親族の繫がり

月は、半分雲に覆われている。

今夜もセルフィーネは、国境地帯の川原に降り立つ。


対岸には、カウティスとラードが立っていた。

足元に置かれた魔術ランプが、二人をぼんやりと照らしている。

ザクバラ国に入った日の夜に、ハルミアンを通じて神殿で過ごせる事は伝えたが、やはりカウティスは心配そうな顔でこちらを見ていた。



今日でザクバラ国に入って四日だが、初日に言われた通り神殿で過ごしていても、神官達はセルフィーネを見ないふりして日々の務めを果たしている。

おかげでセルフィーネは、彼等を気にせずに留まり、魔力の回復に専念していられた。

ザクバラ国に入る前は、滞在する十日間でいかに消耗を抑えるかばかり考えていたが、実際は効率的に回復出来ている。


心配しないでと再び伝えたかったが、マルクは昇級試験を受ける為に王城へ戻っているし、今夜はハルミアンもいないようだった。

魔力が見えないカウティスとラードでは、空を見上げても、セルフィーネの回復が進んでいることは分からないだろう。


何か、カウティスを安心させるような手はないだろうか。




カウティスは川原に下りて、対岸を眺めていた。

毎日この時間にここに来ているが、今夜はセルフィーネの魔力を確認出来る者がいない。


今朝、川原で早朝鍛練をした時には、魚が跳ねるように水が動いた。

ハルミアンからは、ザクバラ国でもセルフィーネが神殿にいられるようになったと聞いたが、あの国をどこまで信用して良いのか分からない。



漠然とした不安を抱えたまま対岸を眺めていたカウティスの耳に、極小さく、涼やかな声が届いた。


「……歌?」

隣に立っていたラードが呟いた。

聴こえてきたのは、五つの季節の歌だ。

「セルフィーネが歌っているのだ……」

カウティスは目を凝らすが、セルフィーネの姿が見えるはずもない。

だが、彼女は今確かに対岸にいて、自分の側の水を通して歌っているのだ。


その微かな歌声に、カウティスは目を閉じて耳を澄ます。

微風と共に流れてくる涼やかな声は、辛いことはない、心配いらないと、カウティスに伝えてくれているようだった。



火の季節のところまできて音が外れて、ラードと共に、思わず笑ってしまった。

「確かにセルフィーネ様ですね」

「そうだな」


歌が終わると、川面に向かって声を掛ける。

「明日は王城へ戻らなければならないが、明後日には、またここに来るから」

分かったというように、水が小さく跳ねた。






カウティスの笑顔が見られて、セルフィーネは胸を温かくして神殿に戻った。


祭壇の間に入り、広間を見渡して眉根を寄せる。

今夜も一番前の長椅子に、リィドウォルが座っているのだ。

初日に謝罪を受け入れて以来、彼は毎晩ここに来て、こうして座って待っていた。


セルフィーネは何も話したくなかったので、二日目からは黙っていた。

魔力の回復を確かめる為なのか、彼は話し掛ける訳でもなく、暫く魔力の纏まりを眺めてから、いつも静かに出て行くのだった。




今夜もまた黙って去っていくのだろうと思い、リィドウォルから視線を外したセルフィーネは、水盆に水が張ってあるのに気付いた。

確か月光神の女神官は、今日の務めを終えて居住棟に戻る時、水を捨てて水盆を拭き清めていたはずだ。

ということは、リィドウォルが水を張ったのだろう。

思い返せば、国境地帯から毎晩帰って来ると、必ず水盆には水が張ってあった。


セルフィーネは小さく溜め息をついた。

「…………何か話があるのか」

声を掛けられて、リィドウォルは一度瞬きした。

「会話をする気になったか?」

「……話すことがあって、水を張っているのかと思っただけだ」

リィドウォルは小さく頷いた。

「カウティスに、変わりはないか」

セルフィーネは強く眉根を寄せた。

周りに人がいないと当たり前にカウティスに敬称を付けないことに、気持ちが僅かに波立つ。

カウティスについて彼と話したくなかったので、セルフィーネは返事をしなかった。


「…………では、マレリィは? 変わりなく過ごしているか」


セルフィーネの眉根が開く。

リィドウォルはマレリィの兄で、カウティスの伯父だ。

表面上の事さえよく知らない者だが、彼には彼なりの、身内への情というものがあるのかもしれないと思った。

それで、少し考えて返事をした。

「王族の生活について、詳しくは述べられないが、変わりなく健やかに過ごしている」

「そうか。健やかならば、それで良い」


言ったリィドウォルのその顔を、セルフィーネはまじまじと観察する。

間近でこれ程しっかり見たことはなかったが、マレリィに良く似た雰囲気を持った顔立ちだ。

目は似ていないが、鼻や口の形はカウティスにもよく似ていて、血の繋がりを実感させた。



「父が、マレリィとカウティスに会いたがっている」

突然振られた話に、一瞬セルフィーネはついて行けない。

