不安なんて
日の入りの鐘が鳴って、西部国境地帯の拠点では、神殿から戻ったハルミアンも加わって、久し振りに男四人が揃って夕食を摂っていた。
「それで、セルフィーネは何を不安に思ったって?」
皿の上の丸い芋を刺して、ハルミアンがセルフィーネの魔力の纏まりを見た。
その白い額には、整った顔に似つかわしくない魔術符が貼られている。
セルフィーネに使い魔を譲って魔力不足に陥ってから、頭痛が完全に引いていないらしい。
「……実体化出来たとして、私は人間と同じ様に生活出来るのだろうかと思って」
セルフィーネが不安気に言う。
セルフィーネの姿は、アブハスト王が人間の女性を模して造った
「う〜ん、見た目や五感もほぼ変わらない様だし、心配いらないと思うけど。まあ、きっと新しい種族になる訳だし、種族による体質的な違いとかは出てくるんじゃないかな? ほら、セルフィーネの体温は低いって、王子も言ってたでしょ」
「そうだな。それに、例えば生活形態が大きく違っても、問題はないと思うぞ?」
カウティスが軽く笑うと、フォークを口に運んでいたラードとマルクも、同じ様に思ったのか、微妙な笑みで顔を見合わせる。
「何故?」
「だって、今まで以上に生活形態が食い違うことって、あると思うか?」
眉を下げたカウティスの言葉に、セルフィーネが首を傾げた。
「王子とセルフィーネ様は、人間と精霊ってだけで、以前はほぼ生活形態が合うところはなかったはずですよね」
ラードが苦笑して説明すれば、マルクも頷く。
「むしろ、今は近付いてきているのではないですか?」
「近付いて……」
カウティスが笑ってセルフィーネの方へ手を伸ばすので、セルフィーネは見えない手で握る。
「考えてもみろ。子供の頃から比べれば、そなたはもの凄く近い存在になったのだぞ? 心配しなくても大丈夫だ」
「実体化した後に、例えセルフィーネ様が一日中水の中で生活していても、王子なら構わないって言いそうですよ」
ラードが笑えば、カウティスは何を想像したのか、耳を赤くしてぶると首を振った。
「この方は、何を想像しているんですかね」
「うるさいっ」
二人の遣り取りに、セルフィーネとマルクは思わず笑う。
「ねえ、セルフィーネ、まだ心配?」
ハルミアンが笑ってセルフィーネを覗き込む。
セルフィーネはふるふると首を振った。
「メイマナの言う通りだった」
「メイマナ王女?」
セルフィーネはコクリと頷く。
不安なことがあっても、側にはカウティスがいる。
マルクやハルミアン、今はラードでさえも、姿を持たない状況であってもセルフィーネを支えてくれる。
そういえば、人間は嘘をつくと教えられた時もそうだった。
カウティス達と話していたら、不安なことなどすっかり消えてしまうのだ。
「カウティス」
セルフィーネに呼ばれて、グラスを持ち上げようとしていたカウティスが顔を上げる。
「カウティスが好きだ」
皆の前での突然のセルフィーネの告白に、カウティスはドキリとしたが、嬉しくて頬が緩む。
「俺も好きだ」と返そうと、口を開いた。
「ラードも、マルクも、ハルミアンも、私は好きだ。皆がいてくれて、とても嬉しい」
「我々も、セルフィーネ様がいて下さって、嬉しいですよ」
魔力が見えないラードが
返事をする前にセルフィーネが皆に告白を続けたので、カウティスの開いた口はパクパクするばかりだった。
宙ぶらりんの言葉を何とか飲み込む。
「光栄です、セルフィーネ様」
マルクが感激する横で、ハルミアンとラードが
「そなた等は、笑うなっ!」
途端に顔を赤くして怒るカウティスに、セルフィーネはキョトンとしたのだった。
額の魔術符を新しい物に替えて、ハルミアンが感心して言う。
「あー、冷たい。マルク、これはいいよ。新しい生活魔術具として絶対売れると思うね」
「薬師からも、大量生産出来ないかって問い合わせが来てるらしいよ」
マルクが笑って言えば、ハルミアンはうんうんと頷く。
