭園に戻る。


「また、夜に来る」

「セルフィーネ、待て」

セルフィーネが去ろうとするので、カウティスが慌てて止めた。

「どうした?」

セルフィーネが首を傾げる。

「ああ、……いや、……今日は、その、ねだってくれないのか?」

カウティスがやや耳を赤くして言った。


『 ………………好きだと、言って? 』


三日前に、そうセルフィーネにねだられてから、カウティスは何度も思い出してしまうのだが、構えて待っていれば、あれから一度も言ってくれなかった。

別に、ねだられなくても好きだと言えば良い話なのだが、もう一度、あの恥じらうような小声でねだって欲しいのだ。



「…………ねだっても、良いのか?」

「ああ」


躊躇ためらいがちに出されたセルフィーネの声を聞いて、カウティスの胸は期待に高鳴る。


「今週、王城に帰る予定は?」

「……は?」

期待していたような台詞ではなく、カウティスは眉を寄せて目を瞬く。

「いや、……今週戻る予定は無いが」

「そうか……」


セルフィーネの残念そうな声に、カウティスも残念な気持ちで問い返す。

「何だ? 王城で何かあるのか?」

「ザクバラ国に行く前に、泉の庭園で会いたい」

「え?」

「…………魔力干渉……して欲しい。……駄目だろうか?」

セルフィーネの声が、どんどん小さくなった。


想像の斜め上をいくおねだりに、カウティスの萎みかけていた気持ちが急激に膨らむ。


「駄目じゃない! 絶対、駄目じゃない」

カウティスは早い鼓動を感じながら、蒼い香りのする方へ手を伸ばす。

「今週末に、必ず王城に戻る。……そなたを抱きしめに行くから」


セルフィーネはカウティスの手を取り、頬を熱くして微笑んだ。






日の入りの鐘が鳴って、一刻程経った頃、ザクバラ国王太子のタージュリヤは、まだ王太子の執務室で机に向かって座っていた。

机の上を見詰めて、一つ溜め息をつく。


机上にあるのは、王太子としての自分に与えられた、公務に関する書類ばかりだ。

数日前まで積まれてあった、国王代理としての公務量に比べれば、格段に少なくなった。

しかし本来ならば、これが王太子に相応しい公務なのだ。

むしろ、新米王太子には多めかもしれない。




三日前、国王が国政に復帰したと聞き、タージュリヤは急いで王に会いに行った。


通された王の居室は、随分と様変わりしていた。

その周到な準備にも驚いたが、祖父である王の様子に驚愕した。

見た目は、寝台の上に横になっていた枯れ木の様な身体であるのに、纏う気の強さが違う。

タージュリヤを見上げた瞳も、懐かしくも強い光に満ちていて、危な気な雰囲気はない。


王に声を掛けられて我に返り、突然の体制変更に異を唱え、祖父の身体を案じて訴えたが、入室から既に呑まれていたタージュリヤは、王の正論に全く太刀打ち出来なかった。


曰く、国の現状責任は自らに有り、それを正していくのは老王としての最後の務めであること。

その間に、若輩の王太子は王道と国政について学び、即位に向けて準備を整えていくこと。

王の体調に関しては、薬師館が管理するので心配はなく、国政についても、宰相リィドウォルをはじめとする、残っている王の側近達が支えるので問題はない―――。



そうして混乱と戸惑いが胸に残されたまま、タージュリヤは王太子としての座に据えられている。


しかし、時間が経って、落ち着いて考えてみれば、これは当然の事であると思えた。

体制変更があまりにも性急であった為に激しく反応してしまったが、間違ってはいないのだ。

王が存命で国政を指揮できるのならば、それを支えるのが臣の務め。

タージュリヤもまた、王太子という立場を与えられた臣だ。

王太子の職務に励みながら、今後の即位に向けて備えていく事は、王太子という座に就いた者が、当然行なうべき事なのだ。


ただ、誰もが王の復帰は無理であろうと思って動いていたから、混乱している。

タージュリヤに付いて政変を成した若い貴族達は、突如大きく変わってしまった状況を納得しきれていなかった。


タージュリヤは再び溜め息をつき、立ち上がった。





文官棟の一室で資料を纏めていたリィドウォルは、部屋の外に立っていた護衛騎士のイルウェンに、タージュリヤの来室を告げられた。



リィドウォルは立礼してから、背筋を伸ばしてたたずむタージュリヤを見詰める。


