最後の王

光の季節前期月、最終日。


カウティスは、昨日から王城に戻っていた。

明日、エルノート王太子の即位に立ち会う為だ。

国民に向けた大々的な即位式は、メイマナ王女との結婚式と同時に、前皇帝の喪が明けた後に行われる。

喪が明けるのは火の季節後期月、一週三日。

喪が明けてすぐに行うことも検討されたが、新皇帝の即位式もその時期に行われ、王族の参席を求められる予想もあって、ネイクーン王国の即位式並びに結婚式は、土の季節前期月初日に行われる事が決まった。




カウティスは泉の庭園に入る。

改装の許可が下り、既に泉の周辺の石畳は撤去され始めている。


まだ残っている白い石畳が、赤茶色の土に汚れているのを見て、子供の頃、初めてここで手合わせをした時の事を思い出した。

カウティスが花を散らして石畳をひどく汚したのを見て、セルフィーネは小さな溜め息をついていた。

今の状態を見たら、またがっかりするだろうか。



あの夜、拠点近くの川原で助けを求めるようだったというセルフィーネに、カウティスは何ひとつ助けになるような事が出来なかった。

それどころか、自分一人では彼女の様子すら分からなかったのだ。


カウティスは、悔しさに唇を引き絞る。

この悔しさは、魔術素質のないカウティスには、おそらく一生付いて回るものだ。

だからどんなに悔しくても、それに振り回されていてはいけない。


今夜、日付けが変わればネイクーンに帰って来るセルフィーネに、出来ることをしてやりたい。

せめてネイクーンにいる十日の間、嬉しい、楽しいと笑える時間が増えるように。


「……それくらいしか……」


自分に出来ることが本当に微々たるもののような気がして、カウティスの口から悔しさが漏れた。




庭園から戻る途中で、カウティスを待っていたマルクと会った。


「これをお見せしたくて」

執務室代わりに使っている部屋に入るなり、マルクが魔術符を出して見せたが、魔術に対して深い知識のないカウティスには何の魔術符なのか分からない。

カウティス以上に分かっていないようなラードも、横から覗き込む。


「これは?」

「私が作った魔力集結の魔術符です」

「魔力集結というと、イスターク猊下の生み出したものか?」

カウティスが顔を上げて聞くと、マルクは栗色の髪を揺らして頷く。

「ハルミアンが描いた庭園の図面を見て思いついたのです。長期的に魔力の回復をするためには、自然から魔力を集結するあの方法が最適ですが、短時間、強い魔力の場を作る事なら、魔術符を利用すれば可能ではないかと。勿論その場合は、魔術士が魔術符に魔力を流さないといけないのですが……」


興奮気味に魔術について語るマルクに、カウティスとラードは困惑して顔を見合わせる。

「マルク、すまない。ちょっとよく分からないのだが……、その魔術符がセルフィーネの回復の助けになるということか?」

申し訳無さそうにそう言うカウティスを見て、マルクは慌てて言葉を探す。

「ええっと、そうではなくて……。回復の為ではなく、短時間だけでも姿を現せるような、強い魔力の場を作れるのではないかと思って。使い切りの符ですから、一度きりですが」


カウティスは目を丸くする。

「セルフィーネが姿を現せるのか!?」

「理論上はそうです。実際試してみなければ、上手くいくかどうかは分かりませんが……」

「試してくれ!」

カウティスは乗り出すようにして、マルクに懇願する。


無事な姿が見たい。

あの輝く紫水晶の瞳を見詰めたい。

恥じらうように微笑む顔を見て、頬に触れたい。


そして、ネイクーンに帰ってきたのだと、もう安心だと抱きしめてやれたなら……。


「少しでも、少しだけでも……、可能性があるなら……」

カウティスの顔を見て、マルクは頷く。

「今夜、セルフィーネ様が王城に戻られたら、泉で試してみましょう」





深夜、日付けが変わり四半刻程経った。

王は、王座の間で一人、水の張られたガラスの水盆を覗いていた。

王座の間は、今日行われる王太子エルノートの即位の為に既に準備されていて、王以外には誰もいない。



水盆の水が僅かに揺れたのを見て、王が口を開いた。

「セルフィーネか?」

一拍置いて、枯れたようにザラザラとした、不明瞭な声が返ってきた。

「……私だ。戻った」

王はセルフィーネが戻り、声が聞けたことに安堵したが、彼女のものとは思えない程酷く割れた声に、胸を痛めた。

「よく戻った。……しかし、そなたがカウティスよりも先に私に会いに来るとは、いつぶりであろうな」

「……水盆を覗いていたので、用があるのかと思った」


王は暫く水面を見詰めていたが、再び口を開く。

「ザクバラ国はどうであった?」

セルフィーネからの返答はない。

答えたくないような十日間だったのだろうと思い、王は小さく溜め息をついた。



「セルフィーネ、私は今日で王座を退しりぞく。在位の間、そなたには多くを助けられたな。……思えば、そなたには幾度も無理を強いた」

王は、白いものが増えた明るい銅色の頭を掻く。

「そなたのことを近しい者に感じ始めたのは、恥ずかしくも昨年からのことだ。随分と身勝手に辛い思いをさせたのに、最後までネイクーンの者として守ってやることが出来なかった事を詫びたい。……すまなかった」


