混迷と摸索の日々

聖堂図面

西部国境地帯。


修繕中の神殿で、聖職者の控室にハルミアンが座って待っていた。



「いい加減、不法侵入はやめてくれないか」

午前の務めを終え、部屋に入ろうとしたイスターク司教が、ハルミアンの姿を認めて溜め息混じりに言った。

「失礼な。ちゃんと神官に断って入ってるよ」

実際は、司教の知り合いだと思って神官が何も言えないだけなのだが、ハルミアンの中では快く通されていることになっているらしい。


「怪しいものだ」

司教の祭服を脱ぎながら、イスタークがあからさまに嫌な顔をするので、ハルミアンは口を尖らせた。

机の上に置いていた荷袋から、丸めた大きな紙束を出す。

「何だよ。せっかく聖堂の図面を描き上げたから、急いで持って来たっていうのに」

「もう描けたのか?」

脱いだ祭服を側にいた聖騎士エンバーに押し付けると、イスタークは机の上に置かれた紙束を手に取る。

優に二十枚は超える大きな図面を、丁寧に広げて目を通し始めた。


真剣に図面に向かうイスタークを見て、エンバーは軽く笑って祭服を服掛けに掛ける。

何時まで経っても居住棟に昼食を摂りに帰らない司教を心配して、下男が様子を見に来たので、口元に人差し指を立てて見せた。

図面を見始めてから、周りのことが全て意識外になっているイスタークの様子に、ようやく求める水準の図面が手に入ったのだと安堵した。




たっぷり半刻近くかけて、ようやくイスタークが図面から視線を外した。

図面を丁寧に揃えながら、感嘆の息を吐く。


ハルミアンの図面は、神の御力を祀る聖堂部分の造りが素晴らしいのはることながら、神殿の役割を持つ、聖職者が役目を果たす部分がよく出来ていた。

日々の務めをよく知る者が描いたように、その動線の確保から、祭事に使う道具の設置場所に至るまで、聖職者の意見を取り入れながら考えて描いたように思えた。



「……驚いたな。誰か、聖職者に協力してもらったのか?」

ハルミアンに図面を任せてから、一ヶ月半も経っていない。

既存の聖堂図面の写しを参考に見せはしたが、それだけでこの完成度の物を、この期間で描けるとは思えなかった。

「話を聞ける人には聞いたよ。君にも意見を聞いたでしょ? 後は、王城や街の図書館で、オルセールス神聖王国と聖職者に関する本を読みあさったり、使い魔で神殿の造りを見直したり……。とにかく、手は尽くして調べたよ」


