懐柔

光の季節後期月、六週四日。


夜になり、いつもの時間にカウティス達が川原に下りると、セルフィーネは既に対岸にいた。



「王子、セルフィーネ様がいらしてます」

マルクが魔力の纏まりを見付けて、カウティスに示した。

「今夜は早いな。何か変わった様子は?」

マルクが栗色の目を凝らして、対岸にたたずむ魔力の纏まりと空を見比べる。

「ありません。回復も少しずつ進んでいるようです」

それならば、今夜は早目に来ただけなのだろうか。

「セルフィーネ。元気か?」

カウティスは水面に向かって声を掛ける。

一拍置いて、パシャと水が跳ね、カウティスはホッとした。


「明日の夜には、会えるな」

川面に向かって言ってから、カウティスは対岸に向かって微笑む。

明日の深夜に日付が変われば、水の季節前期月になり、セルフィーネはネイクーン王国へ帰って来られる。


ザクバラ国へ行っていても、毎朝、毎夜、こうして安否を確認出来る様になったことは嬉しいが、側にいられない事は辛い。

そして、ふとした瞬間に色々なことを想像して、セルフィーネを心配してしまうのだった。




いつも通り安否確認をして、カウティスの言葉を聞き取り、セルフィーネはポツリと呟く。

「……後、一日……」


先月と違って、ザクバラ国にいても神殿にいる限り、消耗する事もない。

思っていたよりも魔力の回復が進んでいるくらいだ。

それでも、日を追うごとにネイクーン王国が恋しくなって、セルフィーネは胸が苦しくなった。

ネイクーン王国にいる時の二週間は、あっという間に過ぎてしまうのに、ザクバラ国にいる時は、同じ二週間がとてつもなく長い。


セルフィーネは左腕のバングルを、そっと撫でる。


早く、早く、カウティスの側に戻りたい。

駆け寄って、あの胸に収まりたい。

そう思いながら、対岸に立つ愛しい人を切なく眺めた。





ザクバラ国の空を駆けて、セルフィーネは神殿に戻った。


祭壇の間に入ると、前列の長椅子にリィドウォルが座っている。

相変わらずリィドウォルは、毎夜水盆に水を張って、セルフィーネが戻るのをこうして待っているのだ。

そしてセルフィーネが黙っていると、以前と同じ様に、暫く魔力を見てから去って行く。


セルフィーネは、小首を傾げる。

一体、この者は何がしたいのだろう。


魔眼持ちの魔術士ということと、国境地帯にいる時からカウティスが警戒して、決して近寄らないようにと言い含められていたので、構えていたきらいがある。

先月の脅しで、警戒心が更に強くなっていたのも確かだ。

しかし、タージュリヤ王太子と共に、セルフィーネの魔力の回復を図ってくれた。

先月の謝罪をされ、特に無体な要求もされていない。



セルフィーネは瞬いて、前に座るリィドウォルを眺める。

この者はこうして、日々魔力の回復を確かめ、セルフィーネが進化しても問題はないと言う。

好きか嫌いかは別として、この者はこの者で、自国を愛し、自国の為に力を尽くしているのかもしれない。


ザクバラ国は“敵国”ではなく、“ネイクーン王国とは別の国”ということだと感じたように、この者は、セルフィーネが好んで側にいるネイクーンの人間達とは国も立場も違うというだけで、“リィドウォル”という、一人の人間であるのだ。




「……何か言いたいことでも?」


突然リィドウォルに話し掛けられて、考えに沈んでいたセルフィーネは我に返る。

「……え?」

「こちらを見ているようなので、話し掛けたのだが。違ったか?」

リィドウォルが苦笑して、足を組み替えた。

「いつもは話しかけるなという様に、上に行くだろう」

彼は祭壇の上を指差した。


どうやら毎夜黙ってリィドウォルが去っていたのは、セルフィーネが話したくないと思っていたことを察しての行動だったようだ。


「……言いたいことがあった訳ではない」

「では、私に関心が?」

セルフィーネが返事をしないので、リィドウォルは質問を重ねた。

「カウティスは、変わりなかったか?」


その質問に、魔力が警戒したように小さく揺れると、リィドウォルは再び苦笑した。

「他意はない。ただ、大事なお前を引き離してしまったからな。お前同様、カウティスも元気にしているのか、案じているだけだ。……ザクバラの身内でも、その位は許されるだろう?」


