動き出す (1)

深い深い緋色の中で、セルフィーネは目を開けた。


所々に淡く光るものが見える。

ゆっくりと頭を振るが、淡く光るものは弱々しく揺れるばかりだ。

これは、“自分”だと感じた。

あまりにも弱々しく、不確かな水の精霊自分だ。



« 目覚めたか »


火の精霊の声がして、セルフィーネはここがフォグマ山の中だと気付いた。



フォグマ山は火の精霊の聖地とも言える場所だ。

竜人族が水の精霊をネイクーン王国に落とした時、水晶のような魔石を水の精霊の心臓部コアとして、フォグマ山に埋め込み、火の精霊の影響を弱めた。

今、セルフィーネはその魔石にいた。



セルフィーネは動こうとして、左腕と思われる部分に、僅かな重みを感じた。



『 俺が選んだ。……使ってくれるか? 』



カウティスの声が甦り、胸が詰まる。

穏やかな波の中で、互いに羽繕いをする小さな水鳥。

繊細に彫られた、波に揺れる葉と水鳥の羽根。

目には見えないが、思い出せば鮮やかに甦る飴色のバングルが、確かに、この左手首にある。




« 行かなければ »


セルフィーネは顔を上げる。


年明け、日付けが変わると同時に二国に向かって引き伸ばされ、半実体を造っていた魔力の塊も全て散った。

引き伸ばされる激痛と、視界が急激に広げられて入ってくる情報に翻弄ほんろうされ、セルフィーネは自然と閉じてしまっていた。


形なく漂う魔力となった今、意識は心臓部コアに戻っていた。

しかし、三国の水源を見守り、協約を守る為には、フォグマ山を出て行かなければならない。



« それ程に弱っても 

 まだ我等の元に戻らないつもりなのか »


火の精霊が言う。


« 私はこれからも ずっと

 ネイクーン王国の水の精霊だ »

 

« 変化の結果が この有様でもか »


セルフィーネは立ち上がり、緋色の世界を見回す。

そして微笑んだ。


« ……行く それでも心はずっと

 そなた達の同胞で在るつもりだ »



セルフィーネはフォグマ山を飛び出す。

引き伸ばされた時と同じ様に、フォグマ山を出た途端に多くの景色と情報が流れ込んできて、混乱する。

痛みはないが、ネイクーン王国以外の二国の視界に翻弄され、上空で長い間藻掻いていた。



遮るもののない空で、月光に照らされて我に返った。


青白く降る月光に力を得て、落ち着いて周りを確認する。

どうやら、北部の上空にいるようだ。

フォグマ山から出て、それ程動いていなかったらしい。

居場所が分かると、更に落ち着きを取り戻し、徐々に視界を広げていった。


ゆっくりと時間をかけて慣れてくると、ネイクーン王国を見ていた時のように、フルデルデ王国とザクバラ国も遠く浅く見ることが出来た。




ふと、あれからどれ程時間が経ったのかと、不安がよぎる。

そっと踏み出すと、王城まで動くことが出来た。

苑地に設置されていた祭壇を、下男達が片付けているのが目に入って、祝週を終えたのだと気付く。

どうやら一週経ったらしい。



月が東に傾く頃、泉の庭園に向かうカウティスを認めて、心が震える。

側に行きたいのに、掻き集められる魔力が足りず、形を造って降りることは出来なかった。


「セルフィーネ」

切なく名を呼んで泉を見詰めるカウティスを抱きしめたくて、必死に手を伸ばす。

しかしどうしても届かず、渾身の力を込めて、泉の水を揺らした。


ただそれだけしか出来なかった。

それなのに、彼は安堵した様に笑ってくれた。


「無事でいるか?」「俺もネイクーンの皆も大丈夫だ」「魔術士達もそなたを見守っている」


姿が見えなくても、泉に向かって語りかけてくれる彼が愛おしく、胸が温かくなった。



「……いつも、そなたを想っているから」


泉に向かって、そう呟くカウティスに、セルフィーネも届かない声で呟く。


« 私も ずっと

 カウティスを想っている »



