最後の一日 (2)

カウティスは、フードのついた旅装の紺のローブを着て、セルフィーネを一緒に馬に乗せ、城下に降りた。



今夜は日の入りの鐘から、月光神への感謝を捧げる、感謝祭が行われる。

城下でもオルセールス神殿で前庭が開放されて、式典が行われる予定だ。


毎年、この日の昼間から年が明けて御迎祭の後五日間は、城下は祝いの雰囲気一色になるが、今年は喪中にあたるので例年のような賑やかさはない。

葬送の期間は過ぎたので、重要各所の弔旗以外は既に下ろされているが、それでも数旒すうりゅうの巨大な弔旗は、昏い存在感を持って空に流れていた。


しかし、視線を下ろせば、街にはやはり多くの人々が、年末年始の慌ただしさを滲ませて動き回っている。

大袈裟な祝いの行事は出来なくても、個々が今年を無事に終え、新しい年を迎える事を祝うのだ。





服を着ること、馬に乗ること、外を歩くこと。

初めてのことばかりで、セルフィーネの胸はずっと落ち着かない。


上空から国中を見ているのとも、アナリナの身体を借りて感じた時とも、全く違う。

通り過ぎていく人々の気配、生活の匂い。

直接感じる生気のようなものに、セルフィーネは圧倒された。


「セルフィーネ?」

さっきまで、どこか興奮気味だったセルフィーネが、黙って人々の行き交う姿を見詰めているので、カウティスは彼女の手を握る。

我に返ったように見上げたセルフィーネが、カウティスの瞳を覗いて、ふわりと笑む。

白いフードのふわふわの縁が、たのしげに揺れて彼女の笑顔を彩り、カウティスの胸は高鳴った。


「何処に行きたい?」

「……鐘塔に上ってみたい」


セルフィーネがカウティスの腕を持って歩こうとするので、軽く肘を曲げて、そこに彼女の腕を通してやった。

セルフィーネが頬を染めてキュッと腕に力を入れるので、柔らかな身体の感触を腕に感じて、カウティスまで耳が熱くなった。



二人は腕を組んで、城下の中心を通る大通りに出た。

大通りは、大型の馬車が四台は余裕で並ぶ程の幅がある。

馬車が行き交う中央を避け、大型の店舗が並ぶ端を歩きながら、カウティスは様々な物に瞳を輝かせるセルフィーネを見ていた。

「あれは何?」「これは?」と、頬を染めてカウティスに尋ねる彼女が可愛くて、時々見惚れてしまった。

南部で、アナリナの身体を借りてエスクトの街を歩いた時も、こんな風だった。

また一緒に歩きたいと願っていた事が叶い、嬉しく思う。


そして、これがこれからも続いて欲しいと、新たに願ってしまう。




昼の鐘が鳴る頃、通りの突き当りになる、中央広場に出た。

祝いの催事が禁止されているので、広場の中に露店は一つもないが、人は多い。

広場の中央の四体の精霊像に、祈りを捧げに来ているのだ。

精霊達は兄妹神の眷族だ。

街の人々は、神殿の前広場に設置される平民向けの祭壇に祈りを捧げに行ったり、この広場の精霊像に祈りを捧げて、年末年始を祝う。


年末は、月光神の眷族である、水の精霊と土の精霊に祈りを捧げる者が多いが、今年は特に、水の精霊像が埋もれそうな程に花が捧げられていた。

ネイクーン王国の人々は、今日が終わると共に水の精霊がネイクーンだけのものでなくなるのを知っている。

感謝や不安、様々な思いを胸に、祈りを捧げているのだろう。


セルフィーネは、その光景を暫く黙って見つめていた。


「私は、この国が好きだ」

ぽつりとセルフィーネが呟く。

「ああ。ネイクーンの民も、そなたのことが好きだよ」

花に埋もれそうな水の精霊像が、それを物語っている。

「……ネイクーンから、離れたくない」

消え入りそうな声が切なく、カウティスはセルフィーネの肩を抱いた。




広場の少し先に、赤い煉瓦造りの鐘塔がある。

二人は広場の外周を通り、そちらへ向かう。


広場の門の所で振る舞い酒を配っていた商人が、小さなカップを差し出した。

「どうぞ。温まりますよ」

笑顔で差し出され、セルフィーネはドキドキしながら手を出した。

手袋をしていたので、受け取ることが出来て、思わず嬉しくてカウティスを見上げ、微笑み合う。



セルフィーネがカップを気にしているので、カウティスは人の流れを外れて、建物の影へ移動する。

渡された小さなカップには、薄く湯気の立つ白濁した液体が入っていた。

セルフィーネは鼻を寄せて匂いを嗅ぎ、軽く顔をしかめる。

拠点でラードに嗅がせてもらった酒を思い出した。


隣でクイと一息に飲んだカウティスを、セルフィーネは目を丸くして見上げた。

自分も試してみようと口元まで持って行ったが、やはり立ち上るアルコール臭に躊躇ちゅうちょして、口に出来ない。

「…………これも飲んで」

どうしても口に出来ないのでカウティスに差し出すと、彼は受け取って簡単に飲み干してしまった。


「そなたもそんな風に酒が飲めるのだな」

セルフィーネに感心するように言われて、カウティスは少し照れ臭そうに鼻を掻いた。

「実は、これはとても甘いのだ」

セルフィーネは目を瞬いてから、クスクスと笑う。

「やっぱりカウティスは、甘い物に目がないのだな」


カウティスの腕を離さず、楽しくて堪らないというようにセルフィーネが笑う。