そんな風に言われると、カウティスの祖父の話を出された時の様に、セルフィーネは戸惑ってしまう。

血が繋がっていなくても、心で繋がり合って、尊い関係を作れることは分かる。

しかし、逆は正直、良く分からない。

身内とは、血の繋がりとは、どれ程特別なものなのか。


精霊に血の繋がりはない。

だが、同じ神の眷族として、同胞への想いはある。

そういうものだろうか。



「カウティスは、元気か? お前に会いたがっていたか?」

不意に声音を和らげて尋ねられ、セルフィーネは思わず胸を押さえた。


『 明日の夜には、会えるな 』


さっき聞いたカウティスの声が耳に甦り、胸が苦しくなった。

「……カウティス、は……」

涙声にも聞こえるセルフィーネの小さな声がして、リィドウォルは立ち上がる。

「……悪かった。明日一日留まれば、ネイクーンへ戻れる。こらえてくれ」

気遣うように言われ、セルフィーネは更に戸惑ってしまった。




リィドウォルが踵を返して扉に向かう。

しかし、数歩進んで止まると、振り返って言った。

「水の精霊よ、頼みがある」

「…………頼み?」

「ネイクーンに戻る前に、……陛下の側へ、一度下りてもらえないだろうか……」


「王の?」

竜人族のようなあの気配を思い出し、セルフィーネはぶるりと震えた。

ゆっくり見るのも困難だった所へ、出来れば近付きたくない。


魔力が震えたことに気付いたリィドウォルが、黒髪を揺らして首を降る。

「僅かで良い。無理であるなら、先日のようにだけでも」

その切実な様子に、セルフィーネはすぐに嫌だとは言い難くなった。

「何故、王の側へ?」


「……陛下は、淀んだ気のせいで、二年近く伏せっておられる」

リィドウォルは一度目を伏せる。

竜人の血ののろいだとは言えない。

「先日、お前が陛下を後、短い時間だが意識を回復された。……それがお前の魔力の影響なのか、それとも偶然であったのかを確かめたい」


それであの日、リィドウォルの様子がいつもと違ったのだと、セルフィーネは納得した。

ザクバラ国の王が、二年程表に姿を見せていないという話は聞いていた。

それがあの老人の姿であって、あの日、突然目覚めたのだとすれば、確かめたくなるのも分かる。


こちらを見詰めるリィドウォルの表情は真剣だ。


「……分かった。明日、やってみよう」


自分の魔力が、あの淀んだ気に本当に影響するのか。

セルフィーネもそれは気になって、承諾した。






翌日、光の季節後期月、末日。


セルフィーネは、ザクバラ国に滞在する二週間の最終日を、いつもの通り祭壇の間で過ごした。

毎日当たり前のように、セルフィーネのことを見ないふりして務めを行っていた神官達が、何となくホッとしているように感じるのは気のせいだろうか。



リィドウォルからの頼み事は、日の入りの鐘から一刻経ってから、行うことにしていた。

公に行うことではないので、人払いしやすい時間が良いという事だった。

セルフィーネにとっても、あの場に行くには、月が出てからの方が心強い。




日の入りの鐘から、一刻。


セルフィーネは約束した通り、祭壇の間から抜け出て、王城に向かう。

一度見たので、部屋の位置は分かっている。

上空から部屋のある位置に近付くと、その気配に萎縮して、一度止まった。


やはり、近付きたくない。


それでも、空から降る青白い月光に力を得て、己を奮い立たせた。

そして、これを終えれば、もうカウティスの下に帰れると言い聞かせる。


セルフィーネは唇を引き結び、室内に下りた。




ザクバラ国王の居室には、リィドウォルとタージュリヤ王太子に加え、年嵩の魔術士、魔術師長ジェクド、薬師長が待機していた。


既に人払いはされており、大きな寝台の周りに垂らされた天蓋は、一部巻き上げてあった。

巻き上げた向こうに見える寝台の上には、王が力なく横たわっている。

静かな室内には、普段通り鎮静効果のある薬香が焚かれ、時折、王の掠れた笛のような呼吸音が細く響いていた。




突如、締め切っているはずの室内に、涼やかなな微風が入った気がした。

持ち込んで机の上に置かれた、銀の水盆の水面が、薄く波紋を広げる。



「……あれが、水の精霊……」

天井から、抜け落ちるように下りてきた魔力の纏まりを見て、ジェクドが呟いた。

間近で見るのは初めてだった。


それは、世界中に漂う水の精霊とは、全くの別物だった。

確かに水色の魔力は水の精霊のものだが、薄紫色が複雑な色合いを作り、月光の様な青白さも時折混じる。


ジェクドが口を閉じる前に、水の精霊は巻き上げられた天蓋まで近付いたが、ひるんだように下がった。

「……これ以上は、無理だ」

水盆から小さく声がして、魔力の纏まりは逃げるように天井へ消える。


薬香の香りが鼻を突き、皆一様に深く呼吸した。

誰もが息を詰めていた様だった。




「随分、魔力を回復出来ていたようですね」

タージュリヤが息を吐いてから、確認するように言った。

あっという間の出来事で、もしかしたら夢であったのかと思った。

「はい、殿下。やはり、神殿に留め置いて正解でした」

リィドウォルが答えた時、王の様子を確認する為に寝台に近付いた薬師が、王の皺だらけの瞼がピクリ、ピクリと動いているのを見て、声を上げる。

「陛下……!」


リィドウォル達が弾かれた様に動いて寝台に寄った。

「御祖父様」

タージュリヤが側に寄り、前に垂れた黒髪を払って顔を近付け、そっと声を掛ける。


王の目は殆ど閉じたままだったが、湿らされた唇が薄く開いて、掠れた声を出す。

「……今の、魔力…は……何か……」

「御祖父様……!」

タージュリヤが感極まった様子で声を掛けようとするのを、リィドウォルが止める。



皆が見詰める中、王がゆっくりと薄く目を開け、再び唇が動いた。


「……何……やら……、蒼い、香りがする……」




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