私の姿で

光の季節後期月、一週四日。

カウティス達は昼過ぎには王城を出発し、西部へ向かう予定だ。

既に王には挨拶を終え、出発前に魔術士館に寄っているところだった。 




魔術士館では、第三王子セイジェが魔術士達と話していた。

魔術士主導で各地で行われている、水の精霊を助ける為の取り組みを、カウティスから引き継いでいる為だ。

セルフィーネが三国共有となった今も、水源を人間の手で守っていけるように、取り組みは続いている。


「……魔術士の皆は、まだ私の為に力を使ってくれているのか」

セルフィーネの呟きを聞いて、マルクは首を振る。

「セルフィーネ様の為だけではありません。これからのネイクーン王国に、全て必要なことなのです」

「そうだ。現に、フルデルデ王国でもザクバラ国でも、有益だと判断されて受け入れられている」

カウティスが続けて言った。

ネイクーン王国の魔術士達は、年末頃から、二国に派遣されて様々な指導を行っている。



「兄上」

カウティス達に気付き、セイジェが顔を上げて微笑んだ。

「もう出発されるのですか?」

「ああ。ミルガンに確認することがあって寄ったのだ」

カウティスの言葉に、セイジェが蜂蜜色の眉を下げる。

「兄弟三人でゆっくりお話ししたかったのに、なかなか機会が得られませんでしたね」

「即位後で、兄上はお忙しいからな」

朝食時は大体皆揃うのだが、一昨日はカウティスが頭痛で起きてこなかったし、昨朝も今朝も、エルノート王は手早く食事を済ませて、大食堂を出てしまった。


それでも、朝食を摂るために大食堂に足を運ぶだけでも、今までの兄を思えば驚きの変化だ。

即位前後の忙しさに、いつ食事を抜き始めるかとハラハラしていた侍従や厨房の料理人達は、密かに感動しているほどだった。


「カウティス兄上だって、いつも西部と行ったり来たりではないですか。私が国を出るまで、後二ヶ月程だというのに……。それまでに、ゆっくり語り合う時間を取って頂きたいものです」

「それは勿論だ。兄上だって、きっとそのつもりだと思うぞ」

カウティスは笑って頷く。


セイジェは水の季節後期月に、ネイクーン王国を出て、ザクバラ国へ越す。


「本音を言えば、ザクバラ国へ共に行く騎士には、兄上に就いて頂きたかったです」

「セイジェ、それは……」

カウティスが少し困ったように言葉を濁すと、セイジェは肩を竦めて笑う。

「分かっています。陛下は兄上を手放さないでしょうから」

エルノートは子供の頃から、努力家のカウティスを特別気に掛けてきた。

更に側近扱いの今、水の精霊と縁深いカウティスを、他国へやるわけがない。




「セイジェ王子は、喪が明ける前にザクバラ国へ向かうのか?」

セルフィーネの声が、カウティスの胸の小瓶から聞こえた。

「何だ、まだ聞いていなかったのか?」

答えはするが、セイジェにも魔術素質がないので、視線を何処に留めれば良いか迷っているようだった。


「二ヶ月後、水の季節後期月の三週一日に出発が決まった。……ザクバラ国へ行けば、もうそなたとは縁がなくなると思っていたのに、結局向こうへ行っても関わることになるのか」

セイジェはわざと溜め息混じりに言ってみるが、言われたセルフィーネは何処か安心したような声を出した。

「ならば、二ヶ月後からは、ザクバラ国へ行っても私は一人ではないな」


セイジェは蜂蜜色の眉を強く寄せた。

「ザクバラ国に行ってまで、私はそなたを守るようなことはしないぞ」

「セイジェ」

カウティスの声に険が籠もるが、セイジェも又、カウティスに固い視線を向ける。

「私はザクバラに、次女王の婚約者として入るのですよ。ネイクーンと同じ様にはいきません。むしろ、まずは向こうのやり方に従うことになるでしょう」

カウティスは言葉に詰まる。

「……ザクバラでセルフィーネがどのように扱われているか、兄上に伝える事が出来れば良いとは思っていますが、確約はできません」

セイジェは濃い蜂蜜色の瞳を逸らした。



「それが当然だ」

セルフィーネの声がする。


「セイジェ王子に何かを期待しているのではない。ただ、私にとって大事なネイクーンの王族が一人いるというだけで、何も分からないあの国を、これから見守ろうという気持ちになれる。……だから、感謝する」


