執着心

ネイクーン王国の西部にある拠点では、定例試験を終えたマルクが、夕の鐘を過ぎて帰って来た。

居住建物に入ってすぐ、セルフィーネの魔力を認め、ぱっと顔を輝かせる。


「セルフィーネ様! お戻りだったのですね」

「今日戻って来たのだ」

弾むような声が水差しから聞こえて、マルクは笑みを深める。

「良かった、随分回復が進んだように見えます。カウティス王子が、首を長くしてお待ちでしたよ」


「そうだ、すごく待っていた」

セルフィーネが戻って来て嬉しいはずのカウティスが、何故か不貞腐ふてくされたような顔で言ったので、マルクは首を傾げた。

「あれ? 王子、どうなさったのですか?」

ラードが可笑しそうにくっくと笑う。

「セルフィーネ様が今朝、王子に一瞥くれて王城へ行ってしまわれたから拗ねてるのさ」

「うるさいっ!」

マルクがハルミアンを見ると、彼も笑いながら肩を竦めた。



「カウティス、まだ怒っているのか?」

セルフィーネが小さな声で言った。

「…………別に、怒っていない」


怒ってはいないが、あまりにも衝撃だったので、すんなり受け入れられない。

セルフィーネが自分を後回しにして王城へ行ってしまったなんて。

どんな時も、何を置いても、自分を一番にしてくれると思っていたのに……。


要するに凹んでいるのだ。


子供じみた言い分なのは分かっているが、それでも、『会いたかった』と、とにかく先ずはこの胸に収まって欲しかった。



「会いたかった、カウティス」



考えを読まれたかのようなタイミングで、セルフィーネがか細い声で言った。

「本当は、フルデルデ王国で我慢していた。毎日、カウティスに会いたかった」

朝露のような蒼い香りがする。

「ずっと会いたかった。怒らないで、お願いだ……」

切ないその声に、カウティスの中のわだかまりは瞬時に吹っ飛んだ。

「怒ってない。すまなかった」

カウティスは両腕を広げて、セルフィーネを胸に受け入れる。

鼻先に濃く蒼い香りがすると、何とも言えず安心して、深く息を吸った。

腕を折り曲げて、胸に抱いたセルフィーネに囁く。

「セルフィーネ、……会いたかった」

カウティスの完敗である。


「まったく、二人きりの時にやってよね!」

ハルミアンが呆れたように言ったが、カウティスは無視しておいた。




ようやくカウティスの調子も戻ったところで、セルフィーネがフルデルデ王国から帰って来た時の経緯を聞いた。


「そんなに感動的なのですか?」

出産の現場に立ち合い、高揚した様子で戻ったというセルフィーネに、マルクが不思議そうに聞いた。

「とても。ただの命の塊が、生きる意志を持った生命に変わる瞬間だった」

また高揚した様子でセルフィーネが言う。

纏まった魔力が、輝きを増すように揺れた。


セルフィーネは、自分の両手を見詰める。


「私が産湯を使ったのだ。何もかも小さいのに、生きる力に満ちていて、とても熱かった」

全身で泣き声を上げて、赤ん坊は生きている事を教える。

私はここにいるのだと、力一杯主張するのだ。


「初めて見たわけではないだろう? そなたは確か、王族が生まれる度に、産湯を使って魔力通じをしていたのではなかったか?」

カウティスが以前聞いた事を思い出して言った。

「そうだ。エルノート王も、セイジェ王子も、産まれたばかりのカウティスも、皆私が洗った。………でも、あの時は、何も感じなかった」 


新しくあるじとなる王族の誕生。

ただそれだけだった。

今、こんなに心が震えるのは、情緒というものが育ってきたからなのかもしれない。


「……もっとよく見て、感じておけば良かった」

あの頃の記憶を辿るように、セルフィーネは目を閉じる。

「何もかも小さくて、真っ白だった、カウティスの柔らかな身体を、もっと……」

「小さかった……」

ラードが含みのある視線を向けるので、カウティスは慌てた。

「そういう目で見るなっ! セルフィーネ、それ以上詳しく話すな」

「? 分かった」


どうして詳しく話してはいけないのか分からなかったが、『言うな』と言われたので、セルフィーネは小首を傾げて口を閉じた。





カウティス達は、下男が運んで来た夕食を、広間で揃って摂る。


ネイクーン王国とフルデルデ王国を好きなように行き来しても良いと言われたことをセルフィーネが説明すると、ラードが破顔する。

「これで王子の連続溜め息を聞かなくて良くなります」

ラードを軽く睨みながら、カウティスが尋ねた。

「では、今夜はフルデルデ王国に行くのか?」

「そうする。今は、あの場が一番回復出来るから。……でも、日付が変わるまでは、一緒にいても良いだろうか?」


日付が変われば、別々にきちんと休息を取ること。

セルフィーネがフルデルデ王国へ行く前に、二人で決めた事だ。


カウティスは微笑んで頷いた。

「ああ」

「それから、……明日も、戻って来ても良いか?」

「勿論だ」

カウティスが嬉しそうに答えるのを見て、セルフィーネの胸は温まる。


三国共有になることで、不安要素の多い年明けだったが、こんな風に幸せに感じる時間を、これほど早く持てるとは思わなかった。