目を伏せる王の側に、見えないセルフィーネは立っていた。

セルフィーネにとって、長い長い年月仕え続けた、ネイクーン王族の最後の王。

カウティスとは違った意味で、彼女の特別な者だった。


「……王よ。竜人が王城を訪れた後、言ってくれたな。『国の為、民の為にそなたがしてきたことが、間違いであろうはずがあるか』、と」

王は目を開ける。

「……そなたという王でなければ、私は今の今まで、“ネイクーンの水の精霊”だという誇りも、喜びも持ち続けられなかっただろう。王には、感謝しかない。……ありがとう」


王は薄く笑む。

カウティスと同じ、澄んだ青空色の瞳が、柔らかく細められた。


「言いたいことは言った。もう良いぞ、セルフィーネ。きっと、カウティスが泉で待っているだろう。行け」

王の言葉の後に、水盆の水はもう少しも揺れなかった。



「せめて、そなた達が添える未来を作ってやりたかった……」

反応のなくなった水盆に向けて、王はポツリと呟いた。





セルフィーネは小さな泉の庭園に向かった。


庭園は既に工事が始まっているらしく、泉の周辺の白い石畳は剥がされ、赤茶色の土が剥き出しになっている。

泉の側には、カウティスが立って噴水の方を見ていた。

その姿を見た途端、セルフィーネはもう何も考えられなくて、カウティスの胸に飛び込んだ。



泉から少し離れて、ラードと共に立っていたマルクが、セルフィーネが王城の方から空を駆けて来たのを見つけた。

「……! 王子、セルフィーネ様が…」


マルクが言い終わる前に、カウティスは突然胸に感じた風圧のようなものと、朝露のような香りにセルフィーネを感じて抱きしめた。

「セルフィーネ! セルフィーネなのだろう?」

「…………戻った」

不明瞭な声が泉の方から聞えて、カウティスは奥歯を噛む。

この十日間、徐々に空の魔力の輝きが鈍っていると聞いていたが、声すらも枯れたように聞こえる程消耗している。

「おかえり、セルフィーネ。……よく、戻って来てくれた。待っていたぞ」

ベリウム川の対岸から見ていた時の事を聞こうと思っていたが、今は思い出させたくなかった。




セルフィーネは、ザクバラ国の内地に戻った最後の二日、ネイクーンに戻ることだけを考えて不快感に耐えた。

視界と聴覚を狭めて動かず、左腕に感じるバングルを撫でて、協約に定められた十日が過ぎるのをひたすら待つ。

ザクバラ国内を見守ろうという余裕は、今のセルフィーネにはなかったのだ。


カウティスの胸に戻ると、セルフィーネはもう動くことが出来なかった。

声も出せずに、ただカウティスの鼓動を聞く。

その音に心から安堵して、張っていた気が抜ける。


ネイクーンに、カウティスの下に戻ることが出来た。


安堵感で、目を閉じそうになった。



「セルフィーネ様!」

魔力の見えるマルクが走り寄って声を掛ける。

「王子、消耗が激しそうです。今夜試すのはやめましょう。セルフィーネ様が、せめてもう少し回復されてからに」


マルクの言葉に、カウティスは腕の中にいるはずのセルフィーネの方を向く。

蒼い香りは、微かだが確かに感じる。

しかし、『戻った』と言ってから、一言も発することがない。


一瞬躊躇ちゅうちょしたが、カウティスは決意して顔を上げる。

「マルク、魔術符は短時間強い魔力の場を作れるのだと言ったな。それは、今の状態を僅かにでも回復させてやることは出来ないのか?」

マルクが考えながら答える。

「え? ……勿論、場の魔力を取り込めば、少し回復されると思いますが、姿を現すことは出来ないと思います」

「それで良い。頼む、魔術符を使って、少しでも回復させてやってくれ」


カウティスの言葉に、魔術ランプを掲げて様子をうかがっていたラードが、言い辛そうにして口を挟む。

「……王子、ネイクーンに戻られたのですから、ゆっくりでも回復はされるのでは? 魔術符を今無駄にされなくても」

「無駄ではない」

カウティスは強い口調で言った。

「姿を見ることよりも、今少しでも楽にしてやりたい。……ザクバラ国での苦しかったであろう時間を、引きずらせるのは不憫だ」

「しかし……」

二人が笑い合う姿を思い、ラードが言葉を濁す。


カウティスは目を閉じ、腕の中のセルフィーネを感じる。

「……私には、姿が見えても見えなくても、セルフィーネが笑えるようになってくれる方が良いのだ」




セルフィーネは、カウティスの胸に添ったまま、その言葉を聞いた。

姿のない彼女の目からは何も溢れることはなかったが、カウティスの気持ちが染み渡り、涙が出そうな、幸せな気持ちになった。




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