真の声

年が明け、水の精霊が三国共有のものとなってから、ザクバラ国王の容態はやや上向きになった。

先月、目を覚まして侍従と僅かに言葉を交わしてから、時折意識を取り戻すことがある。

しかし、常に意識は混濁していて、意味の分からないことを呟いたり、昔の出来事を、ついさっきの事のように口にしたりする。


タージュリヤ王太子は時間が空くと見舞いに訪れていたが、今まで目を開けた王と会えたことはなく、以前よりも容態の安定した祖父の手を握り、声を掛けるに留まっていた。




リィドウォルは護衛騎士のイルウェンを引き連れ、年嵩の魔術士と共に、王族の居住区に入った。

絨毯の敷かれた廊下を、重い足取りで進む。


リィドウォル達が最奥の王の居住区域に入ると、大扉の前で待っていた王の侍従が頭を下げた。

「陛下は?」

「まだ目を開けておいでです。この二ヶ月で、一番しっかりと意識を保っておられます」

「タージュリヤ殿下にお知らせしたか?」

「先にお会いになられました。少し会話されましたが、すぐに陛下が疲れたと仰って、先程下がられました」


リィドウォルは、周りの者にも聞こえる程に、ゴクリと喉を鳴らした。

握った右の拳が僅かに震えて、思わず左手で掴む。


今、会っても良いのだろうか。

以前の様に、激昂して無体な命令をされるようなことがあれば、のろいを消し去ろうとしている今の企みは、全て無駄になるかもしれない。


しかし、王が呼んでいると聞かされれば、意図的に背くことは困難だった。




リィドウォルは護衛騎士を残し、年嵩の魔術士と共に室内へ入った。


静かな室内は、いつも通り薬香の香りに満ちていた。

中央の巨大な寝台に近付くと、天蓋の前で足を止める。

先導していた侍従が、何重にも垂らされた天蓋を潜る。

暫くすると、会話をする密やかな声が聞こえて、リィドウォルは息を呑む。

王はまだ意識を保ち、侍従と会話しているのだ。


侍従が再び天蓋を潜り、戻って来た。


「リィドウォル様だけ、入るようにと」

リィドウォルは一つ息を吐いて、天蓋を潜った。




寝台の側に近付くと、寝台の中央に、上体を斜めに起こした王がいた。

灰墨色の長髪は真っ直ぐ垂れ下がり、枯れ枝の様な指は布団の上で組まれている。

落ち窪んだ目は半分開いていて、真っ直ぐ前を見ていた。



「……陛下」

リィドウォルは寝台の右側で膝をつき、跪礼きれいする。

「リィドウォルが参じました」

王が動く気配がした。

息が苦しくなるような沈黙の時間は、果てしなく長く感じた。


「……顔を上げよ」


酷く掠れてはいたが、懐かしい声音に、リィドウォルは数度瞬いてから、ゆっくり顔を上げた。

王は首をひねって、リィドウォルを見ていた。

皺の寄った瞼が重そうに半分閉じられているが、黒い瞳には確かに光が入り、リィドウォルと視線が合うと、僅かに揺れた。

「…………ネイクーンとの紛争はどうなった」


鼓動が早くなる。

王は、今、どのような認識の元、この質問をしているのだろうか。


リィドウォルの喉が、再び鳴った。

「……昨年、休戦協定を結びました」

その返事の後、王は動かず、喋らないままだった。

意識が失くなっているのかといぶかしんだが、瞳に光は入ったままで、リィドウォルから視線を外さない。

それで、リィドウォルも息を詰めたまま、膝をついていた。




どのくらい経っただろうか。

王は組んでいた手を離し、右手をリィドウォルに差し出した。

「……すまぬ。……すまぬ、リィドウォル。そなたを中央から払ってしまった。……よく、生きて帰った……。さぞ私を恨んでおろう……」

訥々とつとつと話す言葉は、所々聞き取れなかったが、リィドウォルは弾かれた様に王の手を取る。

「いいえ。いいえ、陛下。恨んでなどおりませぬ」

王の手に、僅かに力が籠もる。

「許せ……、すまぬ。そなたを……前線に送るつもりはなかったのだ。……すまぬ、リィドウォルよ。許せ……」

「許せなどと!……陛下」


王は暫くして意識を失くすまで、リィドウォルに謝罪し続けた。




完全に王が眠り着き、薬師が状態を確認して終わると、リィドウォルはふらりと天蓋から出た。

慌てて年嵩の魔術士が近寄る。

「リィドウォル様、陛下とお話出来たのですか!?」

リィドウォルは何処か呆然として頷いた。


「確かに、……叔父上だった……」


王の意識が、正しく現在のものなのかは分からなかった。

しかし、あの重なる謝罪の言葉が、叔父の心の内から出た真の声なのだと、リィドウォルは信じた。





カウティスは午後に王城を出て、ラードとマルクと共に、夕の鐘を過ぎて西部へ戻っていた。



夜、いつものように拠点を出て、まばらな木立の間を通り、川原へ下りる。

光の季節も終わりに近く、今夜は薄く雲が出ていた。

「今年はあまり降らないと良いですね」

ラードが空を見上げて言った。


来月からは、水の季節だ。

水の季節は他の季節に比べて雨が多く、雨が振らなくても、空を厚い雲が覆う日が増える。

セルフィーネの回復には月光は必須なので、回復速度には影響が出るかもしれない。


「そうだな。堤防建造を進める為にも、ベリウム川が氾濫されては困る」

カウティスが言えば、マルクが頷く。

「今年からは、例年より早く、上流の北部に魔術士を派遣する事になっています。既に新しい魔術陣は敷き始めているので、余程の長雨が続かなければ、氾濫の抑制は可能なはずです」

