詛を継ぐ者達
カウティス達は拠点に戻り、広間で少し話した後、それぞれの部屋に分かれる。
今は日付が変わった深夜だ。
積もる話は朝になってからだ。
セルフィーネは、カウティスと部屋に入る。
二人きりになると、すぐには休むことにならず、やはり色々と話してしまった。
「ハルミアンは回復が進んでいると言っていたが、そうなのか?」
寝台に座って、カウティスが尋ねた。
マルクやハルミアンが一緒にいなくても、カウティスはセルフィーネの香りを感じて、彼女の方を向いた。
「ザクバラ国でも神殿にいられるようになったから、随分回復が進んだ」
そうか、とカウティスがホッと息を吐く。
「では、前回のように辛いことはなかったのか?」
「なかった」
コクリと頷いて返事をしてから、セルフィーネは少し考えて、小声で続けた。
「…………やっぱり……辛かった」
「何かされたのか!?」
ザクバラ国はまたセルフィーネに無体を強いたのかと、カウティスが気色ばんだ。
「そうではなく…………。カウティスの側に行けないのは辛くて……」
毎夜カウティスの声を聞き、顔を見られるのに、側に行けない。
顔を見に来られるだけでも嬉しかったはずなのに、いつの間にか、神殿に駆け戻る間が寂しくて辛いと感じた。
「カウティスの胸に戻りたかった……」
セルフィーネの切ない声が、カウティスの胸を鷲掴みした。
「セルフィーネ、おいで」
両腕を広げるカウティスの鼻に、朝露の様な香りが、濃く届く。
「俺も、そなたが側にいないと、寂しくて辛かった。だから今夜は朝まで側にいてくれ」
腕の中に向かってカウティスが言う。
セルフィーネは嬉しくて、カウティスの胸からそっと顔を上げた。
見上げたカウティスはこちらを向いてくれているが、魔力が見えないので、セルフィーネの視線とは微妙に合わなかった。
セルフィーネは細い眉を下げる。
二人きりでいても話が出来て、存在も分かってもらえる。
それがとても嬉しいはずなのに、今度は目を合わせて欲しいと願ってしまう。
こんなに欲張りになったら、呆れられてしまうだろうか。
突然、寝台の側の机に置いてある水差しから、湯気のように白い
驚くカウティスを他所に、靄はカウティスの胸に集まると、セルフィーネの見えない身体をその形のまま覆った。
「霧の
カウティスは嬉しそうに目を細める。
「ああ、分かる。そなたは、ここにいるな」
カウティスの掌が頬に添えられ、しっかりと視線が交わって、セルフィーネの胸は熱くなる。
「嬉しい。目を合わせて欲しかった。……まだ実体を持たないのに、こんな願いを持つなんて、やっぱり私は欲張りになってしまっただろうか」
小さく笑む靄の
「目を合わせるだけか、セルフィーネ?」
軽く首を傾げたセルフィーネに、カウティスはゆっくりと顔を寄せる。
「俺は、もっと欲張りだぞ」
言って、カウティスは口付けた。
ザクバラ国の王城。
王族の居住区の一室で、タージュリヤ王太子が黒茶色のドレスの胸を押さえて、深く息を吐いた。
「ああ、何という事でしょう。あのように穏やかな声で話して下さったのは、いつぶりでしょうか」
つい先程まで王の居室で、意識を取り戻した王と会話をした。
同じ部屋に通されているのは、先程、一緒に水の精霊を迎えた面々だ。
「真でございます。それに、しっかりとこちらの声にも反応しておられました」
年嵩の魔術士が、感動した様子で何度も頷く。
「水の精霊の魔力にも驚きましたが、あれ程すぐに陛下に反応があった事も、驚きです」
魔術師長ジェクドはポケットから煙草入れを出そうとして、ここがそういう場所ではないことに気付き、慌てて手を抜く。
彼もまだ動揺しているようだ。
セルフィーネが王の部屋から抜け出てから、王は意識を取り戻した。
王は、側に寄る孫娘のタージュリヤを認識する。
「タージュリヤ……美しく、なった……」
「御祖父様……」
僅かに笑んで、瞳に柔らかな光を見せる王の手を取り、タージュリヤは感極まった様子で微笑んだ。
