女友達
光の季節後期月、四週一日。
セルフィーネがフルデルデ王国に入って、六日。
先月と同じように、セルフィーネは宮殿近くのオルセールス神殿に留まっていた。
昼間だというのに、祭壇の間は月光の魔力で満ちていて、消耗せずに心地よく過ごせる。
フルデルデ王国の水源は安定していているが、エスクト砂漠拡大のみ気になって、時折セルフィーネは砂漠へも降り立っていた。
昼の休憩時間、聖女アナリナは祭壇の間でセルフィーネに話し掛けた。
「夜のお茶会?」
「そう。明日の夜、宮殿での内々のお茶会に来ないかって、女王様から」
宮殿からの使いに渡された招待状をヒラヒラとさせて、アナリナが言った。
アナリナは、お付きの女神官が側にいる時は、祭壇の間に入っても素知らぬ顔をしているが、一人の時はこうして話し掛けた。
二人で何気無い会話をするのが、セルフィーネにはとても楽しくて、嬉しい時間だ。
声が出せるようになって話せる人間は増えたが、アナリナと話すのは誰とも違った。
話している時、アナリナはとても嬉しそうに見えて、同じように感じてくれているのだろうかと思うと、セルフィーネの胸は弾んだ。
「フルデルデ王国の身内で行うお茶会は、格式張っておらず
以前、聞いたことを思い出しながらセルフィーネが答えると、アナリナが可笑しそうに笑う。
「それは私も知ってるわ。もうこの国に来て四ヶ月だもの。前にも一度、誘われたことがあるの。あの時は昼だったけどね」
アナリナは話しながら、午後に持ち出す聖水を小さな瓶に移している。
今日は墓地に慰霊の祈りを捧げに行く日で、アナリナは午前に貴族専用墓地に出向いていた。
午後からは平民の共同墓地を回る。
「フルデルデ王国の宮殿には色んな庭園があって、夜のお茶会専用の温室があるんですって。興味が湧かない?」
アナリナが黒曜の瞳を輝かせた。
実際はお茶会専用ではなく、王族の夜の
王族や貴族に苦手意識のあるアナリナだが、フルデルデ王族に関しては少し違うようだと、セルフィーネはくすりと笑う。
「行ってみれば良いのではないか? どんな庭園だったか、また話して欲しい」
セルフィーネの声に、アナリナは微妙な顔をした。
「セルフィーネ、あなたも誘われているんだけど?」
「…………私? 何故?」
セルフィーネは困惑した声を出す。
「お茶会に誘うんだもの。お喋りして、親交を深めたいんじゃないかしら」
セルフィーネは驚いて目を瞬いた。
「私と……親交を深める……?」
「ええ。もっとあなたのことを色々知って、良い仲を築きたいと考えているんだと思うわ」
セルフィーネの胸は急にドキドキしてきた。
ネイクーン王国以外にも、水の精霊を使役する精霊としてではなく、個の“セルフィーネ”として扱う者達がいる。
「……行っても良いのか? 私は、まだ実体を持たないし、今はお茶の味もわからないのに……」
戸惑う気持ちと嬉しさが混じって、セルフィーネは小声で言った。
アナリナは笑顔のままで首を傾げる。
「セルフィーネにそこまで求めて……ん? 『まだ実体を持たない』って言った? 『今は』って、何?」
「言っていなかったか? 私は進化の途中なのだそうだ。年末に味を感じるようになったが、実体を得るには至らなかった」
ちょっと伝え忘れがあったというように、簡単に話を進めるセルフィーネに、アナリナは目を剥いた。
「何? なにそれ!? 聞いてない! 聞いてないわよ! セルフィーネ、もっと詳しくっ!」
声が聞こえてくる水盆をガシと掴んで迫るアナリナに、セルフィーネは
「……ええと、すまない。アナリナがネイクーンを出てからの事で……」
どこから話せば良いかと考えたところで、祭壇の間の扉が開いた。
「もう! 夜に聞かせてもらうから! 絶対!」
お付きの女神官が入って来たのを見て、アナリナは小声で素早く言う。
一度セルフィーネの魔力を見上げてキラリと目を光らせると、聖水の瓶を持ち上げ、走るようにして出て行った。
ザクバラ王城では、今日は朝から灰墨色の建物の
魔術士館の門に凭れ、巻煙草を咥えている魔術師長ジェクドは、護衛騎士イルウェンを連れて歩いて来たリィドウォルに顎をしゃくって見せた。
「あれは何だ? 王城のお祓いでも始めたのか?」
顎をしゃくった先には、石畳の渡廊に聖水を散らしている太陽神の神官がいる。
「血の跡を清めているのだ。先の政変で、積もり積もった
リィドウォルも神官に視線をやる。
視線を向けられたことに気付いた神官が、身体をビクリと震わせて、そそくさと別の場所へ移動して行った。
「お前、神殿関係者に相当恐れられてるね」
くくと笑って、魔術師長は煙を吐く。
リィドウォルは黙って手の甲で煙を払った。
「それで? 気休めだと言いながらも清めているのは、水の精霊の為か?」
「そうだ」
月光神殿の祭壇の間を使うことは司祭に了承させたが、王城の側にある神殿に水の精霊を呼び込む為には、せめて血の穢れが濃く残る王城を清める必要があった。
おそらく先月に、水の精霊が全く中央に近寄らなかったのは、血の穢れが酷すぎたのだ。
「まったく、手の掛かるお嬢さんだ」
溜め息混じりのリィドウォルの言葉を耳にして、ジェクドはパカと口を開ける。
「お嬢さん? お前がそんな形容をするとは驚きだ。ネイクーンの水の精霊は、そういうものなのか?」
「ネイクーンのものではなく、三国共有の
国境地帯で見たあの魔力を思い出しながら言うと、後ろに控えていたイルウェンがムッとした顔で口を開く。
「嫉妬に狂った女のようでした」
どうやら水球で顔を叩かれたのが、相当に腹立たしかったようだ。
「……それは、本当に水の精霊なのか?」
ジェクドの言葉に、リィドウォルは
「どういう事だ?」
ジェクドは再び巻煙草を咥えた。
「ネイクーンの水の精霊は、元々嫉妬に狂う女のようなものだったのか?……それとも、まさか、人間にでもなろうとしてるんじゃないのか?」
魔術士でもあるリィドウォルはハッとする。
「……進化していると?」
「さあな。そもそも精霊が進化出来るようなものなのかも謎だ。竜人の契約魔法で変異したのかもしれない。しかし進化の過程だと言われれば、信じられんような魔力量も、この恐ろしい程の回復速度も納得がいく」
ジェクドは咥え煙草のまま、上を向く。
見上げる空には、網目状の水の精霊の魔力が
その網目は、水の精霊がネイクーン王国に戻って二週目に入った頃から、どんどんと目を詰めてきている。
輝きすら徐々に増しているようだった。
「最早、水の精霊と呼べるものではないのかもしれん。……何にしろ、元々の水の精霊から変わってきたのなら、いつ契約魔法から外れるかも分からんぞ」
リィドウォルは強く眉を寄せる。
契約魔法が破綻する程に水の精霊が変化をしたら、全てが無駄になってしまう。
ようやくザクバラ国に水の精霊を呼び込めたというのに、そんなことになるわけにはいかない。
「女のように変化しているのだというなら、原因はカウティス王弟か?」
ジェクドが目線をリィドウォルに戻して聞く。
「あの執着は、そうかもしれない……」
思えば、ネイクーン北部の林で初めてカウティスに会った時から、その執着は見て取れた。
水の精霊はフォグマ山で眠っているというのに、カウティスの身体は薄く魔力が包んだままだった。
「もしかして……」
ふと、思い付いてリィドウォルは呟く。
カウティスに
いつからか分からないが、カウティスが常に魔力を纏った状態で生きてきたのなら、魔術素質を持つ者と変わらなかったのではないだろうか……。
「この分では進化は止まっていないと見た方がいいだろう。急激に変化しているのなら、時間はあまり無さそうだぞ、リィドウォル」
最後に煙を吐き、ジェクドは煙草の火を消す。
リィドウォルは空を睨む。
水の精霊が進化を遂げる前に、ザクバラ国の詛を解かなければならない。
しかし、国境地帯を広く浄化したあの力に届くには、まだこの
「もどかしい……」
美しく輝く魔力を見上げて、リィドウォルは小さく歯軋りした。
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