動き出す (3)

セルフィーネは南へと空を駆ける。



不安定な仮の姿であったが、カウティスと僅かに触れ合えた気がした。

存在を感じてくれた。


嬉しくて、嬉しくて、……そして離れるのが寂しかった。

まだ、年が明けて二週しか経っていないのに、もうこんなにも胸が苦しい。


それでも、セルフィーネは空を駆けた。

南部を通り、魔術士達が設置した巨大な魔術陣が正常に作動していることを確認してから、日付けが変わるのを待って、初めてネイクーン王国を出た。



国境を越える瞬間、僅かに緊張する。



三国共有となってから、フルデルデ王国とザクバラ国は既にいたし、地理も理解している。

しかし、実際に国境を越して、ネイクーンとは別の国に入ると、その空気感すら変わったようで新鮮だった。

月光の下なのもあり、土の精霊の気配も感じて心地良く、すぐに緊張は解けた。

これならば二週間の滞在も苦にならないかもしれない。


それなのに、今すぐにネイクーン王国へ戻りたい気持ちも何処かにあって、一度だけ振り向いてしまった。


セルフィーネはふるふると首を振り、南へ目を向ける。

まずは王都の上空へ留まるべきだろうかと思いながら、ネイクーン王国のエスクト領から続く砂漠の上空を駆けた。



王都が見えてきて、セルフィーネは目を瞬いた。

ネイクーン王国の城下とは、まるで感じが違う。

はっきりとした色の屋根が多く見られ、明るく陽気な雰囲気の街並みだ。

大広場を中心に大通りが走るネイクーンの城下と違い、フルデルデ王国の王都の中心には、これまた色鮮やかな宮殿があった。


あれがメイマナ王女の生まれ育った宮殿かと思った時、セルフィーネを強い力が引っ張り、抵抗する間もなく、彼女は地上に落とされた。






「セルフィーネ、つーかまーえた」


懐かしい声が聞こえて、セルフィーネは顔を上げた。

目の前には、薄い水色の祭服を着た聖女アナリナが立っていた。

額に汗で張り付いた青銀の髪を、笑って掻き上げる。



「……アナリナ?」

言って、声が出たことに驚いて喉に手をやるが、目の前のアナリナが同じ様に驚いて喉を触っていることに気付き、目を瞬いた。

目の前のアナリナの瞳は、黒曜石の輝きはなく、紫水晶に見える。

よく見れば、その姿は姿見鏡に映ったものだった。


ここは月光神殿の祭壇の間だった。

祭壇には、月輪を背負った静謐せいひつな月光神の像が立つ。

その前には、眷族である水の精霊の銀の水盆と、土の精霊の銀の稲穂が置かれてある。


姿見は祭壇の横に立て掛けてあった。




「今、あなたは私の中にいるの。精霊降ろしよ。あなたを降ろすのは何度目かしら。五度目? ううん、六度目ね」

鏡の中のアナリナが悪戯いたずらっぽく笑うので、セルフィーネは嬉しくなった。

だがハッとして、すぐに首を振る。

「私がフルデルデ王国に来たのは三国の協約に従ったからだ。勝手をしては、アナリナが責められてしまうのではないのか」


フルデルデ王国に滞在しているとはいえ、聖女の所属はオルセールス神聖王国だ。

水の精霊の三国共有とは関係がない。


セルフィーネの心配を他所よそに、アナリナは笑って言った。

「心配ないわ。だって、女王様の許可済みだもの」

アナリナは後ろを振り返る。

アナリナの視界を通して、祭壇の間に並ぶ長椅子の所に、数人が控えているのが見えた。


長椅子に座っているのは、高貴な身なりの女性と、メイマナの父であるフルデルデ王国の王配だ。

その周りに、貴族であろう男が一人と、男女の騎士、中年の女性魔術士が一人立っていた。

アナリナ達が振り返ったのを見て、座っていた女性が立ち上がる。

女戦士のような、大柄で引き締まった体格に褐色の肌の女性は、吊り上がった焦茶色の瞳を興味深そうに細め、ゆっくりと祭壇に近付いて来た。




「これが“精霊降ろし”というものか。一人の身体に二人の意識とは、一人二役の芝居を見ているようだ。面白いな」

女性がアナリナの身体を見下ろし、まじまじと見て言えば、後ろから付いて来た王配と貴族の男が頷く。

「確かに、これぞ聖女の奇跡の御業みわざですね」


「フルデルデ王国の女王陛下よ、セルフィーネ。私があなたを呼ぶことを許して下さったの」

アナリナの言葉に、セルフィーネは目を瞬いた。

「……フルデルデ女王よ、私は水の精霊だ。今年から、貴国の水源を守る役割を竜人族から与えられた。………………何なのだ?」

挨拶しようとしているのに、上から下、前から後ろと角度を変えて姿を眺め、ぐいと瞳を覗き込んでくる女王に、セルフィーネが軽く身を引く。

「ああ、すまない。いや、何。そなたはネイクーン王国のカウティス第二王子と恋仲だと聞いていたのでな。どのような精霊なのかと、興味があって」

女王は、屈託なく朗らかに笑って言った。



不意にカウティスの名を出され、セルフィーネは、つい先程の別れを思い出してしまった。

ギュウと胸が痛んで、声が出せない。



大きく笑んでいた女王が、笑みを消して濃い眉を下げた。

「なんと。そのような顔をするな、水の精霊よ。泣かせたかったのではないぞ」

褐色の大きな手を伸ばし、女王は今にも泣きそうな顔になったアナリナセルフィーネの頬をぐにぐにと揉む。

「メイマナの言う通り、本当に乙女のようではないか。こんなに可愛らしい精霊だと、ザクバラの者共は知らぬのか」

「いけません、陛下。身体は聖女様の物ですよ」

魔術士が、苦笑いで女王を止める。

赤茶色の長い髪を無造作に束ねた、背の高い女性だ。




