良い関係

光の季節後期月、四週二日。


日の入りの鐘が鳴り、太陽が月に替わる。

今夜は雲一つなく、空気は澄んでいて、月光が降らせる細かな光の粒まで見えるようだ。


フルデルデ王国の宮殿では、居住区の区画分けされた中庭の温室で、夜のお茶会が開かれていた。




ガラス張りの大きな温室には、花は少ないが、大きな葉を垂らした背の高い植物が並んでいた。

優に子供一人が隠れられるような、長い大きな葉が、太い幹の上から垂れ下がっている。

くっきりと浮いて見える平行の葉脈が、月光を受けて艶々と輝いている様は、まるで緑の噴水のようだった。


初めて見る植物に圧倒されて、お茶会に招かれたアナリナは目を丸くしてキョロキョロしてしまったが、今日はお付きの女神官がいないので、皆に微笑ましく笑われただけで済んだ。


アナリナがまだ目を丸くして見上げているので、隣の大きな長椅子で、上体を斜めにして座っている女王が満足気に笑う。

さすがに聖女を招いては素足を長椅子の上に上げてはいなかったが、やはり大きなスリットの入ったドレスで、筋肉質な褐色の太腿は殆ど見えている。


円形に並べられた長椅子には、女王と同じ様にフルデルデ王族がくつろいで座っていた。

女王を挟んで、アナリナの反対側に王配、王太子である第一王女、王太子の夫と続く。

王太子は妊娠中で、突き出した大きな腹を無意識にずっと撫でている。

腹の子はもうすぐ産まれるのだろう。




「こんな植物は初めて見ました」

ようやく女王の方を見たアナリナが言った。

「そうであろう? 我が国で品質改良を続けていた植物だ。今夜水の精霊を招いたのは、これを見せる目的もあったのだ」

女王は、アナリナの側に降り立った魔力の纏まりに向かって微笑む。

「水の精霊よ。ようこそ、フルデルデ宮殿へ」


セルフィーネは、アナリナが席に着いたのを見計らって側に降り立った。

途端に女王に声を掛けられて、ドキリとする。

何と言って良いのか分からず言葉を探していると、アナリナが横からふふと笑って言う。

「セルフィーネ、『ごきげんよう』でいいんじゃない?」

「…………ごきげんよう」

机に置かれた水盆から、戸惑うような小さなセルフィーネの声が響いて、初めてその声を聞く王族達は感嘆の息を吐いた。

先月、神殿で水の精霊と話した時は、アナリナの身体に降ろされていたので、アナリナの声だったのだ。



「何と。水の精霊とは、声まで可憐だな」

女王によく似た王太子が、幼い子供を見るように目尻を下げるので、セルフィーネは落ち着なかい気持ちになった。

ここに揃った王族四人は、皆魔術素質があるようで、迷うことなく魔力の纏まりセルフィーネを見詰める。

恥じらうような魔力の揺れを見て、アナリナは微笑みながら口に手を当てた。


「何だ? 今日の聖女はとても嬉しそうだな?」

アナリナがフルデルデ王国に来てから何度も会っている女王は、ニンマリと笑って聞いた。

アナリナはパチリと手を合わせて答える。

「はい。昨日、とっても嬉しいことがあったので!」

「嬉しいこと? それは?」

「ふふ、内緒です」

アナリナはセルフィーネを見て、笑みを深めた。



昨夜、セルフィーネはアナリナに、進化の可能性について説明をした。

アナリナは驚いたが、それ以上に、跳び上がる程喜んだ。

実体を得るまであと僅かであろうという時に、三国共有となって引き伸ばされたことを、まるで自分の事のように悔しがり、信者には聞かせられない言葉で竜人を罵ってセルフィーネを驚かせた。


そして、アナリナは昨夜話を終えた後、月光神に長い長い祈りを捧げていた。

未だ、セルフィーネに進化の可能性を残している事への感謝と、進化を遂げられるよう願いを込めて。



セルフィーネは、笑い掛けるアナリナに、微笑みを返す。

アナリナはいつも、勇気をくれる。

そして、『あなたは間違っていない。大丈夫、出来る』と、背中を押してくれるのだ。


「アナリナのことが、私は好きだ」

「私もセルフィーネが好きだわ。……でも、今ここでそれを言っちゃうの?」

アナリナは、セルフィーネの言葉に嬉しそうに答えたが、すぐに悪戯いたずらっぽく笑う。


セルフィーネがハッとして見回せば、フルデルデ王族達は、面白い見世物を見るように、興味津々でこちらを見ている。

セルフィーネは見えない頬を染めて、恥ずかしさにふるふると震えたのだった。





「この植物はな、これからエスクト砂漠の拡大を抑える為に植樹していく予定なのだ」

女王が垂れ下がる緑の葉を見上げて言った。


「寒暖に強く、日中に日差しを受ければ、水が少なくても良く伸びます。根を深く広く張るので、砂の移動を抑えるのに役立つでしょう。オアシスを守る事にもなると期待されていますよ」

