策謀
セルフィーネは国境地帯でカウティスと会い、胸を温かくして中央へ戻る。
今夜は試験を終えたマルクが共にいて、セルフィーネの位置を伝えてくれたので、カウティスは迷うことなくこちらを向いてくれた。
マルクが魔力を見て、おそらく回復が進んでいることも伝えてくれたのだろう。
安心したような笑顔も見せてくれて、セルフィーネはとても嬉しかった。
今日はザクバラ国内を見て回り、気持ちの上では随分疲れた。
しかし、この空の下で生きる人々が、ネイクーン王国の人々と大きく変わりはないのだと認識したからか、淀んだ空気の中を駆けることの気味悪さは、幾分か減ったような気がした。
神殿へ滑り込んだセルフィーネは、神殿の間に下りて、驚いて思わず一歩下がった。
いつも長椅子に座っているリィドウォルが、今夜は水盆の前に立っていたのだ。
垂れ下がったクセのある黒髪の間から、月光を映した瞳が見える。
リィドウォルは、セルフィーネが戻るなり、その魔力の纏まりを見据えて口を開いた。
「陛下に何をした?」
「…………ザクバラ国王?」
ここに戻るとカウティスについて尋ねられることが常だったので、セルフィーネは戸惑った。
「そうだ。お前は今日国内に魔力を伸ばしていただろう。その時、陛下に何かしなかったか?」
食い入る様に尋ねるリィドウォルは、いつもと違った。
いつもは何もかもが他人事の様な目をしているが、今は感情の
「……何も」
「何も……?」
魔力の纏まりが、頷く様に揺れる。
「国中を見ただけだ。……王城最奥に、老人が眠っていたのを僅かに見たが、やはりあれがザクバラ国王か?」
セルフィーネの言葉に、リィドウォルの眉間にゆっくりと皺が寄る。
「…………見ただけ? 陛下の側に寄ってもいないというのか?」
「今月神殿に留まってから、国境地帯に行く以外に出たことはない。王城には、視界を向けて見ただけだ」
実際は、良く見ることも出来なかった。
国王の周りは淀んだ気が濃く、竜人族に似た気配を感じて、セルフィーネは
大きな寝台で横になっていたのが、枯れたような老人だったということが知れただけだ。
「見ただけ……だと」
リィドウォルは、うわ言のように呟いた。
魔力を薄く伸ばして、見ただけ。
ただそれだけのことで、王の
それとも、水の精霊が三国共有のものになって二ヶ月経ち、少しずつ上向きになっていた容態が、ここに来て大きな変化を見せたのか。
リィドウォルは、改めて水の精霊の魔力を見詰めた。
どちらにせよ、水の精霊の清浄な魔力には、王の人格障害をも引き起こしていた詛を、弱める力があると証明されたのだ。
やはり、この水の精霊が欲しい。
リィドウォルの喉が鳴る。
ザクバラ王族に絡まり付いた詛を解くには、どうしてもこの
―――どうしても。
見詰めていた魔力が、
無意識に、目の前の魔力に手を伸ばそうとしていた事に気付き、急いで腕を引く。
国境地帯で、カウティスに触れただけで過剰に反応したことを思い出した。
この水の精霊は、ただの精霊ではない。
ネイクーン王国とカウティスが創り上げた、純粋培養の“お嬢さん”なのだ。
無闇に怖がらせたり、警戒をさせてはいけない。
「…………驚かせたのなら、悪かった」
言ってリィドウォルは目を伏せ、わざとゆっくりと呼吸して見せた。
「大丈夫だ。お前の嫌がることはしない。これ以上警戒心を持って欲しくはない。……それに、お前を無事にカウティスの下に戻さねばならないからな」
カウティスの名が出て、セルフィーネの強張りが僅かに解けるのを、リィドウォルは確かに見た。
「…………何故?」
「お前はカウティスの大事な者だろう。お前を害して、カウティスに恨まれるのは困る。父と会わせるためにもな」
目の前の魔力が、ふるふると弱々しく揺れた。
リィドウォルは密かに目を細める。
この水の精霊には、この者自身を気遣ってみせるよりも、カウティスをだしにした方が効果があると、すぐに分かった。
リィドウォルはそっと下がって、長椅子に腰掛けた。
声音を和らげ、上目に魔力を見て口を開く。
「……我が国の魔術師長の見解では、お前は進化に向かっているというが、それは事実か?」
「っ……、私は……」
魔力が動揺したように不安定に揺れるので、リィドウォルは軽く手を上げる。
「気になったので確認しただけだ。お前が進化して何者になろうと、約束通り十日間我が国にいて、回復に努めてくれれば良い」
「何者になろうとも……。例えば“水の精霊”でないものになったとしても、ザクバラ国は構わないという事か?」
何処か
「構わない。我等が求めるのは、この国の気を清める者だ。お前が何者になっても、その清浄な魔力のままであるなら、問題はない」
「……清浄な魔力というが、私が望んでそういう魔力を育てた訳では無い。変化すれば、魔力も変わってしまうかもしれない」
不安定に揺れたままの魔力は、不安気な声を出す。
リィドウォルは、は、と軽く声を出して笑った。
「そうだろうか? 私は、お前がベリウム川で狂いかけたのを見たことがあるが」
魔力の纏まりがビクリと揺れた。
「あれ程腐れた様になったのに、お前は再び清浄な者に戻った。……カウティスと共に在れば、お前はどんな者に変化しても、カウティスの望むような清浄な者で在ろうとするのでは。違うか?」
考え込んでいるのか、水の精霊は返事をしなくなった。
リィドウォルは立ち上がり、いつものように魔力を眺めてから、祭壇の間を出て行った。
祭壇の間を出たリィドウォルは、一度扉を振り返った。
「水の精霊が、また何か?」
扉の外で待っていた護衛騎士のイルウェンが尋ねる。
考えに沈んでいたリィドウォルは、返事をしなかった。
以前、ネイクーン王国の北部と西部の間でカウティスを捕縛した時から、水の精霊をザクバラ国のものとする為には、カウティスをザクバラ国へ連れて来る事が一番だと思っていた。
不思議に思える程の、両者の繋がり。
だが、あの時はまだ水の精霊は契約に縛られていて、ネイクーン王国の外へは出られなかった。
カウティスだけを捕虜として連れ帰っても、水の精霊は手に入らない。
だが、今は違う。
水の精霊は、三国を自由に行き来出来るようになった。
おそらくカウティスがザクバラ国にいれば、水の精霊はザクバラ国から出ていかないだろう。
水の精霊が進化を遂げる前に、ザクバラ国の
「……王城へ戻る」
祭壇の間の扉からようやく視線を外し、リィドウォルが歩き出す。
イルウェンは一歩分開けて後ろに続きながら、口を歪ませた。
陛下が目を覚まして面会し、
水の精霊に良い印象を持っていないイルウェンは、何か考え込んでいるようなリィドウォルを見て、水の精霊がまた何かしでかしたのかと考えた。
思えば、国境地帯で見ていた時から、あの精霊は普通ではない、とイルウェンは思う。
汚泥のような化け物じみた姿を見せたかと思えば、神聖力を思わせる白い光を放って魔獣を消し去り、人間でもないのに、ネイクーンの王子に懸想するという気味の悪いもの。
淀んだ気を払うと聞くが、それでザクバラ国がネイクーンやフルデルデのような、腑抜けた国になりはしないのだろうか。
魔術素質のないイルウェンには、リィドウォルが見上げている夜空に、不吉なものがあるようにしか思えなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます