幸せな光景
夕の鐘を過ぎてから、西部国境地帯の拠点に戻ったセルフィーネは、広間で夕食を摂るカウティスとラードと話していた。
「……カウティスも、嘘をつく?」
王城でエルノート王に言われたこと、マルクと会話した内容を話し、セルフィーネはカウティスに恐る恐る尋ねた。
「誰かを傷付けるような嘘はついていないつもりだが、全く嘘をついていないとは言い切れないな」
「……そうなのか?」
セルフィーネは驚いた。
きっとカウティスなら、「嘘をつかない」と言うと思っていた。
僅かに不安を含んだセルフィーネの声に、カウティスは眉を下げる。
「そなたの神聖力を管理官から隠したのも、嘘といえば嘘だし、貴族院に霧の
年末にセルフィーネが本当の
「そうか……、それも嘘だというのなら、私も嘘をついたことになるのだろうか」
思いもよらなかった事実に、胸がドキドキした。
自分では嘘が付けないと思っていたが、別の見方をすれば嘘になることもあるのだ。
「セルフィーネが嘘を口に出来た訳ではないがな」
カウティスが苦笑する。
「嘘にも色々ありますからね」
口に入っていた物を飲み込んで、ラードが無精髭の顎を撫でた。
「嘘の全てに悪意がある訳ではありませんし」
「そうだな。考えてみれば、子供の頃はよくついた。教本を読んでないが読んだと言ったり、嫌いな料理が出た日は、お腹が痛いふりをしたりな」
カウティスが並べる子供の頃の“嘘”を聞いて、セルフィーネは菓子を持って泉に休憩に来ていた頃を思い出し、微笑む。
「そうか、そういうものも、確かに“嘘”なのだな」
人間は嘘をつく生き物だと聞いて構えてしまったが、どれもが恐ろしいものではないらしい。
「ラードも嘘をつくか?」
セルフィーネの問いに、フォークで肉を刺していたラードが、当たり前に頷いた。
「まあ、女性を口説く時には、多少の嘘も必要なので」
水を飲もうとしていたカウティスが、グラスを持ったまま半眼になってラードを指差す。
「最低な奴だな! セルフィーネ、『最低』って言ってやれ」
「最低」
ラードがむせた。
「王子! セルフィーネ様に言わせないで下さいよ! ダメージ大きいでしょうが」
ははっ、と大きく声を上げて、カウティスが笑う。
セルフィーネも一緒に笑った。
心配な事があっても、ネイクーンではこうしてカウティス達と話せば、心が落ち着いたり、気付かなかった事に気付けたりする。
それがとても嬉しかった。
日付が変わる頃になり、セルフィーネはカウティスから離れる。
「セルフィーネ」
また朝に、と挨拶をして、
カウティスが真剣な顔をしている。
「そなたを怖がらせたくないが、ザクバラ国に限らず、警戒心は持っていてくれ」
「……ザクバラ国に限らず?」
「そうだ。どこにでも、ネイクーンにだって、そなたを欲する者がいるかもしれない。そなたは、……特別だから」
セルフィーネの魔力が三国に広がって、もうカウティスやネイクーン王族だけでなく、多くの者に
回復が進めば、もっと知られていくだろう。
「分かった。心掛ける」
セルフィーネはコクリと頷く。
「それから……。俺は、セルフィーネを悲しませるような嘘は、絶対につかないから」
嘘をつくという話をした時、セルフィーネが不安気な声を出したのが気になっていて、カウティスはそんな約束をする。
カウティスの気持ちが伝わって、セルフィーネは胸を押さえた。
「……カウティスは、どうしていつも、私が嬉しくなる言葉が分かるのだ」
セルフィーネはそっと近付く。
「……そなたのことばかり、考えているからかな」
照れたように笑いながら、見えないはずなのに手を伸ばすカウティスに、セルフィーネは微笑む。
その掌に頬を寄せ、側にいる幸せを噛み締めた。
セルフィーネは
水の季節に入ったばかりだというのに、空には雲が多い。
月は出ているが、光は弱かった。
セルフィーネは王城に向かって駆け、泉の庭園に下りた。
月の光を取り込んだガラスの覆いの中は、昼間とは違った心地良さだった。
まるで、月光神殿の祭壇の間にいるようだ。
ここが、慣れ親しんだ庭園の中ということもあって、他国の神殿の中よりも、ずっと安心していられた。
早朝に拠点に帰り、カウティス達が朝食後に居住建物を出る時、また王城に戻る。
ガラスの覆いの中は昼夜問わず心地良くて、セルフィーネはずっとそこにいて、視界だけ広げて水源や各地の魔術陣を見たり、カウティス達を見たりしていた。
午後の二の鐘が聞こえて、セルフィーネは我に返る。
そういえば、ここを使った感想を聞かせてくれと、エルノート王が言っていたと思い出す。
今なら午後の休憩時間だろうか。
メイマナ王女にも会えるかと思い、セルフィーネは王の執務室へ向かった。
執務室に下りると、ソファーのところにお茶の準備がされていて、メイマナが座って侍女や文官とお喋りをしていた。
