敵国の姿

エルノート王の誕生祭を無事に終えて、カウティスは翌朝泉の庭園を見に行った。

日の出の鐘が鳴る前で、まだ誰もおらず、作業台や材料が端の方に置かれているままだった。


庭園には、小さな泉を囲って、温室のような八角形のガラスの覆いが出来ている。

まだ完成はしておらず、泉の細い噴水は止められていて、水面が微かに揺れるだけだ。


兄曰く、セルフィーネが戻る来月頭に間に合うよう、突貫工事で進めているので、美観は後回しだそうだ。

けれども、魔力集結の為なのか、上部を複雑に重ね合わせたような造りの覆いは、それだけでも十分美しく見える。


だが、ここにセルフィーネが入ることを考えると、何故だかカウティスの胸は小さく痛みを感じた。



美しい小さな庭園。

輝くガラスの覆い。

それはまるで、水の精霊を閉じ込める檻の様だ。


セルフィーネは長い間ずっと、人間や竜人の身勝手で、囚われたままなのだ。


怒りのような気持ちと共に、ここでセルフィーネの回復を促そうとしている自分も、もしかしたら水の精霊を思うようにしようとする者と、大して変わらないのではないかという気がしてくる。



カウティスは、ガラスの覆いに手を添わせ、額を付ける。

朝の空気で冷えたガラスが頭を冷やし、ザワザワとしていた胸の内を沈めていく。


ガラスの内で、泉の水がピシャと跳ねた。

カウティスはガラスから額を離し、微笑んで声を掛ける。

「おはよう、セルフィーネ」

彼女とこうして心を繋げている限り、自分は水の精霊を利用しようとする者とは違うと信じた。




「完成間近だね」

不意に頭上から声を掛けられて、カウティスは弾かれた様に顔を上げる。

重なり合うガラスの上に、ちょこんと臙脂色の鳥が止まっていた。

「ハルミアン、どうした?」

ハルミアンの使い魔は、ぷるると羽根を震わせた。

赤銅色の長い尾羽根が遅れて揺れる。


「直接何回も来るのは大変だから、時々使い魔で見に来てるんだ。工事が期日に間に合っても、魔力集結出来てなかったら意味ないからね。……うん、これならきっと、充分セルフィーネの回復に役立つよ」

ピョン、ピョンと、天井部分を跳ね回って確認し、鳥は満足そうに黒曜の目を細めた。

「完成前には、もう一度見に来るね」

「聖堂建築もあるのに、すまないな」

カウティスが鳥を見上げて言うと、鳥は長い尾羽根を再び揺らした。

「僕だって、セルフィーネに早く回復してもらいたいもの」

ハルミアンの言葉に、カウティスは微笑んだ。



「ねえ、王子。……王子はセルフィーネの聖紋って、見たことがあるの?」

ガラスの覆いから離れて、王城へ戻ろうとしたカウティスの後ろから、ハルミアンが声を掛けた。


「…………聖紋? なぜだ?」

カウティスが振り返り、いぶかし気に尋ねた。

「セルフィーネは、実体を持っていなくても、聖紋を持っているのかなって思っただけ。……ほら、最近僕は、聖職者に混じってることが多いでしょ。皆、バラバラの箇所に聖紋が刻まれているからさ。ちょっと興味が湧いて」

