暗中の闇と灯火

疑え

水の季節前期月、初日。


午前の一の鐘が鳴る頃、西部国境地帯の拠点では、寝不足だが機嫌の良いカウティスが、広間で今週の予定を話していた。



「一週五日が式典だが、四日はマルクの授与式だからな。明後日には王城に戻る予定だ」

水の季節に入って最初の吉日に毎年行われるのは、水の季節と火の季節を無事に越せるよう、兄妹神と水の精霊に祈りを捧げる国家式典だ。

祝事ではないので、喪中でも例年通り行われる。

とはいえ、新王即位後初めての式典とあって、王城では官吏達が張り切って準備を進めている様だ。


朝食後のお茶に、息を吹きかけて冷ましていたハルミアンが、楽しそうに揺れる魔力の纏まりを見て笑う。

「楽しそうだね、セルフィーネ」

言われたセルフィーネは、微笑んで頷く。

「マルクの晴れ姿も、式典も楽しみだ」

「へぇ、式典も? それって堅苦しいやつじゃないの?」

ハルミアンが、セルフィーネとカウティスを交互に見比べた。


季節の変わり目に国家式典が行われるのは、この大陸の国々では珍しいことではない。

国によって、重要視する季節で行われたり、五つの季節全てで行われたりするが、その内容は、王族や国の代表が兄妹神や精霊に祈りを捧げる点では変わらない。


「いや、我が国も特に変わったものではないと思うが」

「他国と大きく違うのは、水盆を置いてセルフィーネ様にお出まし願うことくらいでは?」

カウティスも不思議そうな顔をして、ラードと顔を見合わせる。


「だって、式典に集まった皆が、『水の精霊《私》は今もネイクーンのものだ』と言ってくれるようで、嬉しいのだもの」

セルフィーネのその声は、少し恥ずかしそうに聞こえる。


頬を染めて恥じらうセルフィーネの姿を想像して、カウティスはそっと俯いて額を掻く。

「二週間会わないうちに、可愛さが増していないか……」


カウティスの横顔が緩んでいるのを見て、ハルミアンは呆れた。

見えない彼女のことを、これだけ可愛いと思えるとは。

「まったく、どれだけ惚れてるのさ」

口の中で呟き、小さく溜め息をついて笑った。





カウティス達が、それぞれの仕事を始めるのに合わせて、セルフィーネも拠点を出る。

王城に帰還を知らせに行くのだ。


「魔力集結の覆いは完成しているからね、入ってみるといいよ。午後の一の鐘には、様子を見に使い魔を飛ばすから」

ハルミアンはそう言って、馬に乗る。

今日もこれから、聖堂建築予定地へ向かうのだ。

「分かった」

セルフィーネは答えて、空に駆け上がった。



慣れ親しんだネイクーン王国の空は、セルフィーネの心と身体を軽くする。

王城まで駆けるのが心地良く、思わず微笑む。

あっという間に着いてしまうのが惜しくて、わざとゆっくり駆けながら街や町村を眺めた。

街では、魔術士ギルドの魔術士達が気付いて手を振ってくれたり、『おかえりなさい』と叫んでくれたりして、セルフィーネは笑みを深めた。



王城に辿り着き、王の執務室へ下りる。

エルノート王は忙しく公務を行っている途中だったが、魔力の纏まりが部屋に下りて来たのに気付き、手を止めた。


「セルフィーネ、戻ったか」

その言葉を聞いて、周りにいる文官が立礼し、侍従達も揃って頭を下げた。

「おかえりなさいませ。無事のお戻り、嬉しく思います」

エルノートの側に立っていた宰相セシウムが同様に立礼した。

「戻った」

魔力の纏まりが明るい色で揺れているので、エルノートは笑いながら、今見ていた書類をセシウムに渡す。

「えらく楽しそうだな」

「ネイクーンに戻ってから、皆が『おかえり』と言ってくれるのが、嬉しい」

ふふ、と笑う声にも喜色が滲む。

「元気そうで何よりだ。ザクバラ国でも神殿で過ごせるようになったと聞いたが、回復も進んでいるようだな」

「ずっと神殿にいたので、思っていたよりも回復出来た」

そうかと頷き、エルノートは魔術師長ミルガンに使いを出すと、文官達と侍従を続き間へ移動させた。



「それで、ザクバラ国での二週間はどうであった」

ミルガンが執務室に入るのを待って、エルノートは改めて尋ねた。

セルフィーネも落ち着いて口を開く。

「水源の管理としては問題ない。三国の内では最も安定していると言って良い。おかげで回復に専念出来た」


「確かに、神殿におられた分、先月我が国におられた二週間よりも回復が進んだ感があります」

ミルガンが魔力の纏まりを見詰める。

魔術士達は、日々空の魔力を見て、水の精霊の魔力回復を確認もしている。


「我が国にはイスターク司教がおられて、神殿を使うことは出来ませんからね」

セシウムが残念そうに言った。

オルセールス神聖王国の、管理官の確認まで突っぱねたのだ。

当の水の精霊の為に、神殿に協力要請することは出来ない。


「だが、ハルミアン殿が考案した、魔力集結の覆いとやらが完成した。もう見たか?」

「まただ。この後で行ってみる」

エルノートが頷く。

「あれがどれ程効果があるのか私には分からないが、そなたの回復に役立つなら、ハルミアン殿に許可を取って他の領にも造りたいと思っている。また、感想を聞かせてくれ」

セルフィーネは首を傾げた。

「幾つも必要ないと思うが」

「そなたの為でなく、各領地の為だ。何もしなくても魔力を集められるなら、それは如何様いかようにも魔術士達が活用出来るということだろう? 各領地の魔術士ギルドが、魔力不足で諦めている取り組みなどもあるからな」