思わぬことで礼を言われて、セイジェは何とも言えない気持ちになった。

水の精霊と出来るだけ近付きたくないのに、ザクバラ国に行ってまでも、どうして完全に離れることが出来ないのか。


「感謝される意味が分からない」

整った顔をしかめて、セイジェは視線を泳がせる。

「ああ! 何処に向かって文句を言えば良いか分からないではないか。前のように、お化けの姿でも良いから、目に見えるものは現せないのか?」

半ば八つ当たりのように言った。


お化けと聞いて、カウティスが苦虫を噛み潰したような顔になった。

「無理を言うな。まだ魔力が足りないのだから」

「兄上だって、何か見える物が欲しくはないですか? 私は何もないところに話すのは苦手です」

「セイジェ!」


『何もない』という言葉に、思わずカウティスは噛み付いた。

しかしセイジェは腹立たし気に続ける。

「せめて目印のような物でもないと、話しづらい! そなたもそう思うだろう!?」

突然同意を求められたのは、カウティスの後ろに控えていたラードだ。

この場にいる者は魔術士ばかりで、魔術素質のない者はカウティスとセイジェの他には、ラードだけだった。


一斉に視線を向けられたラードは、一瞬躊躇ちゅうちょしたが、申し訳無さそうに灰色の髪を掻いた。

「まあ、正直に申し上げれば、また姿を現せるようになるまでの、一時しのぎの何かがあれば有り難いとは思いますが……」

「ラード」

ラードは、カウティスの僅かに怒りの籠もった視線を受け、眉を下げる。

「ですが、王子。セルフィーネ様だって、喋る度に周りで驚かれるのは、嬉しくないと思いますよ」


魔力の見えないカウティスには、驚く者の気持ちもよく分かる。

しかし、そのままのセルフィーネを受け入れたい気持ちもあって、すぐに言葉が出なかった。




「やっぱり、縫いぐるみが必要か……?」


突然、セルフィーネの恥ずかしそうな声が聞えた。

その内容に、カウティスをはじめ、魔術士達も困惑した表情になる。

「縫いぐるみ、とは?」

「……メイマナ王女が、魔術具の縫いぐるみを仮の姿にすれば良いと言ったから……」


“魔術具の縫いぐるみ”と聞いて、水の精霊の代わりに、大きな縫いぐるみが動き回って喋るところを、各々おのおのが想像した。

ふ、と誰かが笑うと、確かにまあ可愛くていいかも、と魔術士達がサワサワと話し始める。

「はは、それは誰もが毒気を抜かれて、良いかもしれないぞ」

セイジェも想像して、思わず小さく笑う。



皆が笑うので、やはりセルフィーネは見えない唇を歪めた。

皆が喜んでいるのを見ていると、何となく、もやもやする。

それでもカウティスが『それは良い』と言うのなら、縫いぐるみを動かすことも考えてみようかと思って、セルフィーネは彼の様子をうかがった。

「…………カウティスは?」


カウティスは縫いぐるみと聞いて、ふと、年末日にふわふわのフードの付いた、白い上着を着ていたセルフィーネを思い出した。

抱き寄せて口付けた、あの瞬間が甦り、思わず頬が緩む。


「……俺は、抱きしめるならやっぱり、縫いぐるみよりそなたが良いな」

独り言のように漏れた小声が、側にいたラードには聞こえたらしく、呆れた目を向けられた。

「質問の解釈を間違ってます、王子」

「うるさいっ」



顔を赤くしてラードを睨むカウティスを見ながら、セルフィーネは迷った。

魔力を見ることが出来ないカウティスや他の者達の為に、やはり今だけでも仮の姿を使うべきなのだろうか。


「セルフィーネ様」

カウティスとラードのやり取りを笑っていたマルクが、セルフィーネの迷う様子に気付いた。


「セルフィーネ様がどんな姿でも、必ずカウティス王子は受け入れて下さいます。だから、セルフィーネ様が使いたいと思うのなら、使えば良いのではないでしょうか。ただ、少しでも嫌だとお思いなら、無理に使う必要はないと思いますよ」

セルフィーネはマルクを見て、暫く考えていた。




縫いぐるみを使うのは、霧の人形ひとがたを造った時とは違う。

本当の自分とは全く別の物を、水の精霊として皆が認識するのは、嫌だと思った。


その物をカウティスが優しく見詰めるのを、側で見なければならないのは、とても嫌だ。



「……魔力が見えない者には、驚かせて申し訳ないと思うが……。私は、やっぱり、自分の姿で皆の前に現れたい」

セルフィーネの声が、カウティスの胸から響く。

笑っていたセイジェが、笑みを消して溜め息をついた。


「私は、私の姿でいたい」

セルフィーネは、カウティスの頬に見えない手をそっと伸ばす。

「他の姿を、私だと思って欲しくない」


魔術士達は皆、顔を赤くしたり、不自然に目を逸らしたりしているが、カウティスはそんなことはどうでも良かった。

ただ、すぐ側で朝露のような蒼い香りを強く感じて、彼女がここにいるのだと感じた。


カウティスは香りのする方へ手を伸ばす。

「仮の姿なんて要らない。そなたはちゃんと、ここにいるのだから」

カウティスの伸ばした手に、セルフィーネは頬を擦り寄せた。

仮の姿は要らないと、カウティスがはっきり言ってくれて、嬉しかった。



「…………目に見える私の姿を、早く取り戻してみせる」


セルフィーネの気持ちに応えるように、内から気力が湧き出てくる。

水の精霊の魔力が、輝きを増し始めた。




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