血縁 (前編)

夕の鐘が鳴って、西部国境地帯の拠点に帰ったセルフィーネは、カウティスとラードに今日の出来事を報告していた。



「ご懐妊!? 本当に!?」

カウティスが思わず拳を握れば、ラードも身を乗り出して椅子を倒した。


「本当だ。薬師も確認した」

セルフィーネは、薬師の確認が終わってから戻って来た。

「まだ暫くは不安定なので、おおやけにするのはもう少し後だそうだ」

カウティスは喜色を浮かべて笑い掛ける。

「兄上は、さぞお喜びだろう」

「確かに喜んでいたが、王よりも先王が大騒ぎしていたぞ」


懐妊を薬師が確認する為、メイマナが居室に戻っている間に、どこをどう伝わったものか、離宮に居を移している先王が飛んで来た。

懐妊が確定されると、当人以上に大喜びして、最終的にエルノートの命令で近衛騎士に離宮まで連行されていた。


「まったく、父上は……」

カウティスが頭を抱える側で、ラードは倒した椅子を直しながら呟いた。

「エレイシア様もきっと、お喜びでしょうね」

「そうだな……」

エルノートとセイジェの実母であるエレイシアは、エルノートの最初の婚姻を見ることなく亡くなった。

息子達の今後を、どれ程案じて逝っただろうか。

今のエルノートとメイマナを見れば、きっと喜んだに違いない。



「腹の子が産まれたら、また私が洗ってやりたい」

セルフィーネの声は嬉しそうだ。

「随分気が早いな。まだまだ先の話だぞ」

カウティスは笑ってそう言ったが、セルフィーネの気持ちも分かる気がする。

敬愛する兄の子で、ネイクーン王国待望の後継だ。

公になれば、およそ誰にとっても吉報に違いない。

しかも自分にとっては、初めての甥か姪だ。

セルフィーネに気が早いと言っておきながら、いずれは鈴の鳴るような声で『叔父上』と呼ばれるのかと思うと、今からくすぐったいような気持ちになった。       


そして、ふと、リィドウォルを思い出した。


『 そなたの伯父だ。我が甥、カウティスよ。初めて会うな 』


初めて会った時、彼はそう言って目を細めた。

リィドウォルにとっては、カウティスはただ一人の甥だ。

国境地帯で何度となく顔を合わせる内に、時折見せるよしみを含んだ表情に戸惑ったが、あれらは、もしや彼なりの情だったのだろうか。


ぶると首を振ったカウティスに気付き、セルフィーネが首を傾げた。

「どうした?」

「いや、ちょっと妄想が過ぎた」

ラードがくくと笑う。

「御子が産まれた後のことを考えたんでしょう。セルフィーネ様のことを笑えませんね」





日付が変わる頃、セルフィーネとカウティスは離れる。


カウティスは、蒼い香りのする方へ顔を向けて言う。

「泉に戻るのだろう? 明日は朝に拠点ここを出るから、そのまま王城で待っていてくれ」

「分かった。…………早く来て?」

珍しくセルフィーネのねだるような声音に、カウティスの心臓が跳ねる。

「ああ。どうかしたか?」

「…………離れ難くて」

ネイクーンに戻っている間、何時でもカウティスの側に寄れるのに、回復する為には覆いの中にいるべきで、その二つの板挟みでセルフィーネの胸はうずくのだ。


「急いで行くから、待っていてくれ」

セルフィーネに甘えられたようで、ジワリと嬉しさが込み上げてくる。

カウティスは胸を高鳴らせながら、出来るだけ柔らかく笑んだ。




月光は今夜も弱々しく、セルフィーネは王城に着くと、滑るようにガラスの覆いの中に収まった。

回復には頼りない月光も、この中だと心地良いものに変わる。


そうして一夜を過ごし、翌朝、カウティスとラードが予定通り拠点を出るのを見てから、再び恍惚こうこつとして魔力を取り込んだ。




「セルフィーネ様」


どこからか名を呼ばれ、セルフィーネは目を瞬いた。

ガラスの覆いの外側から、いつの間にかマレリィがこちらを見ていた。

相変わらずきっちりと結い上げた黒髪は艷やかで、細身の紺のドレスで、ピンと背筋を伸ばして立っている。


「マレリィ妃」

セルフィーネの声が聞こえたので、マレリィは胸に手を当てて立礼する。

侍女達は花壇の側で待っていて、ガラスの覆いの側にいるのは、マレリィだけだった。

「お久しぶりでございます。ご無事のお戻り、嬉しく思います」

「久し振りだ。……こんな所に私に会いに来るとは、何か用が?」


マレリィは、先王と共に離宮に居を移している。

離宮から水盆に呼び掛けることも出来るのに、わざわざここに出向いて来たのは、他に知られたくない話があるのだろう。



「……そなたの父のことか?」

なかなか口を開かないマレリィに、セルフィーネが尋ねた。

ザクバラ国からセルフィーネが戻ったこのタイミングで聞く事といえば、勿論ザクバラ国に関係することだろう。