「……父?」

「私とマレリィの父親だ。カウティスの祖父だな。カウティスが生まれた時に、一度だけネイクーンへ、祝いの使者として会いに行ったことがあるのだ」


セルフィーネは記憶を辿る。

確かに、カウティスが生まれた時、マレリィの父親だという使者が使節一行の中にいて、マレリィと話をしていた。


「父はもう高齢で、自力で動き回ることは困難になった。本来ならばカウティスが成人の折に、もう一度会いに行けるかと期待していたようだが、……機会を失った」

セルフィーネは僅かにひるむ。


カウティスが成人したのは、セルフィーネがフォグマ山で眠っていた頃で、ベリウム川の汚染と氾濫から、両国が衝突していた。

カウティスが祖父と会う機会を失った原因の一端を、自分が担っていることに悔しさを感じた。


「父にしてみれば、四人の子の内、残ったのは私とマレリィだけ。血の繋がった孫は、フレイアとカウティスのみだ。最期の時を迎える前に、娘と孫に会いたいらしい。……フォーラスに嫁いだフレイアに会わせてやることはできないが、隣国にいるマレリィとカウティスなら、会えるかもしれぬ。……どう思う?」

問い掛けられて、セルフィーネは困惑する。

「どう、とは?」

「既にネイクーンへ申し入れてはいるが……。カウティスをよく知るお前なら、どう思う? カウティスは、我が国まで祖父に会いに来ると思うか?」


セルフィーネは更に困惑した。

国政や内情には関係なく、水の精霊の三国共有にも関わっていない話だ。

カウティスについて、リィドウォルと話すつもりはなかったが、親族間の繋がりの問題を出されると、どうして良いか分からない。


ただ、『カウティスをよく知るお前なら』と言われれば、カウティスならどうするだろうかと思わず考えてしまった。


「…………分からない。だが、マレリィ妃がザクバラ国を訪れるのなら、共に訪れるかもしれないと思う」

「そうか」

セルフィーネの答えに一言だけ返して、リィドウォルは黙ってしまった。



セルフィーネは何処か落ち着かず、問いを返す。

「卿には、子はいないのか」

「娘と息子がいるが、妻の連れ子でね。血の繋がりはない」

リィドウォルはふと、小さく笑った。

「だからだろうか、を感じるカウティスは、不思議と特別に感じるのだ」

魔力の纏まりが警戒するように揺れるのを見て、リィドウォルが言う。

「……私がそう感じるのは、お前は不快か?」


セルフィーネが返事をしなくなったので、彼は軽く手を上げると、黒いローブを揺らしてそのまま扉を出て行った。





翌日、五週五日は、エルノート王の誕生日だ。

喪中で、盛大な催しは出来ない為、バルコニーから国民に向けて姿を見せる恒例行事は中止となった。

代わりに数日前から、各領地に祝いの菓子や酒等が送られ、地方の小さな町村まで、朝から感謝の声と共に配られている。


通常なら夜に行われる宴は、小規模な晩餐会に変更になった。

新王即位後、最初の誕生祭としては異例だが、皇帝崩御という間の悪い時に当たったのだから仕方がない。


しかし、周りの落胆を他所に、エルノート本人は祝いの品が民に行き渡っているのかという事以外、あまり頓着していないようだった。




ラードと共に王城に戻ったカウティスは、貴族院との面会の合間にエルノートに呼ばれ、執務室に入った。


「ザクバラの祖父が、会いたがっていると?」

「そうだ。セイジェが再来月に越す為の準備で、最近は密にザクバラ国と連絡を取っているが、先日のやり取りでこれが送られて来た」

警戒するように固い表情のカウティスに、エルノートが白い封筒を渡した。


カウティスが開くと、中にはカウティスの祖父に当たる、マレリィの父からの手紙が入っていた。

几帳面な字面で、三十年近く娘と疎遠にならざるを得なかった後悔と謝罪が綴られ、死期を近くに感じて、最期に一度会えるならばと乞い願っていた。



「…………本当に、祖父なのでしょうか」

思わずそう言ってしまうのは、カウティスに祖父と会った記憶がないからだろう。

産まれたばかりの時に会っただけだというのに、最期に会いたいと思う程、孫は身の内に感じる存在だろうか。

カウティスには全く分からなかった。


「マレリィ様は、父君の手紙でおそらく間違いないだろうと仰っていた」

特徴のある文字のクセがあるらしい。

カウティスは固い表情のまま視線を上げる。

「母上は、行くと言われたのですか?」

「迷っておられるようだ」

迷う程には、疎遠な関係であった。



カウティスは暫く考えていたが、手紙を折り、元の封筒に仕舞う。


「私は正直、行きたいとは思いません。……ですが、母上が行くと決断されたら、共に行っても良いでしょうか」

もしも母がザクバラ国へ行くならば、側に付いていてやれるのは、自分だけだと思った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る