イスタークは大きな焦げ茶色の目を見張る。

「では、……一人でこれを?」

「当たり前じゃないか! こんな特別な物を他の者に触らせるもんか! しかも、君に任せてもらったのに……」

ハルミアンが再び口を尖らせた。

よく見れば、その美しい顔には、エルフに似つかわしくない隈がくっきりと浮いている。

人間よりも丈夫な種族とはいえ、相当に根を詰めて作業してきたのがうかがえた。


「せっかく君に任せてもらったんだもの。最高の聖堂を設計をしたかったんだ。どう? いい出来だったでしょ?」

ハルミアンがニコリと笑う。

「素晴らしい出来栄えだ」

正直に感想を述べたイスタークに、ハルミアンはパッと顔を輝かせた。

「やった! それで、選考はいつ?」

机の上に身を乗り出すようにして尋ねると、イスタークは呆れたような顔をする。

「選考? そんなものは要らないな。君の設計で決定だ」

「え? いいの?」

「これに勝る図面を、誰が描ける? 先日王城で、聖堂建築の許可を陛下より頂いた。これで建築に踏み切れる」

イスタークが満足気に、再び手元の図面に視線を落とした。



長く長く息を吐く音が聞えて、イスタークは顔を上げる。

息を吐き終えたハルミアンが、心底嬉しそうに微笑んでから、机に突っ伏した。

「……良かったぁ」

「本国から報奨金が出る。それで図面を買い取らせて欲しい。勿論、聖堂が建った暁には、設計者として君の名は後世に残るだろう」

ハルミアンは上半身を倒したまま、顔だけ少し起こして、深緑の瞳で上目にイスタークを見る。

「報奨金なんて、別に欲しくない。図面は君にあげるんだから、好きに使えばいいよ」

「これは、歴史的な建造物になる図面だぞ。簡単に『あげる』なんて言うな」

イスタークは目を剥いたが、ハルミアンはくすりと笑う。


「君は、君が心血を注いできた研究を、全部僕にくれたじゃないか」


イスタークは僅かにひるんだ。

「私は全部焼き捨てただけだ」

「でも、僕の頭に残っているものは好きに使ってもいいって言ってくれたよ。……僕は全部、覚えているもの……。くれたのと、同じさ……」

ハルミアンの声が小さくなっていくので、イスタークはいぶかしむように眉を寄せて近付く。

ハルミアンは首をおかしな角度にして、眠り始めている。

「おい、こんなところで寝るな」

彼の着痩せして見える肩を揺すれば、僅かに目を開ける。

イスタークの視線と合うと、ふにゃと嬉しそうに微笑んで、小さな声で言った。

「何にもいらないから……君と、一緒に……現場にいたい……なぁ……」

「ハルミアン」

もう、いくら声を掛けてもハルミアンはピクリともせず、スースーと気持ち良さげな寝息を立てているだけだった。




「イスターク様に喜んで欲しくて頑張ったのでしょうね」

エンバーが、聖職者が膝掛けとして使っている小さ目の毛布を手に取って、ハルミアンの肩から掛けた。

「……彼は建築学を研究しているんだ。聖堂建築には、それ程に価値があったというだけだよ」

イスタークは顔をしかめて視線を逸らした。

後ろで束ねた焦茶色の髪が小刻みに揺れる。


「それだけではないと、イスターク様もお分かりなのでは? この方のことをよく知らない私でも、イスターク様にかなり好意をもっていることは分かりますが」

エンバーがイスタークを振り返る。

イスタークは難しい顔をして、エンバーと視線を合わせた。

初めてその視線に、戸惑いが混じる。



確かにハルミアンの好意を感じている。

だが、再会した時は、彼から軽蔑の気配すら感じていたのに、一体なぜこんな風に好意を向けるようになったのだろうか。

「……もう魔術士ではない私に、何故こんなに好意を示すのか分からないな。彼と関わりを絶ってから、かれこれ二十年以上経つというのに……」


イスタークは左手で首から下げた金の珠を握り、机の上に突っ伏して寝ているハルミアンの頭上で、右掌を一度開いた。

その掌が淡く金の光を帯びる。

それと同時に、ハルミアンの目の下の隈が、スウと消えた。



イスタークは、気持ち良さそうに眠る、美しいエルフを見下ろす。

過去を思い出しても、もう何の感傷も湧かないと思っていたのに、二十年前と外見も全く変わらないハルミアンがあの頃と同じ様に笑い掛けてくると、ひるみそうになる自分がいる。

ハルミアンが歩み寄ろうとすればする程、戻れるはずのない輝いていた時間が思い出されて、胸の奥で小さく軋むような音がした。


「…………いっそ、軽蔑していてくれたままの方が良かったよ」

イスタークはエンバーに向かって、苦々しく言った。






カウティス達三人は、夕の鐘を過ぎて西部の拠点に戻った。

光の季節も後期月に入ったので、まだ空には十分明るさが残っている。


拠点に留まっている作業員達や兵士達は、カウティスが戻ると、新王の即位を改めて言祝ことほぐ。

ここでも兄王の即位を喜ぶ声が聞けて、カウティスは嬉しく思った。




「セルフィーネ、おかえり!」

ひと通りの挨拶と報告を聞いて、カウティス達がようやく居住建物の広間に落ち着いた頃、ハルミアンが戻って来て言った。


「随分魔力が弱っていたから、心配していたんだ。ザクバラ国はどうだったの?」

「ハルミアン!」

遠慮なくザクバラ国の事を聞くハルミアンに、カウティスは眉根を寄せる。

「何? 聞いたら駄目なの?」

深緑の瞳を丸くするハルミアンを見て、セルフィーネは小さく笑う。

「大丈夫だ、カウティス。もう、苦しくない」

心配そうなカウティスに向かって、そう言った。

「……ザクバラ国では、苦しかったのか?」

「……とても。あの国は、何故か空気が淀んでいる気がして、そこにいるだけで息苦しかった」

やっぱり、とハルミアンは難しい顔をする。

「でも、今はもう平気だ。カウティスも皆も、私に元気をくれた。……きっと、今月ザクバラ国に行っても、前回程苦しくないだろう」

セルフィーネが努めて明るく言った。



セルフィーネの口から聞くザクバラ国の事実に、カウティスは奥歯を噛む。


「……そんな所に、一人きりで二週間も……」

どんなに辛く苦しい時間であっただろうかと考えると、胸が痛んだ。

川向こうに助けを求めて降りたのは、おそらくセルフィーネが、それ程に切迫した状態だったからなのだろう。

それを少しも助けてやれなかった自分と、そんな状態の水の精霊を、国外に出てはならぬと縛ったザクバラ国の者に怒りを感じた。



胸の奥底で、黒い怒りが揺れるのを感じて、カウティスは頭を振った。

拳を握って、ゆっくりと深く深く呼吸する。

この黒く暗い感情に、二度と呑まれないと誓ったのだから。



「セルフィーネ、ザクバラ国にいる間、苦しかったらまた対岸に来ると良い。……俺には何も出来ないが、毎晩こちら側から見守るから……」

見守るとしか言えない事が悔しかったが、ほんの僅かでも助けになりたかった。

「嬉しい。ありがとう、カウティス」

セルフィーネが本当に嬉しそうに、小さく言うので、カウティスはほっと頬を緩めた。





ふと、ハルミアンが不思議そうにカウティスを見詰めているのに気付き、ラードが小突いた。

「いてっ」

「何だよ、どうかしたか?」

「……いや、別に。相変わらず、見えないのに仲いいなぁと思っただけ」

ハルミアンが軽く笑うので、ラードは肩を竦めた。



ハルミアンは目をゴシゴシとこすった。

疲れているからだろうか。

それとも、カウティスの身体を、セルフィーネの不安定で薄い魔力が包んでいるからだろうか。


カウティスから、一瞬暗い魔力のようなものを感じた気がした。


しかし、目をすがめて何度も見直したが、もう何も感じないし、側にいるマルクも特に反応していない。

第一、魔術素質皆無のカウティスから、魔力を感じるはずがない。



カウティスから一瞬感じた魔力が、ザクバラ国ののろいを受け継ぐ者達のそれに似ていたなんて、ある訳がないのだ。



「……気のせいだよね」

小さく呟いて、ハルミアンはふうと息を吐いた。




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