月が太陽に替わると、セルフィーネは魔力の消耗を最小限に抑える為、三国の水源を見守る事に専念せざるを得なかった。





光の季節前期月、二週五日。


王城の大食堂では、王族が揃って朝食を摂りながら会話をしている。

話題は、ザクバラ国のタージュリヤ王女の立太子と、セイジェ王子の国家間婚についてだ。



祝週明けてすぐ、病弱で床に就いたままだったザクバラ国の王太子が、年明けに亡くなったと、親書で知らせが届いた。

二週目に葬送の式典と、続けてタージュリヤ王女の立太子の儀が、略式で行われるということだった。


そして、王太子となったタージュリヤ王女を支えるべく、喪が明ければすぐに結婚式を挙げられるよう、国家間婚を進めていきたい旨が記されてあった。




「それでは、セイジェ王子は予定通り、水の季節にザクバラ国へ向かわれるのですか?」

口元を上品に拭いたメイマナが、驚いた様に言った。

「そうなりますね。行って婚約式をして、そのまま王配教育期間を経て、喪が明けて結婚……となると、兄上達の結婚式の後に、そう間を空けず私の結婚式になるでしょうか」

セイジェがグラスを揺らして、濃い蜂蜜色の瞳を細める。


皇帝の喪中で、祝祭事は禁じられているが、参列者がいて祝うものでなく、当人達が神に誓いを立てるだけの婚約式ならば神祭事として認められる。

国家間婚としては異例ではあるが、既に昨年からフルブレスカ魔法皇国で許可されている婚姻だ。

宙に浮いた状態で止まっているよりも、動いた方が両国の関係の為にも良いだろうと、王と貴族院がザクバラ国の要望を受け入れる事を決定した。


何より、セイジェ本人がそれを望んだ。

大変な時期にネイクーンで深く公務に携われないまま過ごしていることを、心苦しく感じていたからだ。



「婚約式まで略式で行うなど……、納得いきません……」

マレリィは、ザクバラ国の申し入れを受け入れ難いらしく、この話題になってからずっと黒い眉を寄せたままだ。


「良いではありませんか。どうせ大々的に婚約式を行っても、周りはザクバラ貴族ばかり。それならば、いっそ当人だけの方が気安いものです。タージュリヤ王女の本音もうかがえるかもしれません」

セイジェは何処か楽しそうに言って、グラスの中身を飲み干す。

「婚約式こそまだでしたが、ネイクーンでの婚約期間はもう取ったようなものですし、向こうで残りの婚約期間を過ごせば充分です」


給仕に水を注いでもらいながら、セイジェはメイマナをチラリと見て笑う。

「大体、国家間婚は時間がかかり過ぎます。型破りな前例を作った方もおられますし、こういうやり方も増えるのでは?」

メイマナは一瞬気恥ずかしそうにしたが、思いついた様に小さく手を打つ。

「ならば、私達の結婚式も、いっそ略式にして早めては……」

「メイマナ王女」

マレリィの黒い瞳がギラリと光ったので、メイマナはレースの肩布を掛けた肩を竦めた。


「流石に結婚式を略式にしては、民が黙っておるまい」

王がメイマナを見て苦笑する。


王太子エルノートの国民人気は高い。

来月一日の即位に際し、一般に向けての即位式が行えない事を不満に思う民は多い。

喪中で仕方がなく、喪が明けて結婚式と同時に、改めて行う事を発表して収まっているのだ。

これで結婚式を早めて略式にしては、どこで不満が爆発するやら分からない。


「結婚式は、充分に準備をして臨もう」

隣から声を掛けられて、メイマナは右に座るエルノートを見た。

普段は冷たくも見える薄青の瞳を、彼は柔らかく細めて笑う。

「聡明で美しい王妃を、民に披露しなければならないからな」

その形容に、メイマナは頬を染めながらもひるむ。

「い、今、もの凄く難易度が上がりましたわ、エルノート様。私、これから結婚式までにもっと自分を磨きます」

「何故だ? 今のままで充分輝いていると思うが」

当たり前のように言ったエルノートに、メイマナの顔から首まで真っ赤になった。


兄があんなことを、と思わず感動するセイジェが父王を見れば、王も感涙しそうな様子だった。




「マレリィ様」

侍女の声がして、皆が一斉にマレリィの方を向く。

先程よりやや顔色の悪いマレリィが、こめかみを押さえている。

ずっと眉を寄せていたのは、頭痛のせいでもあったようだ。

「マレリィ、頭痛か? 藥師を呼べ」

王が席を立とうとすると、マレリィが止める。

「大丈夫です。……先に失礼して、部屋で少し休みます」

メイマナがさり気なく席を立って、マレリィの側に寄った。

「陛下、私が一緒に参ります」

マレリィが何かを言う前に、にこやかに、そして自然に手を取ってメイマナが促す。




マレリィとメイマナが出て行った扉を、王が心配そうに見て、小さく息を吐いた。

「……国家間婚を進める話が出てから、時々頭痛が出ている」

「やはり、リィドウォル卿の記憶操作の影響でしょうか」

エルノートも扉を見て言う。

「おそらくな……」



王は古い記憶を辿る。

フルブレスカ魔法皇国の皇立学園で、リィドウォルが学んでいる姿を何度も見たことがある。

愛国心は強いように見えたが、自国の在り方に悩んでいたようにも見えた。


長い年月関わることがなかったが、停戦協定を結ぶ時には、雰囲気が変わっていたように思う。

思い返せば、その頃から水の精霊に対し、執着を見せるようになった気がする。

カウティスを西部と北部の境辺りで捕縛したのも、その頃だ。



「……リィドウォル卿は何を狙っているのだろうな。何故これ程、水の精霊を欲するのだろう。我が国に痛みを与える為だけには思えない」

王がテーブルを指で叩く。


「それもまた、国家間婚が進めば明らかになるかもしれません」

セイジェが二杯目のグラスを揺らして、テーブルに置いた。

「セルフィーネが、ザクバラ国でどう扱われるのかも。……それが分かれば、カウティス兄上も少しは安心出来るでしょうから」

平常通りに振る舞っている兄を思い、セイジェは唇を噛んだ。


 


今夜、日付けが変わると、セルフィーネはフルデルデ王国へ移動する決まりだ。


初めてネイクーン王国を出る彼女を思い、王はグラスの中で揺れる水を見つめた。





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