最後の一日 (1)

朝食を自室で摂ったカウティスは、大食堂から戻って来たエルノートに会い、セルフィーネと城下へ降りることを伝えた。



「城下?……二人きりでか?」

「はい。マントかローブを纏えば、人と同じ様に見えますし」

フードの付いた物を着て出れば、見た目は人間と同じ様だし、例え人とぶつかったりしても、すり抜けたりはないので、おかしくはないだろう。



皇帝の葬送期間は過ぎたが、まだ喪中なので、年末年始の祝催事は行われない。

だが、兄妹神の創ったこの世界では、喪中であっても神を祀る神祭事は行われる。

聖職者が執り行う、月光神に感謝を捧げる年末日の感謝祭と、太陽神を迎える年始日の御迎祭は、例年通り実施される。


「喪中で祝催事は禁止とはいえ、城下の人出は多いだろう。充分に気を付けろ」

エルノートが心配の混じる声で言った。

「駄目だとは仰らないのですね」

カウティスがうかがうと、エルノートは軽く眉を寄せた。

「私なら止めないと思って、父上でなく私に報告に来たのだろう。確信犯め」

「その通りです」

二人は笑い合い、そんな二人を微笑んでセルフィーネは見ていた。


「それで、まさかと思うが、そなたのマントを被せて行くわけではないだろうな?」

黙って微笑んでいるセルフィーネを見て、エルノートが言う。

彼女は、カウティスの濃紺のマントを巻いたままの姿だ。


「頭から被るフードも必要ですし、衣装部屋へ行って……。いや、行ったら大騒ぎになりそうですね」

ありのままの姿で過ごすと決めたとはいえ、セルフィーネの姿をさらして王城の衣装部屋へ行けば、多くの使用人達に会うことにもなり、反って大事おおごとになりそうだ。

侍女のユリナに用意してもらうかと考えたところで、エルノートが頷く。

「メイマナの手を借りよう。来い」




エルノートと共に、カウティスとセルフィーネは、メイマナの居室に通された。


「まあ、そんな事なら喜んで! さ、水の精霊様、こちらへ」

事情を聞いたメイマナが、顔を輝かせてセルフィーネを隣室へ誘う。

セルフィーネは一度カウティスを見たが、行っておいでと言われて、大人しくメイマナに従った。



隣室にメイマナ達が消えると、ソファに座ったエルノートが話を切り出した。

どうやら、セルフィーネのいないところで話したかったらしい。


「朝食でも試したのか」

セルフィーネの味覚のことだ。

エルノートも水の精霊の進化については、詳しく聞いている。

「はい。セルフィーネが試したいと、何度か口に入れましたが、“味”というのは分からないようです」

カウティスも向かい側に腰を下ろす。

「そうか……」


セルフィーネは、温かい、冷たいというのは分かるが、味については何も感じないようだった。

それよりも、口の中の異物を咀嚼そしゃくして嚥下えんげする、という行為を生理的に受け付けないのか、塊の食べ物は全て、顔を歪めて吐き出してしまう。

液体も上手く飲み込むことが出来ず、今朝は激しくむせた。 


味をみるだけで、食べる必要はないのだが、試したいと言って聞かない。

実体を望む気持ちが出来たセルフィーネには、人間が“食べる”という行為が気になって仕方がないらしい。




「フルデルデ王国の魔術士館と、通信手段を一本化することが決まった」

エルノートの突然の言葉に、カウティスが目を瞬く。

「情報が筒抜けにならないよう、これから細かな制約も詰めなければならないが、まずは、我が国とフルデルデ王族との連絡が密にできるようになる。セルフィーネが向こうへ行っている二週の間、何の様子も分からない、といったことはなくなるだろう」