温かい酒が入ったからだろうか、フードがふわふわと揺れた内に見える彼女の笑顔に、カウティスの気持ちもふわふわと浮き立った。

目が合って、より細められた瞳に胸が突き上げられて、堪らず身体を引き寄せる。


何の抵抗もなく腕に収まり、熱を持った瞳で見上げられると、我慢できなかった。

自分が被った紺のフードを強く引き下ろし、フードの影でセルフィーネの唇を奪う。

は、と彼女の小さな吐息が聞こえて、腰を抱く腕に力が入った。




セルフィーネの細い指が、カウティスの胸を押した。


そういう風に抵抗されたことがなかったので、苦しいのかと思い、カウティスは慌てて顔を離した。

ふわふわとしたフードの内に見えるセルフィーネが、潤んだ瞳で呆然としていた。


「あ……すまない、驚かせたか?」

建物の影とはいえ、往来で急にこんなことをすればセルフィーネは驚いただろう、とカウティスは心の中で自分を叱る。

しかし、セルフィーネは腕を伸ばし、震える指先でカウティスの唇を撫でた。


「…………甘い?」


カウティスは目を見張る。


「……今の酒は、甘かった?……いつか、アナリナの身体で食べた……パンのように……?」

セルフィーネが確かめるように問う言葉に息を呑む。


カウティスの口の中には、今飲んだ甘い酒の味が残っている。


「とても甘い酒だ。……分かるのか?」

カウティスは両手でセルフィーネの頬を包む。

「……甘い、とても……。分かる……分かる」

セルフィーネの瞳に涙が浮かぶ。

カウティスは力を込めて彼女を抱きしめた。






煉瓦造りの鐘塔は、一般の者は鐘の所までは上がれないが、途中までは誰でも階段で上がれて、展望台から街を見下ろすことができた。


塔の中の螺旋状の幅広い階段を上り、展望台まで上がって来たのは、午後の一の鐘より前だっただろうか。

セルフィーネは、ここへ上がってきてからずっと、静かに城下を眺めていた。



セルフィーネがおそらく味覚というものを手に入れて、カウティスは舞い上がるような気持ちになった。

求めていた物を手に入れて、一瞬、これで全てが収まるような気にさえなった。


しかし、彼女が甘さを感じても、何も変わらなかった。


味覚を得て、すぐに何かが変わるわけではないのかもしれない。

五感云々はハルミアンの仮説に過ぎず、進化には大きく関係していないのかもしれないし、五感だけでなく、他に何かが変わらなければならないのかもしれない。

確かなことは何もなかった。

それでも、味覚さえ手に入れればと思っていた。

不安を紛らわせる為に、それを一つの支えにしていたのかもしれない。


カウティスはどうすることも出来ず、カウティスに凭れて、城下を眺めるセルフィーネの背を、ただ温めているだけだった。




セルフィーネは、ネイクーン王国の城下を見つめる。

初めて鐘塔から見る街並みは、見慣れた街のはずなのに、何処か新鮮に感じて不思議だった。


多くの生命と生活がここにあり、人々の営みの力強さを感じた。

ネイクーン王国の人々は、生きる希望の力に満ちている。


セルフィーネは、改めて思った。

この国を護っていたつもりだったが、水の精霊自分の力など、小さなものだと。

人間は、自分達の力でどんなことも乗り越え、生きていける。

水の精霊は水源を保ち、ただ見守るだけで良い。


ネイクーン王国は、この先も大丈夫だ。




二人の頭上で、午後の二の鐘が大きな音で響いた。


「王城へ戻ろう」

セルフィーネが静かな声で言う。

「…………まだだ」

カウティスは後ろから、セルフィーネの身体を抱く。

「嫌だ。まだ、進化する可能性だってある」

「私も諦めてない。ネイクーン王国から何処にも行きたくない。……でも、そなたはネイクーン王族として感謝祭に参席する義務がある。もう戻って準備しなければ」


カウティスは強く眉を寄せた。

「こんな時に義務か! そなたがどうなるか分からない、この時に!?」


周りにいた人々が、何事かとこちらを見たので、セルフィーネは身体をよじってカウティスに首を振った。

「分かっていたはずだ。今日という日がどういう日か。進化が間に合わなければ、私は三国共有のものになる。……だが、最後まで可能性を信じて、そなたがするべき事をして欲しい」


セルフィーネはカウティスの瞳を覗き込む。

「そなたは、私が仕える最後のネイクーン王族の一人。どうか、その義務を放り出さないで欲しい」

カウティスは歯を食いしばり、彼女を強く抱きしめた。


このままセルフィーネを、何処かへ連れ去ることが出来たなら。

三国から離れ、契約の効力を超えて、何の縛りもない場所で二人でいられたなら、どんなに良いか。


「…………すまない。そなたを助けたいのに、俺には、何も……」


セルフィーネは柔らかな微笑みで、カウティスの胸に頬擦りする。

「カウティスは、私に多くのものを与えてくれた。私はそなたと出会えて、今とても幸せだ」




「王城へ戻ろう」

セルフィーネが再びカウティスに言った。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る