嬉しい変化

夕の鐘が鳴る頃。

西部国境地帯で目を覚ましたハルミアンは、ぼんやりと見慣れない天井を見詰める。

何処かで嗅いだことのある香の匂いがして、ほっとした気持ちになる。

そして、ほっとしたらお腹がグゥと鳴った。

「…………お腹空いたなぁ」

思わず口からそんな言葉が出た。



「目覚めて第一声がそれか」

突然イスタークの声がして、ハルミアンは我に返った。

目を激しく瞬いて、ガバと起き上がる。

どうやら寝台の上に寝ていたらしく、上掛け布団が寝台の下に跳ね落ちた。

そして、布団が落ちた側に、白い祭服のイスタークが、仁王立ちしてこちらを睨んでいた。

「イスターク……。あれ、ここって神殿の居住棟……?」

「そうだ。完全に意識がないのだと、作業員が君を運んで来た。また外で使い魔を飛ばしていたんだろう。まったく、何て人騒がせなんだ」

イスタークが額を押さえて、軽く首を振った。


ハルミアンは首を傾げた。

自分は確か、神殿の側に建っている作業員の仮宿舎の近くで、王城に向けて使い魔を飛ばしていたのではなかっただろうか。

前回使い魔を飛ばした時に、倒れているのかと勘違いされて色んな人に心配をかけてしまったので、今回は分かるようにしてから飛ばしたはずだ。

“使い魔を飛ばしているだけなので、心配しないように”と紙に書いて、握っておいたのだ。


そこまで思い出したところで、頭痛が襲ってきて顔をしかめた。

「いたた……。そうだ、僕はセルフィーネに使い魔をあげて……それから……」

「使い魔を、あげた?」

ハルミアンがこめかみを押さえたので、首から下げた金の珠を握り込もうとしていたイスタークが、いぶかしんで問い返した。

「うん、魔力不足の水の精霊に、僕の使い魔をあげたんだけど、取り込まれる時に意識の同調を切り離すのが遅れてしまったから……、う~……」

喋れば喋る程、頭が痛くなってきた。


「君は馬鹿なのかっ!」

側で怒鳴られて、頭に響いたハルミアンが顔を更にしかめた。


「完全同調した使い魔を消されれば、下手をしたら操者も死ぬんだぞ!」

「……分かってる……。分かってるから、お願い、怒鳴らないで……」

頭痛が酷くなりそうで、ハルミアンは頭を抱えて懇願した。

イスタークはまだ憤慨した様子だったが、その怒りをどこにぶつければ良いのか分からないように、黙って唇を歪めた。



「もういい。暫くそこで寝ていろ」

暫くして、イスタークは声を抑えてそう言ったかと思うと、握ったままだった金の珠を服の中へ仕舞い、踵を返した。

こめかみを親指で揉みながらハルミアンが上目に見ると、後ろで束ねた焦茶色の髪を大きく揺らして、イスタークが部屋を出ていくところだった。

「あれ? 神聖魔法かけてくれないの?」

「魔力不足の頭痛は神聖力では治らない!」

腹立たしそうに言い捨てて通る入口の所に、聖騎士エンバーが立っていたが、イスタークは一瞥いちべつもせずに通り過ぎて行った。



「治らなくても、ちょっとはマシになると思ったのにぃ……」

寝台に突っ伏して情けなく言えば、頭の辺りにほんのり温かいものを感じて、ハルミアンは顔を上げる。

首から下げた金の珠を握ったエンバーが、ハルミアンの頭上に手をかざしていた。

「ありがとう。君も神聖魔法を使えるんだね」

「私も神聖力を授けられた者なので」

エンバーが微笑むが、色素の薄い目はあまり笑っているようには見えなかった。


「あんな風に感情的なイスターク様を見るのは、初めてです。貴方が運び込まれてから、相当心配しておられましたよ」

金の珠を首元から服の中へ仕舞いながら、エンバーが言った。

ハルミアンの顔が思わず輝く。

「本当に?」

「ええ。こんな事になるのなら、水の精霊など放っておいて、貴方を排除しておくべきだったと思う程には」

「…………冗談でしょ?」

返事をしないエンバーの、感情の見えない瞳の奥に冷たいものを感じて、ハルミアンはコクリと喉を鳴らした。



「私は明日、本国へ戻ります。イスターク様の側にいるというのなら、せいぜい聖堂建築の役に立って、最高の聖堂を月光神に捧げて下さい」

「僕は、月光神の為に聖堂建築を手伝う訳じゃないけど」

見下ろして言うエンバーに、ハルミアンは小さく口を尖らせた。

「それでも、聖堂は神々とオルセールス神聖王国の為になり、引いてはイスターク様の聖王就任を後押ししてくれます。私は本国で根回しに努めますよ」


ハルミアンは目を見開いた。

「イスタークは聖王になるの?」

「そう望む者は、少なくありません」

聖王といえば、オルセールス神聖王国の君主。

聖職者の頂に立つ者だ。

「イスタークは望んでるの?」 

「王座は望んで就くものではありません。イスターク様は、ご存知だと思いますよ」

当然のことのように言うエンバーに、ハルミアンは美しい顔を顰めた。

「……ごめん、君のことは好きになれそうにないや」

ははっ、とエンバーは快活に声を上げて笑った。

