欲張り
光の季節前期月、四週三日。
まだ薄闇の中、早朝の川原でカウティスは剣を振っていた。
魔術ランプは一つ持って来ているが、光量を絞っているので、それ程明るくはない。
さっきまでは月光で明るかったのでそれで十分だったが、少し雲が出たようだ。
一人で剣を振る分には問題ないので、放っておいた。
フルデルデ王国にセルフィーネが向かって、早八日目だ。
マルクによると、年明けからすぐに調整を始めた、ネイクーン王国とフルデルデ王国の魔術士館の通信魔術統一は、思いの外上手く進んだらしい。
おかげで、セルフィーネがフルデルデ王国に入ってからの事が少しずつ知れた。
彼女は今、王族と聖女アナリナに保護されている状態で、魔力回復に努めているという。
カウティスには見ることが出来ないが、空を覆う魔力が、
まだまだ層とは呼べず、荒い網の目の様な状態らしいが、それでも確かに回復しているようで安堵した。
パシャ、と音がして、カウティスは反射的に川面に向いた。
フルデルデ王国へ移動してからも、セルフィーネは、早朝鍛練の時に水を跳ねさせて無事を知らせてくれる。
今朝もきっとそうだと思った。
穏やかに流れているはずのベリウム川も、月光が乏しいと重く暗い動きを見せるが、奇跡の地である為か、不思議と恐ろしさは感じない。
ランプの光量を上げて上にかざしてみるが、その光を弾く水面に、特に変わりはないようだった。
セルフィーネではなく、魚が跳ねたのだろうか。
カウティスが小さく溜め息をついてランプを下ろすと、再びパシャと音が聞こえた。
急いでランプを持ち上げたカウティスの顔に、水飛沫が散る。
「つっ、冷たっ!」
氷のような冷たさに、一瞬目を閉じる。
一気に全身に鳥肌が立った。
兄の婚約式の翌日、泉の庭園で
「やったな!」
カウティスは笑いながら目を開けたが、川面には何もなく、サラサラと水の流れる音がするだけだ。
日の出の鐘が、遠くから聞こえてきた。
薄く雲の掛かっていた月が、東の空で太陽に替わる。
「…………会いたいな」
頰に散った水滴を拭った指を、カウティスは胸の前で握り込んだ。
フルデルデ王国の王都では、朝の祈りの為に月光神殿の祭壇の間に入って来た聖女アナリナが、祭壇の上を見上げてくすりと笑った。
「なあに? 楽しそうね」
上に留まっているセルフィーネの魔力が、ふるりと揺れている。
「……カウティスの鍛練を見てきた」
水盆の方から
「話せる程回復したの?」
「色々試してみたが、姿を造らずに、水を介して声を出すことが一番楽なようだ」
セルフィーネは毎夜、ここで魔力回復に努めながら、人と意思疎通する方法はないか模索してみた。
半実体化はまだまだ無理だ。
以前の様に、水盆に
霧の
三国に散らばる水源に気を配ったままでは、なかなか上手くいかない。
近くにある水を介して声を発することだけが、殆ど消耗することなく、確実に意思疎通する方法に思えた。
「すごいわ。随分な進歩ね!」
アナリナが満面の笑みを見せる。
こうして共に喜んでくれる事が、とても嬉しい。
三国のものになって、誰にも姿を見せることも話すことも叶わなかった。
実はとても寂しかったのだと気付き、ネイクーンを出てもアナリナという心強い味方がいることに感謝した。
「……ありがとう、アナリナ」
「どういたしまして。でも、まだまだこれからよ。焦らずに回復しましょう」
言いながらアナリナが、朝一番の務めである、月光神への祈りを捧げる為、聖水の入っている瓶の蓋を手に取った。
「……今夜、ネイクーンに帰っては駄目だろうか……」
呟くように心細い声がして、アナリナは上を向く。
「言ったでしょう? あなたの好きにして良いのよ。でも、会話できるようになった途端にカウティスのところに帰るなんて、つれないわ。私とも、もっと話して欲しいのに」
口を尖らせるようにしてアナリナが言うので、セルフィーネは慌てる。
「そんなつもりでは……。ただ……苦しくて……。ずっと、
本体ともいえる
ずっと、内から引かれているように感じる。
フルデルデ王国は想像以上に心地良いのに、どうしてもここが居場所ではないような気がしてしまう。
「……それに、近くに行かなければ、カウティスには分からない」