見るからに甘そうな砂糖菓子を手に、王配が説明をする。

侍女が入れてくれたお茶のカップを持って、アナリナは感心しながら話を聞く。


「こうして我が国は、我等人間自身の手で砂漠化を抑える為に頭を働かせている。だから安心してネイクーン王国へ戻って良いぞ」

女王が、アナリナの側に立つセルフィーネを見た。

セルフィーネは目を見張る。


「今月我が国に入って既に七日も経つというのに、一度もネイクーンに戻っていないそうだな。魔術師長に聞いた話では、日中殆どエスクト砂漠のオアシスに留まっているとか」

「そうなの?」

アナリナは隣のセルフィーネの方を向く。

日中祭壇の間に入ると、セルフィーネがいない時があって、フルデルデ王国の水源を見に出ているとは聞いていたが、ずっと砂漠にいたとは知らなかった。


「先月、水源の確認だけすれば良いと言ったであろう。砂漠拡大の抑制まで、頼んでおらぬ」

女王の言葉に、セルフィーネは唇を噛む。

「……水源を保つのが、私の役割だ。エスクト砂漠が拡大を続ければ、オアシスも周囲の水源も危うくなる」

女王は足を組み直して膝を叩く。

「エスクト砂漠拡大は、そなたの責任ではないぞ、水の精霊よ」

魔力の纏まりがピクリと動いた。


「そなたが十四年近く眠っていた間に砂漠化が進んだ事を、自分のせいだと思っているのであろう。だがな、フルデルデ王国側に砂漠が拡大されたのは、そなたのせいではないのだ」

女王の言葉に続いて、王太子が顔を歪めて続ける。

「我が国に砂漠が広がったのは、過放牧のせいだ。主要産業に力を入れるあまり、環境に影響が出た」

フルデルデ王国は酪農が主要産業だ。

砂漠化が進む以前まで、あの辺りにも盛んに家畜の放牧がされていた。



女王はセルフィーネを見据える。

「自分達の行いに返ってきたことは、自分達の努力で報いなければならない。降って湧いた精霊そなたの力で解決されては、我が国の民は、自らの力で困難を乗り越える努力を怠るようになるかもしれぬ。……それは、ありがた迷惑というものだ」



『迷惑』と言われて、セルフィーネはおののいた。

良かれと思って行ったことを、ネイクーンで『迷惑だ』と言われたことはない。


「待って下さい、女王様。セルフィーネは、水の精霊は、いつもそんなつもりで魔力を使っているのではありません」

アナリナが思わず腰を浮かせた。


アナリナの隣で、水の精霊の魔力がふるふると震えているのに気付き、女王は濃い眉を上げた。

「こら、誤解するな。水の精霊の行い全てを迷惑だと言ったのではないぞ。勝手に一人で背負うのは迷惑だと言っているのだ」

「先回りするのではなく、相談して欲しいのですよ。これから良い関係を築いていく為にもね」

王配がメイマナのように、福々しい笑みを浮かべた。


セルフィーネは瞬いて、王族達を見る。

「……良い関係?」

「そうだ。一方的では、良い関係は作れぬ。ネイクーンにはネイクーンのやり方があろうが、我が国では、先ず報告して相談が基本だ。我が国で動く時は、勝手をするな。分かったか?」

ビシと人差し指を立てて、教師の様に言った女王を見詰め、セルフィーネは生徒の様にコクリと頷いた。


「……分かった。勝手をして、すまなかった」

女王の説明には驚いたが、セルフィーネを対等に扱おうとしてくれているのが分かり、強張りかけていた心が解ける。

アナリナも隣でホッと息を吐いた。



セルフィーネの素直な反応を見て、女王は満足気に笑って、大きなクッションに凭れ掛かった。

「それだけ分かっておれば良い。では、もうネイクーンへ戻れ」

「え?」

戸惑うセルフィーネを尻目に、女王は隣で美味そうに砂糖菓子を食べる王配を、うっとりと眺める。

「想い人にもう七日も会っておらぬのに、よくそのように耐えられるものだな。私は毎日この者の顔を見ねば、落ち着いて夜も眠れぬぞ」

まんざらでもなさそうな王配には気付かず、セルフィーネは胸を押さえる。

「……でも、回復を急ぐと決めた……」

「ならば夜だけこちらの神殿に戻って、回復すれば良いではないか。そなたの足なら、それも容易たやすかろう。毎日砂漠に出ていたくらいだ。昼間少々ネイクーンへ戻っても、大して消耗の差はないのでは?」


二国を行ったり来たりする発想のなかったセルフィーネは、呆然とする。

「そんなことをしても、良いのか……」


「先月説明しなかったか?」

女王と王配は呆気にとられた。

アナリナもクスクスと笑う。

「『十日を待たずネイクーン王国へ戻っても良い』と言われて、言葉通りに取ったのね? セルフィーネ、ネイクーンに戻っても、またこちらに来て良いのよ」



セルフィーネは大きく息を呑んだ。

それならば、カウティスにすぐに会いに行ける。


魔力の纏まりが明るい光を増した。



「何とも、そなたは素直で可愛らしい精霊だな」

女王が大きく口を開いて笑う。

セルフィーネは頬を染めたが、今はそれよりももう、ネイクーンに帰りたかった。

今から戻れば、カウティスが就寝する前に会える。


「……今からネイクーンに、戻る」

柔らかな声でセルフィーネが呟いた時、うう、と呻き声が聞こえた。

皆が一斉にその声の方を向く。


王太子が、大きな腹を片手で押さえて、美しい顔をしかめていた。

さっき顔を歪めていたのは、話の内容のせいではなかったらしい。


急いで王太子の夫が側に寄ると、王太子が苦しそうに言った。

「………………陣痛がきた」

「「ええっ!?」」

王配とアナリナが同時に叫んで立ち上がった。




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