鳥は小首を傾げ、忙しなく嘴を動かした。

愛嬌のある仕草だったが、カウティスは静かに見詰めるだけだった。


「……素肌をさらしている部分にはなかったな」

カウティスが思い出すように、数度瞬きした。

「…………王子も知らないんだ?」

「セルフィーネが半実体を持っていた時も、私はハルミアンのように、何時でも触れられる訳ではなかったのだぞ」


また妬いているのか、恨めしい様な視線を向けられ、鳥はバタバタと羽根を動かした。

「もう、そんな目で見ないでよ!」

じゃあまた夜にねと言って、鳥は跳び上がり、光の粒を散らして消えた。


カウティスは、散った光が全て消えるまで、鳥が消えた空間を見詰めていた。






ザクバラ国では、セルフィーネが泉の庭園から視界を戻した。


カウティスと朝、こうして少しでも交流出来るのも、ザクバラ国で消耗せずに済んでいるおかげだ。

最初こそ、神殿の中とはいえザクバラ国にいることで、緊張感があった。

しかし、昼夜を問わず消耗せずに留まれる場所があって、カウティスと安否の確認をすることもとがめられず、セルフィーネの気持ちにも余裕が生まれてきた。


それで、初めてザクバラ国内を見てみようと思った。




セルフィーネは視界を広げる。

ちょうど日の出の鐘が鳴ったところで、太陽の光で国中が明るく照らされたところだった。


無機質で陰鬱いんうつに感じていた中央は、どうやら貴族や富裕層の民が住まう街の様だった。

人々が外に出て動き始めても、活気があって賑やかな雰囲気ではなく、何処か静かで落ち着いた雰囲気だ。


地方へ視界を飛ばせば、そちらはネイクーン王国の地方領地と大きく変わらない様に見えた。

施設の大小や数、役割分担など、二国との違いやセルフィーネの知らない事も多くあったが、それは国ごとの特色だろう。


セルフィーネは、ゆっくりと国中を見続けた。


遠くで夕の鐘が鳴る。

眼下に広がる畑では、ネイクーンの民と変わらぬ笑顔で、家路を急ぐ人々がいる。

中央を除き、何処の街や町村でも、人々は日々の生活に喜怒哀楽し、他人と関わり合って当たり前に一日を終える。

そこに感じる、生きる為のエネルギーは、ネイクーンで街を見下ろして感じたものと大差ないものに思えた。




セルフィーネは、一度視界を祭壇の間に戻した。


ネイクーン王国ではその歴史から、ザクバラ国を敵国として意識している者も多い。

しかし間近で見れば、やはり何処の国も、その国なりの平凡で大切な日常がある。


ザクバラ国は“敵国”ではなく、“ネイクーン王国とは別の国”ということなのだ。



『 私は、この国を病んだ気から開放したいのです 』


タージュリヤ王太子の言う通り、ザクバラ国が変わる為には、まずこの淀んだ気を清めることが大事な事のように思う。

そうすれば、ザクバラ国とネイクーン王国は、もっと近しい存在になり得るのではないだろうか。


セルフィーネは、王城を中心とした中央をよく見てみることにした。


この国の淀んだ気は、とにかく中央が酷い。

この淀みをどうにかするというのなら、中央を清めなければならない。

そうすれば、地方でも空気が変わってくるだろう。




セルフィーネは、王城へ視界を飛ばす。


地方とは比べ物にならない空気感に、視界だけで胸が悪くなる。

挫けそうになって、今日のところはとりあえず俯瞰ふかんで終えようとした時、王城の奥から異様な気配を感じて、ひるんだ。

位置的に考えて、奥は王族の居住区だろう。


そこに、特別な何かがいる。


視線をそこに据えただけで、身が竦むような恐ろしさを感じる。

この感じは、竜人族を前にした時とよく似ていた。


セルフィーネはハッとして息を呑む。

あそこにいるのがザクバラ国王なのではないか。

竜人の血を受け継ぐ、ザクバラ王族の頂点。

最もそののろいを濃く継いでいるのは、ネイクーンと衝突し続けている、国王なのでは……。



意を決し、セルフィーネはへ視線を集中させた。





リィドウォルは、魔術士館の外で空を見ていた。


見上げる空には、均整のとれた網目状の水の精霊の魔力が広がっている。

今朝はその網目に沿って、神殿辺りの上空から、水色と薄紫色の魔力が波打つように国中へ広がっている。


「六日目で国内に魔力視界を広げるとは、お前の予想よりも、更に早かったな」

魔術士館入口から出て来た魔術師長ジェクドは、そう言ってポケットから巻煙草を出そうとするが、煙草入れが空なのに気付き、舌打ちした。

「もっと回復をして、我が国に馴染んでからかと思っていたがな」

「ネイクーン王族は、水の精霊をよほど純粋に育ててきたと見える」

リィドウォルは軽く笑った。

「……慈悲深いものだ」


王族であるタージュリヤ王太子が乞えば、この国の民を憂い、慈悲の心を向けるのは分かっていた。

何と言っても、国境地帯を鎮める為に、月光神の奇跡を呼び込んだ精霊だ。

望んだことでなくても、自らの魔力が影響を及ぼす様になったザクバラ国を、淀んだ気のまま放置しておくわけがない。


しかもザクバラ国は、カウティスに縁のある国なのだから。



夕の鐘が鳴り暫くすると、広がっていた魔力が、潮が引くように戻ってきた。

網目状の魔力は、色を薄くする。


三国共有が恨めしい。

あと四日経てば、水の精霊はまた、喜々としてネイクーンへ戻るだろう。

水の精霊あれがザクバラ国だけのものであったらと、思わずにいられない。


リィドウォルは深呼吸をして、焦りを押し殺すよう努めながら、魔術士館の中へ戻る。

後ろからジェクドが続いた。



「水の精霊の魔力が層の状態になるまで、どのくらい掛かると思う?」

魔術師長室に入るなり、新しい煙草の箱を開けにかかったジェクドに、リィドウォルは尋ねた。

「さあなぁ。層になる為には、ネイクーン一国の時よりも魔力を増大しなきゃならない。水の精霊お嬢さんが回復後、どの程度増大に注力するかで随分変わるだろうさ」

リィドウォルは腕を組み、指で腕を叩く。

「……ネイクーン一国だった、元の状態まで回復するだけなら?」

「元の状態?……それなら、二ヶ月程度でいけるんじゃないのか?」


ジェクドは新しい煙草に火をつけようとして、口を歪めた。

「リィドウォル、焦るな。タージュリヤ殿下は着実に即位の準備を進めておられる。陛下も今年に入って、容態はすこぶる安定していると聞く。もしかしたら、本当にお前達の契約を解けるかも……」

「そんなことは望んでいない。陛下には、のろいから解放されて安らかにお眠り頂きたいだけだ」


かたくなな言い方をするリィドウォルを、ジェクドは睨み付けた。

「……お前、やっぱり契約を解く気がないな? 陛下と共に逝きたいんだろう。楽になりたいと思っているのは、自分自身なんじゃないのか!?」

リィドウォルは視線を合わせないまま、黙っている。



その時、魔術師長室の扉がノックされ、返事を待たず開かれた。

入って来たのは年嵩の魔術士で、彼はリィドウォルを認めて、上擦うわずった声で言った。


「リィドウォル様、……陛下が……、陛下かお呼びです」




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