「魔術士館でさっさと独占権を取っておくといいよ。後であちこちから類似品出されると、利益持っていかれるからね」
「……お前は本当に俗っぽいエルフだな」
お茶を入れながら、ラードが呆れたように見下ろした。
「すまない、ハルミアン。私に使い魔をくれたせいだな」
セルフィーネが申し訳無さそうにすると、ハルミアンはヒラヒラと手を振る。
「その内治るから大丈夫。イスタークなんて酷いんだ。『神聖魔法じゃ治せないんだから、頭痛が治るまで現場に来るな』って、
「それって、“治してあげたいけど治せないから、休んで回復してから来い”ってことじゃないの?」
口を尖らせるハルミアンを笑って、マルクが言う。
「え? そういう意味?」
ハルミアンがガバと上体を起こして、深緑の瞳をキラキラと輝かせる。
「随分司教と近付けたもんだな」
ラードからお茶を受け取って、ハルミアンは嬉しそうに頷く。
「うん。何ていうか、壁がなくなった感じがするんだ」
今は、例え以前の関係と違っても、互いを認め合えば、交わる部分を探すことが出来るような気がしている。
「少し、当たりが柔らかくなったような気もするしね」
「分かる気がする」
セルフィーネが頷く。
「以前よりも、気配が尖っていなかった。ハルミアンの影響だったのだな」
カウティスが飲みかけていたお茶を置いて、眉を寄せた。
「セルフィーネ、いつイスターク司教と会ったのだ?」
「会ってはいない。ハルミアンを探していたら、司教が魔力に気付いて見上げただけだ。観察するような目だったが、それだけだった」
使い魔を貰った翌日、式典の後にハルミアンの様子が気になって、西部へ視界を向けた。
きっと魔力不足に陥っているだろうと思ったのだ。
拠点にいなかったので、神殿か聖堂建築予定地かと思い、そちらまで視界を伸ばした。
ハルミアンを見つける前に、外にいたイスタークがセルフィーネの魔力に気付いて見上げたのだが、特に何か働き掛ける訳でもなく、見ていただけだった。
ハルミアンが両手でお茶のカップを包み、揺れる水面を覗く。
「セルフィーネの神聖力を、『聖職者の力で確認できないのなら、それは神の意志だ』って言ってた。セルフィーネの進化は、月光神の意志が働いていると思ってるみたい。……ねえ、神聖力を与えられたら、絶対に何かの使命があるものなの?」
顔を上げたハルミアンと視線が合い、マルクはハの字に眉を下げた。
「そういう風には言われているけど、どうなのかな。実際に神聖力を持っても、何が使命なのか分からず生涯を終える人の方が圧倒的に多い訳だし」
カウティスは眉根を寄せたまま、皮手袋の右手を握る。
使命があるというのなら、月光神はセルフィーネとカウティスに何をさせるつもりなのだろう。
セルフィーネの進化の為かと思っていたが、あの年末の状況でも、ザクバラ国からセルフィーネが弱って戻った時でも、神聖力で進化が進むようなことはなかった。
「神々も、神聖力を与える時に、もったいぶらずに教えてくれたらいいのにさ」
「その通りだな」
ハルミアンの呟きに、カウティスは心から同意する。
「それを探すのもまた、神が与えた試練なのだろう……」
セルフィーネの平坦な声に、カウティスは何故か背がひやりとした。
セルフィーネは月光神の眷族である水の精霊だ。
神の与える試練も使命も、それがどんなことであっても、その時が来たら当然のように受け入れてしまいそうで、怖くなった。
「セルフィーネ」
彼女の蒼い香りがする方へ、カウティスは手を伸ばす。
「そなたは、何があっても必ず俺の下に戻るのだぞ。良いな?」
「もちろんだ。カウティスの下に戻って、ずっと一緒にいる」
セルフィーネはカウティスの内に湧いた怖れに気付かず、手を握って微笑んだ。
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