天井から滑り下りるように入って来た魔力の纏まりにすぐ気付き、メイマナが立ち上がる。
「水の精霊様、おかえりなさいませ。無事のお戻り、嬉しく思います」
メイマナは美しい所作で立礼した。
ネイクーン仕様の山吹のドレスが、ふわりと広がる。
文官で魔力が見える者は、メイマナに続いて立礼し、見えない者や侍女達は、それに習った。
セルフィーネはふと、首を傾げた。
「ありがとう。……王は?」
「貴族院での会議が長引いているようです。もうすぐ戻られると思うのですが」
言ってメイマナは、ソファーの隣を示す。
「よろしければ、こちらで一緒に待たれませんか?」
どうやらメイマナも、ここでエルノートが戻るのを待っていたらしい。
セルフィーネはくすりと笑いながら、メイマナの隣に収まった。
「メイマナ王女は、いつでも私を“そこにいる”様に扱ってくれるな」
「まあ、おかしな事を仰いますね。ここにいらっしゃるではありませんか」
メイマナは当然の様に言って微笑んだ。
「魔力が見えても、気味悪がる者もいる。見えない者は特に、存在を感じれば怖がる者が殆どだ」
メイマナは魔術素質が低いので、セルフィーネの魔力が見えても曖昧なはずだ。
それでもこうして、自然に振る舞ってくれる。
周りの侍女達は、かなり緊張した様子だ。
セルフィーネと一緒にいたことがあるハルタでさえ、半実体を持たない今は、表情が固い。
「それを言ってしまえば、全く見えないのに水の精霊様を想い続けておられる、カウティス殿下はどうなりますか?」
メイマナが
カウティスのことを引き合いに出され、セルフィーネは胸をときめかせる。
すると魔力がどう見えるものなのか、メイマナがふっくりとした手で口元を押さえた。
「ふふ、お可愛らしい」
「……からかうな」
「からかってなどおりませんわ。好きな方を想う乙女は、皆、可愛いらしいものです」
“乙女”や“可愛らしい”など、メイマナの言葉はどれも、セルフィーネに直接向けられる機会の少ない言葉ばかりで、嬉しくはあるが、くすぐったい。
セルフィーネは収まり悪く、唇をむぐむぐとさせて俯いた。
「ああっ! 水の精霊様、やっぱり縫いぐるみをお使いになりませんか!?」
何故か頬を上気させたメイマナが、両手を組んで迫った。
「縫いぐるみ? 用意したのか?」
仮の姿で使ったらどうかと、メイマナが提案した魔術玩具だ。
「はい! 白いうさぎですわ。水の精霊様に、ぴったりだと思いますの」
「いらない」
「まあ! そんな事を仰らずに!」
あっさり断られ、心から残念そうにメイマナが言ったところで、エルノートが執務室に戻って来た。
「縫いぐるみの件で、食い下がっているな?」
皆の挨拶を受けながら、笑ってソファーのメイマナとセルフィーネの魔力を見遣る。
メイマナは大きく頷いた。
「そうなのです。是非とも使って頂きたいのに……」
「仮の姿は使わないことに決めたのだ」
「まあ、残念……」
本気で残念そうに眉を下げたメイマナを見て、セルフィーネはプイと顔を背ける。
「魔石を入れたら動くのだから、普通に使えば良いだろう」
「子供の玩具ですから、私共が普通に使うものではありませんもの」
セルフィーネはチラリとメイマナを見て、小さく息を吐いた。
「その内、その腹の子が使うだろう?」
しん、と執務室が、静まり返った。
「み、水の精霊様、今、何と……?」
侍女のハルタが
本来ならば、主人を差し置いてセルフィーネに直接声を掛けるべきではないはずだが、執務室にいる誰もが固まっている。
セルフィーネは首を傾げた。
「縫いぐるみは子供の玩具なのだろう? それなら、その腹の子が生まれたら、使わせると良い」
「すぐに薬師を呼べ!」
我に返ったエルノートの声に、侍従や侍女が慌ただしく動き出した。
「メイマナ」
ソファーで呆然としているメイマナに寄り、エルノートは腿の上の白い手を握る。
メイマナは目を瞬いてエルノートを見上げてから、隣のセルフィーネを見た。
山吹色のドレスの腹に手を当てる。
「…………水の精霊様、本当に、子が?」
「確かだ。この部屋に入ってすぐに気付いた。そなたの腹に、別の命を感じる」
「エルノート様」
感極まって寄り掛かったメイマナを、エルノートが抱き締めたが、ハッとして力を緩める。
「……もしや、強く抱き締めてはいけないのだろうか」
「今は、力一杯抱き締めて下さいませ」
両頬に笑窪を刻み、満面の笑みでねだるメイマナに、エルノートは愛おしく彼女の頬を撫でてから、微笑んで強く抱き締めた。
セルフィーネは、部屋に残っていた侍従達と共に、幸せな光景を微笑んで見詰めたのだった。
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