「兄上……」


侍女が淹れたお茶のカップを持ち上げて、エルノートが一拍止まる。

「ザクバラ国とは、今後の動向を見てからでなければ、何とも言えない。……リィドウォル卿がどのように動くか、全く分からないからな」


三国の詳しい協約と、ザクバラ国の政変でリィドウォルが宰相に就いたことは、王城に戻ってからカウティスに知らされた。

会談の場にリィドウォルが直接出向いたことは、彼が水の精霊に対して、どれ程執着しているかを物語っているようで、聞かされた時は胸が悪くなった。



「……それから、フルデルデ王国に駐在している、聖女にも連絡を取った」

「アナリナですか?」


水の精霊は月光神の眷族だ。

エルノートは城下の神殿に使いを出し、月光神の女神官に、水の精霊の魔力を保つ手段はないか尋ねた。

眷族の力を高めるには、主神である月光神の光を浴びることが一番だという。

つまりは月光浴だ。


女神官は、神殿独自の通信手段で隣国の神殿に連絡を取り、月光神の最高司祭であるアナリナにも問い合わせてくれた。

月光神の女神官は、ネイクーン王国においての聖女の世話役だった者だ。

アナリナが、カウティス第二王子と水の精霊とに好意を持っていたことを知っていて、自ら動いてくれた。


「アナリナは、何と?」

カウティスは身を乗り出すようにして問う。

エルノートは、まだお茶の残るカップを置いた。

「……水の精霊が月光の魔力を効率的に取り込むには、月光神殿の祭壇にいることが一番である、と」

カウティスは強く拳を握った。





隣室では、メイマナと侍女のハルタが、セルフィーネに服を合わせていた。


他の侍女は、皆この部屋からは下げている。

初めてセルフィーネに会って、最初こそ驚愕して固まっていたハルタだが、メイマナの様子を見て、何とか立て直した。



「こちらとこちらなら、足元まで隠れます。どちらがお好みですか?」

フード付きの長い上着を二着持ったハルタに、セルフィーネは戸惑う。

着る物の好みなど、考えたこともなかった。


察したメイマナが、肩から胸に青い糸で刺繍がされた、白い上着の方を取り、セルフィーネの肩に掛けた。

フードの縁がふわふわと揺れて、柔らかな風合いの上着だ。

姿見の鏡を指してメイマナが言う。

「これがお似合いではないでしょうか。ほら、刺繍がカウティス王子の瞳の色のようでしょう?」

カウティスの瞳の色と言われて、セルフィーネは婚約式を想像したことを思い出した。


この胸に、カウティスの瞳の色を置く。

幸せなその想像に、胸が弾む。

薄く頬を染めて頷くセルフィーネを見て、メイマナとハルタは微笑み合う。



靴も、と用意しかけて、メイマナはふと気付いた。

「今、私が服を掛けても擦り抜けませんでしたね。以前はハルミアン殿でないと、服を掛けて差し上げることが出来なかったのに……」

つぶらな瞳を見開くメイマナに、セルフィーネも驚いて目を瞬いた。


そういえば、昨夜カウティスがマントを掛けてくれた時も、ちゃんとこの身に巻くことが出来た。

いつから出来るようになったのだろう。

分からないが、これもまた、新しい変化だ。


「少しずつ、進んでいるのだろうか」

消え入るようなセルフィーネの声が、メイマナの胸を締め付ける。

これ程切に進化を望んでいるのに、とても時間が足りない。


「きっと、そうですわ」

心の内を隠し、メイマナはにこやかに笑んだ。

「そうだわ、手袋も着けてみましょう」

「手袋?」

「はい。カウティス王子の手をしっかり握れます。マントでなく、袖のある上着ですから、腕も組めますわね」

メイマナの提案を聞き、セルフィーネは嬉しそうに微笑んだ。




隣室で着替えを終え、メイマナに続いて出てきたセルフィーネを見て、カウティスは言葉を失った。


ふわふわのフードが付いた長い白の上着を着て、踵の低い布の靴を履いたセルフィーネが、ゆっくりとカウティスの方へ歩いて来る。


肩や胸に、雪の結晶のような模様の青い刺繍が刺されてあって、紫色の滲む水色の髪が、その上をさらさらと揺れている。

ドレスの美しい襞や、滑らかな肌は隠れているのに、女性らしい曲線と動きに見惚れてしまう。