セルフィーネには見ることが出来て、遠くからでも先程のように存在を伝えることが出来る。
伝えられることで充分だと思っていたのに、伝えられると欲が出る。
ここにいると、感じて欲しいのだ。
「……私は、どんどん欲張りになっていく気がする……」
戸惑うようなセルフィーネの声に、アナリナは笑う。
「そんなの、当然だわ。好きな人に会いたい、触れたいって、誰だって思うわよ」
「そういうものか?」
「そうよ。それに、それを言うならカウティスの方がよっぽど欲張りだわ。ネイクーン王国の特別な
アナリナは聖水を杯に満たし、月光神像に捧げた。
「はあ……いいわねぇ。私もいつか、そういう相手が見つかると良いんだけど」
「…………すまない」
アナリナの想い人はカウティスであったのだと思い出し、セルフィーネは彼のことを当たり前のように話していた自分に小さくなる。
「謝らないで。それに、こんな状況になっても想い合っているあなた達を見て、すごく安心したの。私、嬉しいのよ。不思議でしょ?」
アナリナが照れたように笑うので、セルフィーネも思わず弱く笑った。
祭壇の間の上で、ふるりと魔力が揺れる。
「ネイクーンにすぐ戻りなさいと言ってあげたいけど、今夜もう一晩、ここで月光を浴びたらどう? 予報では、明日は午後から雨だそうよ。きっと明日の夜は月光を浴びられないわ」
アナリナが祈りに入る準備を終えて言った。
扉が開いて、女神官が供物を運んで来る。
「……分かった。そうする」
アナリナにだけ聞こえるように小声で言うと、セルフィーネは黙った。
もう少し回復して、明日にはネイクーンに戻ろうという期待と、まだもう一日我慢しなければという落胆が両方混じり合って、セルフィーネの胸を強く鳴らした。
ネイクーン王国西部の拠点では、久しぶりに居住建物に顔を見せたハルミアンが、資料と図面を広げて見せていた。
「魔力集結?」
カウティスが繰り返して問うと、ハルミアンは大きく頷いた。
「そうだよ。建物自体の造りを利用して、自然から魔力を集めるんだ。月光を集めるだけじゃなく、自然から魔力を集めた場ができるから、陽光の下でもセルフィーネの消耗が格段に抑えられると思う」
顔を輝かせたカウティスとは対照的に、ラードが目を眇めて警戒する。
「その技術は、イスターク猊下が研究していたとかいうやつだろう。お前はまた……!」
「技術は技術だよ! セルフィーネを助けるのに必要なら、誰が生み出した技術かなんて関係ない。現に今、フルデルデ王国でセルフィーネを助けてるのはオルセールス神聖王国の聖女だって言うじゃないか」
ハルミアンはラードを睨んで言った。
神殿独自の通信手段で、フルデルデ王国において聖女アナリナが水の精霊を助けていると、イスタークに報告が上がっていた。
何故聖女がセルフィーネを助けるのかは知らないが、水の精霊と三国の在り方を補助する動きが三国以外にもあって良いというのなら、エルフの知識でも、元魔術士の技術でも、使えるものは使うべきだとハルミアンは思う。
「セルフィーネを今以上に苦しめない為に、もっと欲張って、利用できるものは利用すれば良いじゃないか」
ハルミアンの言葉に噛み付こうとしたラードを、カウティスが止める。
「ハルミアンの言う通りだ。僅かでもセルフィーネを助けられるなら、出来ることは何でもしたい」
「しかし王子、この図面の通りだと、あの庭園に手を加えることになりますよ。良いんですか」
ハルミアンの示した案では、王城の庭園の泉を囲うように建物を造ることになる。
「元々、セルフィーネの為に造られた庭園だ。彼女を助ける為の場所になるなら、言うことはない」
カウティスはラードの腕を握る。
年末から、ラードが以前よりも神殿関係に注意を払っているのは気付いていた。
ラードは、いつだってカウティスのことを案じてくれる。
「……ラード、頼む」
真剣なカウティスの表情を見下ろし、ラードは大きく息を吐いて首を振る。
「まったく。『黙って従え』と仰れば良いのに。……王城に連絡を入れます。工事が可能か、まずは確認してみないと」
ラードは、腕を握ったカウティスの手を軽く叩くと、ハルミアンをひと睨みしてから、広間を出ていった。
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