これもまた、新しい試みだ。



「セルフィーネ様が心配される事が、少しでも減ると良いのですが。……ところでラードさん、さっきから私の顔を見て笑ってるのは、どうしてですか?」

真面目に話しているのに、何故かラードがニヤニヤしてこちらを見るので、マルクが口元を引きつらせた。

ラードは笑いながら、自分の額を人差し指で突付く。

「お前、すっかりが当たり前になりすぎて、忘れてるだろう」


マルクはハッとして、額に貼ったままだった小さな魔術符を引き剥がした。

最近、魔術士館で考案された、新しい魔術符だ。

濡らした布を当てるように程良くひんやりとして、熱っぽい時に丁度良い。

一刻程冷気を保ち、頭が痛い時や、打ち身にも効果的とあって、瞬く間に薬師達の間で人気となった。

ただ、見た目は子供が落書きしたメモ書きを貼っているようで、なかなかに格好悪い。


「恥ずかしいところをセルフィーネ様にお見せするところでした……」

魔術符をクシャリと丸めて、栗色の前髪を整えるマルクに、カウティスも笑っている。

「既に一回見られているがな。それにしても、まだ頭痛が?」

「いえ、少し頭が重い感じだったので貼っていたんです」

マルクが照れ笑いで言った。


魔術士の昇級試験は、五週三日に王城の魔術士館で行われた。

マルクが受けたのは、ネイクーン王国では最上級に上がる為のものだ。

相当に困難な課題が出されたらしく、五日にカウティス達と会った時には、まだ頭痛が酷くて顔色が悪かった。



「一体、どんな課題だったんだ?」

ラードが軽い調子で尋ねた。

「人工的に魔石を造るというものです」

カウティスが首を傾げる。

「魔石とは、既に人工的な物が殆どだと思っていたのだが、違うのか?」


魔石は、生活魔術具にも使われるので、平民から貴族まで、当たり前に触れる物だ。

魔術具に使用して魔力が空になった魔石は、魔石屋に持って行って、魔力を充填してもらう。

王城では、魔術士館の若手の仕事でもある。

そういった意味で、魔石とは人工的な物だと思っていた。


「確かに魔力の充填は人が行うことが殆どですが、その器となる石は、魔力耐性のある一部の鉱石に限られているんです」

マルクは、足下の砂利の一粒を持ち上げる。

「そういう特別な素材でなければ、普通……」


掌に置かれていた石粒が、突然サラと砂のように崩れ落ちた。


「何だ!? 何が起こった?」

ラードが灰色の目を真ん丸にして、マルクの掌を覗き込む。

「魔力を充填したんです。魔力耐性のない素材だと、こうして破損してしまいます」

両手をパッパと払って砂になってしまった石粒を落としながら、マルクは説明する。


魔力耐性のある鉱石は天然の物なので、大きさも質もバラバラだ。

用途に合わなければ加工しなければならないが、加工の仕方によっては質も落ちる。

質が低いものは、劣化も早い。


「それで、以前から魔力耐性のある素材を作り出す研究がされていたんですが、最近は魔力耐性のない素材に、耐性を付与して器を造るのが、研究の主流になっているんです。それで、課題に出た素材に各属性を一つ一つ付与していくんですが、自分の主属性と反する……」

「待った、待った!」


ラードが顔を顰めて、両手をマルクに向けて突き出した。

カウティスにもその気持ちは分かる。


「分かるようで分からん説明はやめろ。要は耐性のない器に耐性を付けて、魔石を作るのが課題だったんだな?」

乱暴に略されたのが不満か、マルクが微妙な表情で口をもぐもぐさせたが、結局頷く。

「ええ、まあ、そうです。これが自在に出来るようになれば、巨大な物から極小の物まで、用途に合わせて魔石を造ることが出来ます。でも、一人で大きな器を造るのが大変で……、この体たらくです」

マルクは額を指差す。


内容は大まかにしか分からなかったが、とにかく課題が大変で、魔力を消費し過ぎて頭痛に陥っていたらしい。



「合格しているといいな」

心からそう願って、カウティスが言う。

合格発表は月末日だ。

「ありがとうございます。……あ、王子、セルフィーネ様がいらっしゃいました」


マルクがザクバラ国側の空を指差して、笑顔で言った。





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