ミルガンとセシウムは目を見合わせ、軽く笑う。

王は既に、別方向での活用を考えているらしい。

「相変わらずだな」

いつでも変わらない王城の雰囲気に、セルフィーネは嬉しくなった。




「セルフィーネ。ザクバラ国が、神殿に働き掛けてまで何故そなたの回復を助けるのか、理由を聞いたか?」

雰囲気を一変させて、エルノートが尋ねた。


「…………聞いたが……」

セルフィーネはそのまま黙った。

国を覆う淀んだ気を払いたいという内容は、内情に関わる。


セルフィーネが内容を話さないということは、話せないか話したくない内容ということだ。

「では、そなたに無理を強いるような事は、今のところないのだな?」

「ない。神殿に居場所を提供されて、回復に努めることと、十日間ザクバラ国から出ない事を約束した」

エルノートは薄青の目を細める。

「それは、誰と話した?」


セルフィーネは考える。

タージュリヤ王太子と宰相リィドウォルは、国政に携わる者の上層に位置する。

どんな話にも関わるのは当然なので、ここで名を出しても問題ないと思われた。

「タージュリヤ王太子と、リィドウォル卿だ」


エルノートは思案するように視線を宙にやり、角ばった顎を指で撫でた。

「それならば、今はそれで良い。しかし、セルフィーネ、ザクバラ国で言われた事を、そのまま正直に受け取るな」

「何故?」

セルフィーネは首を傾げた。


「ザクバラ国の者は、本音を上手く隠し、本音のように聞こえる嘘をつく」

エルノートは一つ息を吐く。

ネイクーン王国に毒を持ち込みながら、何食わぬ顔で休戦協定を結んだリィドウォルを思い出し、胸の悪さが甦る。

しかし、発作が起きるようなことはもうなかった。


「そなたが聞かされた事が本当とは限らないし、今は表に出されていない目的があるのかもしれない。いずれにせよ、全てを信じるな。……と言っても、そなたには難しいか……」

エルノートは、戸惑うように揺れる魔力の纏まりを見て苦笑いした。

セルフィーネに人間を疑って掛かれと言っても、すんなり出来ることではないだろう。


「信じるな? それは、どれを……どの部分を……?」

セルフィーネは困惑する。

勿論、ザクバラ国の人間のことをよく知らないし、手放しで信用しようと思う程、好感は持てていない。

しかし、逆に言えば、手放しで疑える程の感情も持っていないのだ。



「何にせよ、水の精霊様が以前ほど回復される頃には、セイジェ殿下がザクバラ国に入られます。そうなれば、見えてくるものもあるでしょう」

戸惑ったままの魔力を見て、見兼ねたミルガンが口を挟んだ。

「半年経てば、協約の見直しも行われることになっていますから、状況も変わるかと思われますし」

現在の協約を結ぶ為の話し合いの場に参加したセシウムも同調した。





セルフィーネが執務室から抜け出て、エルノートは深く息を吐いた。


「セルフィーネに疑うことを教えるのは、なかなかに良心が痛む」

その言葉にミルガンが苦笑して頷いた。

「あの方の清く美しい魔力を目の前にすれば、疑って掛かれと言う自分こそが、心の汚れた者のように感じます」


しかし、ザクバラ国にいる間、セルフィーネを直接守れる者はいない。

セルフィーネが自衛する手段の一つとして、疑うことは必要な事のように思われた。



「ザクバラ国が動くとすれば、セルフィーネの魔力が充分回復してからだとは思うが、どうだろう」

預けていた書類束をセシウムから受け取りながら、エルノートは言う。


ザクバラ国が、ただネイクーンに打撃を与えたいだけならば、弱った水の精霊が国内に入った時点で、何らかの手を打っていたはずだ。


目の前に立っているミルガンは、難しい表情だ。

「今、水の精霊様に危害を加えていないのなら、そうだとは思います。派遣している魔術士達の見解では、ザクバラ国に漂う、病んだ気を浄化したいのではないかということですが」

「……それで、セルフィーネの回復に協力していると?」

ミルガンはまばらな口髭をしごく。

「予想ではありますが」



「自国の穢れを祓うために、隣国の恩恵を羨んで奪ったと? それでもあの国は、ネイクーン我が国を略奪者の国だと言うのか……」

エルノートの薄青の瞳に、冷たい怒りが滲む。


……何とも都合の良い解釈をする国だ。


国主の座を預かる身として、エルノートはザクバラ国の在り様に、言いようのない怒りを覚えた。




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