二言三言、言葉を交わした後、上がった息を整えて、王が掠れた声で聞いた。
「何やら、……涼やかで、蒼い香りを感じた……。あれは……人のものでは、ないな?」
「はい、御祖父様。……おそらく、水の精霊の香りであると思われます」
タージュリヤが答えると、王は薄く開いていた目を、見開くように動かした。
皺の寄った瞼が震える。
「リィドウォル……、リィドウォルよ……!」
「陛下、お側に」
リィドウォルがタージュリヤの隣に寄って、
「ようやった! とう……とう、ネイクーンから、水の精霊を……っ」
「御祖父様!」「陛下」
上体を動かそうとした王が咳き込み、薬師が状態を診る。
その間も、王は興奮を抑えきれず口を動かしたが、はっきりと聞き取れる言葉にはならなかった。
ただ、「良くやった」というような言葉を、何度も何度も口にしたのは分かった。
薬師が、これ以上の面会はならぬと判断したので、リィドウォル達は居室から出されたのだった。
タージュリヤは、部屋に入ってからまだ一度も口を開かないリィドウォルを見る。
「リィドウォル卿の言う通り、水の精霊の魔力には、とても強い浄化の力があるようですね」
リィドウォルは向き直って頷いた。
「
リィドウォル自身も、驚いていた。
水の精霊の魔力は、まだネイクーンの水の精霊であった頃程回復していない。
それでも、あの僅かな時間で、王に絡まり付いた
「何とかあの精霊を、もっと長い期間我が国に留め置くことは出来ないでしょうか」
タージュリヤが溜め息と共に言った。
「再来月、ネイクーン王国のセイジェ王子が越して来られたら、両国の絆は深まります。交渉の場も設けられるかと」
「そうですね。貴族院にも話を通しましょう」
年嵩の魔術士の言葉に、タージュリヤは深く頷いた。
「御祖父様が回復なさるなら、譲位を勧めることも出来ます。御祖父様の意思で私が即位する形の方が、その後の摩擦も少ないでしょうから」
タージュリヤが部屋を出るのを見送って、頭を上げたジェクドが、何処か上の空のリィドウォルに声を掛けた。
「リィドウォル、“涼やかで蒼い香り”とは、何だ? 水の精霊の香りだと殿下が答えておられたが、そんなものは、聞いたことも感じたこともないぞ」
魔術に関わって数十年、魔法の事も多く知識としては持っているが、精霊に香りがあるなど、ジェクドは聞いたことがなかった。
リィドウォルはチラリとジェクドを見て、溜め息混じりに話し始める。
「……魔法を使う上での必須条件は、精霊を正確に認識し、指示を伝えられることだ。エルフは精霊を目で見て指示を送る。しかし竜人は、見るだけでなく、匂いを感じ、声を聞き、魔力に触れられる」
リィドウォルが説明する内容に、ジェクドは眉を寄せ、年嵩の魔術士は目を瞬いた。
「初耳です」
「竜人は教えてくれたりはしないからな」
リィドウォルは頷いた。
リィドウォルはフルブレスカ魔法皇国に留学していた頃、竜人族に師事した。
教えられた訳ではなく、師を観察していて分かったことだ。
彼等は五感の内、味覚以外の感覚を全て使って、精霊を使役していた。
「ザクバラ王族は竜人の血を受け継ぐ為か、
淡々と語るリィドウォルを、ジェクドは上目に睨む。
「……タージュリヤ殿下は、香りを認識しておられたぞ。まさか、殿下も……」
「詛が表れているということだな」
二人は息を呑んだ。
「殿下はまだ20歳だぞ!」
「詛が年齢など考慮するものか」
顔色一つ変えないで吐き捨てるリィドウォルに、またお前は他人事のように、とジェクドが唸った。
「……だからこそ、水の精霊が必要なのだ。我が国こそが、
リィドウォルは低く呟く。
『 何とかあの精霊を、もっと長い期間我が国に留め置くことは出来ないでしょうか 』
タージュリヤが言った言葉が、リィドウォルの中でこだまする。
良くやったと喜びを
リィドウォルは強く奥歯を噛んだ。
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