カウティスには見えないけれど、セルフィーネは気持ちを込めて微笑み返した。






日付が変わるまで、あと半刻という頃、聖騎士エンバーは、修繕が済んだ神殿から離れ、夜の見回りを兼ねて川原に向かって歩いていた。


今夜は月光を遮る雲はなく、木立の間から見えるベリウム川の川面は、白い光を弾いて揺れている。

月光神の御力で浄化されたこの一帯は、夜に眺めると尚の事美しかった。




木立を抜ける寸前に止まり、エンバーは口を開いた。

「イスターク様は、今夜は出てこられませんよ」

頭上の枝には、淡く輝く臙脂色の鳥が止まっている。


「僕がいるから出て来ないの?」

鳥の黒い嘴から出るのは、エルフのハルミアンの声だ。

その声は何処となく悲しそうで、エンバーは薄く笑って首を振る。

「いいえ。今夜は南部から来た神官達と、勉強会をなさっているので」


神が奇跡をもたらした地に、巡教に訪れる聖職者は後を絶たない。

そして、そんな所に司教がいれば、教えを乞う神官は多い。


「避けられている自覚はあったのですね」

エンバーは頭上を見上げた。

鳥は長い尾を力なく垂らし、しょんぼりしているように見えた。


「貴方は、何故それ程にイスターク様に執着しているのですか?」

鳥は、ちらりと下を見た。

「……もしかして、目障りだと思ってる?」

「そうは思っていませんが、イスターク様が困っておいでのようなので、聞いてみようかと」


鳥は、枝を蹴って羽ばたくと、エンバーに近い下の枝に降りてきた。

「僕は、イスタークを困らせているの?」

「……少し。もう魔術士ではないのに、何故好意を寄せられるのか分からない、と仰っていましたよ」

エンバーは体格の良い身体で木の幹に凭れ掛かり、腕を組む。



「……魔術士とか、聖職者とか関係ないんだ。僕はただ、彼のことが好きで、聖堂に関われたら、僕の知識は彼を喜ばせてあげられるんじゃないかって思って……」

鳥は、ぷると羽根を震わせる。

「ねえ、どうしたら、イスタークと一緒にいられるかな。ずっと一緒にいる聖騎士の君なら、イスタークが何を望むか分かる?」


ハルミアンは鳥のつぶらな瞳で、聖騎士の表情をうかがう。

こんなことを、エンバーに聞くのは悔しかった。

それでも、今のイスタークを自分よりもずっと良く知っているはずの彼に聞けば、イスタークを困らせることなく、近くに行ける方法が見つかるかもしれないと思ったのだ。


エンバーは白茶の太い眉を寄せて、驚いたように側に止まっている鳥を見る。

「それ程に、イスターク様が大切ですか?」

「……そうだよ。人間の君には分からないかもしれないけど、エルフにとって、心の内に入るものは物凄く特別なんだ」


エルフは、関心のあるものに対して強く執着する傾向がある。

逆に、関心のないものに対しては、全くの無頓着だ。

人でも、物でも、考え方でもそうだ。

だからこそ、ある一定の知識は深く持っているが、人間にとって当たり前の知識を持っていなかったりもする。


「聖職者の、今のイスタークでいいんだ。僕は彼の側にいて、力になれる者になりたいんだ」

ハルミアンにとって、イスタークという人間は特別だった。 




エンバーは、特徴のある色素の薄い白茶の瞳で、小さくなった臙脂色の鳥を真剣に見詰めていた。

暫くして、決心したようにゆっくりと口を開く。


「私にとっても、イスターク様は特別です。あの方が、歴史に残る聖堂を建て、本国に帰還することを切に願っている。……貴方が聖職者であるイスターク様を支持して下さるのなら、貴方が側にいるための手助けをしても良いですよ」

鳥の黒曜の瞳が輝いた。

「本当に!?」

「ええ」

「支持するって、何をすればいいの?」


エンバーは薄く笑む。

凭れていた幹から身体を起こすと、ベリウム川の流れに視線を向けた。

「水の精霊が、聖職者である証を示して下さい」

「え?」

風が吹いて、赤銅色の尾羽根が揺れた。

「水の精霊の魔力は日々回復し、輝きを取り戻そうとしています。魔力が回復すれば、神聖力もおのずと強まります。早く神殿に据えるべきです」

当然のように語るエンバーに、ハルミアンは戸惑った。

「でも、水の精霊は、年末にも聖職者になることを拒んだよ」


エンバーは感情の見えにくい瞳を鳥に向ける。

「神聖力を持つ者は、オルセールス神聖王国所属が決まり。例え精霊であろうとも、例外はありません」

「でも……」

「イスターク様も、拒むことを許されませんでした」

ハルミアンは鋭く息を呑む。


フォーラス王国で左右を管理官に挟まれ、顔色を失くして立ち尽くしていたイスタークの姿が、脳裏をよぎった。




エンバーが正面に鳥を見据えて、再び言った。

「水の精霊が、聖職者である証を示して下さい。あの者を、いずれは聖堂に据えるべきだと、イスターク様もお考えです」



臙脂色の鳥が、黒い嘴から硬い声を出した。


「…………どうすれば、その証を示せる?」





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