「まだ話すことがあるんだから、泣いちゃ駄目よ、セルフィーネ。身体から出ちゃうと、まだ直接話せないでしょう? こんなにも儚い魔力姿にされちゃって……」

女王の手が離れた頬を撫でながら、アナリナが鏡に向かって、悔しそうに言った。


「……話すこと?」

アナリナは大きく頷く。

「セルフィーネ、これからあなたは、フルデルデ王国にいる間、この月光神殿の祭壇の間にいなさい」

セルフィーネが驚いて目を瞬いた。

「ここに?」

「そうよ。ここは月光が効率的に集まるように作られていて、あなたの魔力を回復するのにうってつけよ。ネイクーンでは神殿に留まれないだろうけと、フルデルデ王国なら私が守ってあげられる。聖女わたしには、誰も口出し出来ないもの」


セルフィーネが女王を見ると、彼女は何も口を出さずに見ている。

既にアナリナとの間で、話は通っているのだろう。

「……良いのか?」

「そもそも水の精霊は月光神の眷族なんだから、ここにいても問題はないでしょ」

アナリナは人差し指を立てて笑う。


セルフィーネにしてみれば、願ってもない事だ。

常に月光神の御力で満たされているこの祭壇の間は、夜の間は上空にいるよりも格段に魔力が回復出来て、昼には消耗を今より更に抑えられる。

聖職者扱いされないのであれば、これ程留まるのに良い場所はないだろう。




「充分に魔力を回復出来たと思えば、十日を待たずネイクーン王国へ戻っても良いぞ」

女王が良く通る声で言った言葉に、セルフィーネは弾かれたように振り返った。


「……それは、協約に反する……」

二週ずつ三国を巡回すること。

それは三国が寄って取り決めたもので、協約に記されている。

「確かにな。しかし、そんなものは人間同士が勝手に決めた事だ。水の精霊お前がその通りにしてやる必要は無かろう?」


困惑するセルフィーネに、女王の横に立つ女性魔術士が、フルデルデ王国の魔術師長だと名乗ってから口を挟んだ。

「水の精霊よ。あなたの契約のあるじは、竜人族ただ一人だと聞いています。あなたが真に守らなければならないのは、あるじとの契約だけ。人間が勝手に決めた協約に従わなくても、契約違反にはなりませんよ」


セルフィーネは更に困惑する。

「……だが、エルノート王太子に『三国の協約に従う』と約束をした」

ネイクーンにいた長い年月、ずっと王族をあるじとしてきたセルフィーネには、王族との約束を反故ほごにする選択肢はなかった。


「その王太子殿下が提案してきたのですよ。メイマナと一緒にね」

王配が、何故か僅かに口を歪ませた。

「聖女様と水の精霊あなたが友であると教えてくれたのも、お二人ですよ」

フルデルデ王国王太子の夫だという、貴族の男が微笑む。



エルノートとメイマナは、フルデルデ女王と連絡を取り、両国の魔術士館の通信魔術を一本化させた。

早く密に遣り取りが出来るようになり、ザクバラ国を除く二国で、新たな取り決めをした。


曰く、貴族院を中心とする政治関係者に、水の精霊のあるじは竜人族であることの周知をすること。

水の精霊の役割は水源を保つことに終始し、それ以外は水の精霊の献身であることを考慮し、水の精霊自身の意思により施されること。

月の前中期の四週は、水源に影響がない限り、水の精霊の両国間の移動を許可するものとする。



「水の精霊よ。現在、我が国の水源はどのようになっている?」

目を見開いて立ち尽くしているセルフィーネに、女王が尋ねる。

「……貴国の水源は、周辺環境を含めて、よく保たれている。精霊達も安定している」

セルフィーネが答えると、王配も魔術師長も満足気に頷く。


「毎月我が国を訪れて、それだけ確認してくれたら充分だ。我が国は今までも、国民我等の力を合わせてやってきた。突然精霊の護りを与えてやると言われても、我が国の民はそう有り難いとも思わぬよ」

女王が朗らかに笑うと、王配が付け足す。

「ネイクーンでのメイマナの様子も、報告してくれると嬉しいです」


女王が手を伸ばし、幼子にするようにアナリナセルフィーネの頭をぐしぐしと撫でた。

「今はまだ、ザクバラ国での事はどうにもしてやれぬ。だが三国共有は始まったばかりだ。これからどうなるかは分からないからな、焦らず、出来ることからだぞ」

その言いようと笑顔は、大家族を支える母親そのもので、実に頼もしい。




女王の手が離れると、何と言って良いのか分からない様で、セルフィーネからは何の言葉もない。

アナリナは困ったように笑う。

「セルフィーネったら、前にも言ったでしょう? 欲しいものは欲しいって、嫌なものは嫌って、言っていいの」


アナリナはそっと手を伸ばして、姿見に映るアナリナセルフィーネと掌を合わせた。

「言わないと伝わらないの。それでどうするかは、言われた相手が決めることよ。……さあ、セルフィーネは、どうしたいの?」



セルフィーネは鏡の中で、くしゃりと顔を歪ませた。

紫水晶の瞳が潤んでいく。

「ネイクーンに、……カウティスのところに、帰りたい……」

ポロリと涙が溢れて、不安定に揺れた魔力がアナリナの身体から抜ける。


一瞬よろけたアナリナを騎士が支えると、アナリナは頬を伝った涙を祭服の袖で拭って、祭壇の上を見上げた。

「それで良いのよ、セルフィーネ。でも、出来るだけここで回復してから動くのよ。分かった?」



祭壇の間に降り注ぐ月光の下で、青白い魔力が頷くように揺れた。




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