「このような時間に、このような場所までお越しとは……」

ザールインから部屋を引き継いでから、装飾品や無駄に大きく場所を取るソファーは廃棄してしまった。

この部屋は、ゆっくり座って話せるような場所ではない。

「……応接室へ移動いたしましょう」

「ここで構いません。お願いがあって参りました」

タージュリヤがかたくなな調子で言った。


「私に付いて政変を成した者を中心に、新興貴族等を、政権の中心に組み込んで欲しいのです」

腐敗したザールインの支配政権を排し、タージュリヤを王とした新たなザクバラ国を創ること。

それを掲げて、若い貴族等を中心に政変を成した。

国王の復帰で、突如宙ぶらりんになってしまった彼等の思いを、せめて現政権に活かさせてやりたい。

タージュリヤの願いとは、それだった。


リィドウォルは目を細める。

「何故、私に? 裏切ったと、お怒りだったのでは?」

「裏切り? いいえ、リィドウォル卿は、最初から御祖父様の臣でした。御祖父様が復帰なさるならば、従うのが当然のこと。……腹立たしいといえば、先に色々と説明してくれたら良かったのに、とは思っていますが」

生真面目に語るタージュリヤに、リィドウォルは僅かに苦笑した。



「現政権の中心には組み込めません」

きっぱりと言い切ったリィドウォルを見詰め、タージュリヤは眉根を寄せる。

「何故ですか? 彼等も国政に関わりたいと望んでいます。十分役に立てるはずです」

「貴族等から不満が出ておりますか?」

リィドウォルの冷静な問いに、タージュリヤは唇を噛む。

確かに、若い者達程、不満をあらわにしている。

「周りに置く者から不満が出ているのならば、それを上手く抑えるのも殿下の器量です。そうして、最側近となるべき者を選別し、殿下の即位に向けて足固めをなさって下さい。……それ程時間はありません」

「……それは、どういう意味です?」

まるで、現政権が長くは続かないというように聞こえる。


「沈みゆく船に、彼等を乗せてはいけません」


リィドウォルの低い声に、タージュリヤは息を呑んだ。

王が復帰した今も、やはりリィドウォルは、王の御世が終わりに近付いていると考えているのだ。



そこでふと、タージュリヤは目の前で冷静に話しているリィドウォルの事が気に掛かった。

“沈みゆく船”と表現する現政権の中心に、彼は今もいるのだ。



「リィドウォル卿は、私との約束を忘れていませんね?」

王との“血の契約”を解いたら、タージュリヤに仕えると約束したはずだ。

「勿論、覚えております。殿下が今もお望みならば、陛下に契約を解いて頂き、陛下の退位後に殿下にお仕え致します」

「それはまことですね? 陛下には、いつお願いを?」

「……水の精霊が以前程に回復すれば、その時に」

畳み掛けた問いに、ほんの僅かに躊躇ためらう間があったのを、タージュリヤは見逃さなかった。


「卿はまさか、船に乗ったまま共に沈むつもりではないでしょうね?」


タージュリヤは、思わず踏み出してリィドウォルの側に詰め寄った。

リィドウォルは掌を前に出して一歩下がる。

「殿下は婚約者のおられる未婚の女性だということをお忘れですか。殿下はお戻りだ。お連れしろ」

リィドウォルが扉に向かって声を上げる。

親子程に歳の離れた者とはいえ、こんな時間にこんな場所に、二人きりで長居するものではない。

扉が開いて、控えていた侍女と護衛騎士が入って来た。

「リィドウォル卿!」

「ご心配には及びません。それよりも、殿下こそ、私との約束をお忘れではありませんね?」

「……忘れていません。きちんと守っています」

タージュリヤは、そっと濃紺のドレスの胸元を押さえた。

「結構です。決してその身から離さぬように」

リィドウォルは立礼した。




話は終わりだというように、静かに立礼して顔を上げないリィドウォルを尻目に、タージュリヤは護衛騎士に促されて部屋を出る。


リィドウォルの協力を乞うた時に、約束したこと。

一つは、水の精霊をザクバラ国に招き入れる手助けをすること。

もう一つは、防護符を肌身離さず身に付けておくことだ。



心配はいらないと彼は言ったが、本当だろうか?


ドレスの胸元を押さえたタージュリヤの手に、無意識に力が入った。




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