「奇遇ですね。私も貴方のことを好きになれそうにありません。……それでは」

エンバーは目礼して、白いローブをひるがえして部屋を出て行った。



ハルミアンはむう、と口を尖らせる。

魔力不足の頭痛のせいか、モヤモヤした気分になった。

「……それでも、やっぱり僕が役に立てるのは聖堂建築だよねぇ」

立派な聖堂を建てることが、イスタークの今後にどんな影響を与えるのだとしても、きっと今彼が自分に望むのは、最高の聖堂を建てる手助けをすることだろう。


「……とにかく、まずはこの頭痛が治まってからだ」

ハルミアンは情けなく、だらりと寝台に倒れた。





日の入りの鐘が鳴って一刻。

カウティスはラードとマルクを伴って、泉の庭園を訪れた。



「セルフィーネ様……」

ガラスの覆いの中に姿を現したセルフィーネを見て、マルクは息を呑む。

ここに来る前に、カウティスから事の成り行きを説明されていたが、実際目にすれば驚かずにはいられなかった。

「実体にしか、見えませんが……」

目を見張るラードに、セルフィーネは小さく首を振る。

「まだだ。でも、これが私だ。この姿を実体にして必ず戻る。二人には知っておいて欲しかった」


二人は姿勢を正して立礼する。

「お待ちしております。……以前もお美しかったですが、今のお姿はセルフィーネ様により相応しくなったように思いますよ」

ラードが言えば、マルクは紅潮した顔で何度も頷く。

「お綺麗です、セルフィーネ様」

二人に褒められて嬉しそうに微笑む顔が、以前よりも柔らかく自然で、精霊という人間とは全く別の存在から、近しい存在へと変化していることが感じられた。




「もういいだろう」

何となくそわそわしているカウティスが、二人に花壇の小道を指差して見せる。

「そなた達はもう戻れ」

「……王子が連れて来たのに、もう『戻れ』ですか? 我々ももう少しセルフィーネ様とお話させて下さいよ」

ラードがニヤニヤして言えば、カウティスが噛み付く。

「セルフィーネがどうしても二人に姿を見せたいと言うから、仕方なく連れて来てやったのだ! 今夜と明朝しか機会がないのだから、気を利かせろ」


叙勲式も式典も終わり、カウティス達は、明日二週一日の午前に王城を出発して、西部に戻る予定だった。

セルフィーネも西部に付いて行くつもりだが、何せ今は、姿を現すことが出来るのが覆いの中ここしかないのだ。

西部に戻れば、触れ合うことは出来ない。



ラードとマルクが笑いながら顔を見合わせる。

「視察の予定が入っているのは二週三日ですから、西部に戻るのを一日遅らせますか?」


「良いのか!?」


ラードの提案に大きな声で答えたのは、カウティスではなく、覆いの中のセルフィーネだった。

台詞を奪われたカウティスは、口を開けてセルフィーネを見た。

てっきりカウティスが喜んで返事すると思っていたラードとマルクも、セルフィーネの方を振り向く。


三人に注目されて、セルフィーネは口を両手の細い指で押さえる。

「……すまない。…………嬉しくて、つい」

言いながら顔を赤らめるセルフィーネに、カウティスが嬉しくて堪らないという顔で、ガラスの扉を開いて中に入った。

「ラード、頼む。一日遅らせてくれ」

「分かりました」

ラードが笑いをこらえて立礼する。

覆いの中でいそいそとマントを外しながら、カウティスが二人に花壇の小道を指すので、マルクは急いで回れ右した。




二人は花壇の小道を抜けて、庭園を後にする。


「王子の溺愛ぶりが加速しそうですね」

マルクがカウティスの様子を思い出して笑う。

「そうだな。しかし、あれでまだ実体じゃないなんて、信じられないな」

ラードが大きく息を吐いた。


以前のように、美しいが近寄るのを躊躇ためらってしまうような、異質さを殆ど感じなかった。

見ただけで柔らかさを想像できるような、あの肌感。

手を伸ばせば触れられそうだった。



「なあ、マルク。セルフィーネ様の半実体とやらは、人間には触れないものなんだよな?」

声のトーンが落ちたラードの言葉に、マルクは笑顔を薄くする。

「そうですね。エルフや竜人族でなければ、直接は触れられません」

「じゃあ、あのマントの様に、布で覆って捕まえたりは出来ないのか?」


ラードが何を想像しているのか察して、マルクは笑顔を完全に消した。


「例え布を掛けられたとしても、セルフィーネ様が半実体を解けば、大気に溶けて逃げることが出来るでしょう。今は魔力集結の場でなければ姿を現せないということですから、ザクバラ国で半実体を見られるような事にはならないと思いますが……」

ラードが頷く。

ラードは、ザクバラ国でセルフィーネが姿を見せ、捕らえられるような事はないかと懸念しているのだ。


「そうか、それならば安心か……」

今のところは、とラードは心の中で付け加えた。





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