国政に直接係ることは聞けないのだから、聞きたいのは身内のことであろうと思った。


マレリィは一度、身体の前で組んでいた両手を組み直した。

「……そうです。セルフィーネ様にお尋ねするのは、それこそ筋違いなことなのでしょうが、他に事実を知れる方法がないのです」

マレリィは一呼吸置いて、セルフィーネに尋ねる。

「私の父が生きているのか、セルフィーネ様はご存知でしょうか?」


セルフィーネは、思い詰めた表情でこちらを見詰めるマレリィを眺めた。

その表情や雰囲気は、ザクバラ国の祭壇の間で、国王の側に下りて欲しいと懇願したリィドウォルによく似ていた。

長く離れて暮らしていても、やはり血の繋がりというものは、簡単には切れないものなのかもしれない。



「そなたの父らしき男は見た」

セルフィーネは、ザクバラ国の中央に視界を広げた際、リィドウォルから話を聞いた、カウティスの祖父という者を探した。

リィドウォルの行動を見て、屋敷を見つけ、そこにいた彼に良く似た老人を見た。


リィドウォルとマレリィの父は、国王の兄のはずだが、見た目だけで言えば、枯れ木のようだった王よりもずっと若く見えた。

数人の侍女と侍従に世話をされ、穏やかな表情で大きな肘掛け椅子に座り、本を読んでいた。

部屋の壁には家系の肖像画が幾つも飾られ、椅子の周りの低い棚の上には、小さな額縁に入った肖像画が並ぶ。

おそらくそれは、彼の家族の肖像画なのだろう。

母親に抱かれた赤ん坊から、兄妹が並ぶ物、若い頃の彼自身が息子と一緒に描かれた物まで、様々だった。


「家族の肖像画に囲まれて、穏やかに過ごしていた様に見えた」

「父上……」

マレリィがギュッと目を閉じた。

眉根を寄せて、そのまま何かに耐えるように、ゆっくりと呼吸してから目を開ける。

「ありがとうございました、セルフィーネ様。父が穏やかに最期を迎えることが出来そうで、安堵致しました」

マレリィは普段の様子に戻っていた。

「……会いに行かないのか?」

「行きません。様子が知れただけで、充分です」


セルフィーネは目を瞬いた。

血の繋がりとは、特別なものではなかったのだろうか。

「何故?」

「私が行くと言えば、おそらくカウティスも付いて行くと言うでしょう。カウティスをザクバラ国の中央へ入れたくはありません」

セルフィーネは尚も目を瞬いて、首を傾げる。

「私にはよく分からないが、リィドウォル卿は、『血の繋がりを感じるカウティスは、不思議と特別に感じる』と言っていた。ならば、祖父もそういうものなのかと思ったが、会わせなくても良いものなのか?」

「兄が、そんなことを……」

マレリィはピクリと黒い眉を震わせた。



「血の繋がり……。確かに、特別に感じることもあります。腹を痛めて産んだフレイアとカウティスは、私の宝です」

マレリィは遠くの空を見て、黒眼を細める。

「……ザクバラ国王は、苛烈な方です。過去には国力を纏め上げるため、自身の兄の妻や、血の繋がった甥であっても、容赦なく打ち捨てました。昨年、政変が成されても尚、王が王座を降りていないのは、ザクバラ国の根本はあの頃のままということに他ならないでしょう」

マレリィが僅かに顔を歪めたの見て、セルフィーネが声を掛ける。

「マレリィ妃、頭痛がするのでは? もう話は良いから……」

「そんな所へ、カウティスを遣る訳にはいきません。長く疎遠だった私を父が呼ぶのも、兄の考えかもしれないのです。兄は国王の信者です」


マレリィの身体が揺れ、こめかみを押さえる。

様子がおかしい事に気付いた侍女が、花壇の側から動いた。


「……この頭痛も、きっと……あの時に兄が……。兄は誰よりも、叔父である国王を敬愛していて…………っ」

「マレリィ妃、もう良い」

セルフィーネが首を振る。

マレリィが膝を折り、駆け寄った侍女が支えるが、マレリィはその手を払ってガラスの覆いに手をつき、懇願した。


「セルフィーネ様、もしも、もしもカウティスがザクバラへ行くと言ったら、どうか止めて下さい。決してあの子を王の、兄の下にやらないで……!」

マレリィが頭を抱えて崩れ落ちる。


「マレリィ様! 誰か、薬師を!」

侍女が花壇の向こうに向けて叫ぶ。

「私が呼ぶ」

セルフィーネはガラスの覆いから抜け出て、薬師館へ駆ける。



「どうか……!」

後ろでマレリィの悲痛な声が響いた。



ザクバラ国で産まれ、生きてきたマレリィの、心身から出た叫びだった。


ザクバラ国王の側に下りた時の、あの異様さを思い出し、セルフィーネはぶるりと震えた。



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