人間の服を着て歩いていると、まるで扉の向こうで進化を遂げたかのようで、カウティスは思わず頰に触れて確かめてしまった。


「これで、外を歩けるだろうか?」

頰に触れたカウティスの手を、手袋をした手で握り、セルフィーネは嬉しそうに言った。

魔力干渉していないのに、こんなにもはっきりと、互いの手の感触が分かる。

カウティスの胸が熱くなった。

「ああ、大丈夫だ。……とても似合ってる」


カウティスの反応を見ていたメイマナが、満足気に頷いてから、二人を急き立てた。

「さあ、行ってらっしゃいませ。時間が勿体ないですわ」

メイマナの笑顔につられ、花が咲くような笑顔でセルフィーネが頷いた。

カウティスは堪らず、セルフィーネの手を握って引く。


「行こう」

二人はそのまま城下を目指した。





西部の修繕中の神殿では、聖職者の控室に下描き図面の一部を広げたハルミアンを、イスターク司教が焦茶色の目をすがめて見下ろしていた。


「何故ここで広げている?」

「現役の聖職者の意見を聞こうと思って」

この部分、と図面を指差してハルミアンが手招きする。

溜め息を一つ吐いて、イスタークが近寄る。

「『自分なら描ける』と豪語したのは誰だ」

「勿論描けるよ。でも、聖職者の意見を入れた方が、より良い物が建つと思わない? どうせなら、最高の聖堂を建てたいでしょ」

同意見だったらしく、イスタークは黙ってハルミアンが指差す図面を手に取った。




「ねえ、どうしてカウティス王子にそんなに突っ掛かるの?」

図面を見ているイスタークの横顔に、ハルミアンは尋ねる。

「『口を出すな』と言っただろう」

「関わってもいいって言ったじゃないか」

「『聖堂建築には』と言ったはず」

ハルミアンが形の良い唇を尖らせる。

「気になって図面がはかどらないから、聖堂建築にも関係あるでしょ」

後ろに控えていた聖騎士エンバーが噴いた。

「失礼しました。……しかし、エルフの御仁の仰る通り、イスターク様は少々カウティス王子に辛辣しんらつなような気がしますが、何故ですか?」

「エンバー」

「申し訳ありません」

イスタークは軽く顔をしかめた。



「……カウティス王子の真っ直ぐで正直なところに、とても好感を持っているよ。しかし、だからこそ、神聖力を得て聖職者となるべき水の精霊を、王子がいつまでも隠し通そうとするのは看過できない」

イスタークは、ハルミアンではなくエンバーに向かって話す。


聖職者になりたくないという者を、指導者として幾人も更生してきたイスタークには、特にそういう思いがあるのだった。

「正直に認めて頂きたかった。そうすれば水の精霊も、消えるようなことにはならなかっただろうに」


今日の夜半には、水の精霊は三国のものとなって、神聖力を与えられた役割を果たすことも出来ないまま消えるのだろう。

意地を張らずに、神殿に据えれば良かったのに。

そうすれば水の精霊は消えずにすみ、ネイクーン王国は大きな神聖力を得たはずだ。


「勿体ないことだ」

イスタークが首を振る。

その物言いに、ハルミアンは眉を寄せた。

「水の精霊はきっと消えないよ。ネイクーン王国の魔術士達も、他の人達もすごく頑張ってる」

ハルミアンが深緑の瞳に力を込めて言う。

「……希望的観測だな。魔術は万能ではないよ、ハルミアン」

「そうだけど……、まだ進化の可能性だって残ってる!」


イスタークは、咄嗟とっさにハルミアンの方を振り向いた。

「進化? 水の精霊が、進化するのか?」

「そうだよ。既に五感の内の四つは手に入れてる。きっと、後少しなのに……」

ハルミアンは悔しさの滲む声で言った。



イスタークは太い眉を寄せる。

考えてみれば、そう思える節はいくつもあった。

精霊とは思えない魔力量。

特定の人間との関わりと、感情表現。

そして何より、精霊であるのに神聖力を持ったこと。



「…………進化を望むなら、なおのこと水の精霊は神殿に据えるべきだ」

「え?」

イスタークはハルミアンと目を合わせる。


「“水の精霊としての役割”を捨てさせてやらなければ、おそらく進化は遂げられない」





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