触れ合う時

湯浴みを終え、くつろいだ服に着替えたカウティスが部屋に戻ると、椅子に腰掛けたセルフィーネが、侍女のユリナと楽しそうに話していた。


アナリナ以外の女性と話して、あんな風に笑っているのは初めて見た。



「随分と楽しそうだな」

カウティスが声を掛けると、ユリナが礼をして離れた。

「カウティスの子供の頃の話を聞いていた。護衛騎士を撒いて、時々厨房でリグムの砂糖漬けを盗み食いしていたらしいな」

セルフィーネが目を細めて笑いながら言うので、カウティスは顔をしかめた。

「ユリナ、今日はもう下がって良いぞ」

「はい、王子」

ユリナは笑いながら礼をする。


「ユリナ、……また今度話を聞かせてくれるか?」

下がろうとするユリナにセルフィーネが声を掛ける。

水の精霊が明後日になったらどうなるか、王城で知らぬ者はいない。

それでもユリナは顔を上げて、穏やかな笑顔で答えた。

「はい、水の精霊様。私で良ければ、いつでもお話し致します」

セルフィーネが嬉しそうに微笑んだのを見て、ユリナは礼をして下がった。



「どうして子供の頃の話なんか……」

カウティスが照れくさそうに鼻を掻く。

「ユリナは、私の知らないカウティスをよく知っているから」

「今の俺は、そなたが一番良く知っている」

微笑んでいるセルフィーネの頬に、カウティスは手を伸ばす。

「きっと、これからもそうだ」

そう言って、ふと、セルフィーネの膝に掛かっているマントが、いつもの藍色の物でなく、今日身に着けていた濃紺のマントだと気付いた。


「今までのマントは?」

「汚れているからと、ユリナが洗濯室に持って行ってしまった。代わりにこちらを渡してもらった」

セルフィーネは嬉しげに膝上のマントを持ち上げ、匂いを嗅ぐと、ふふと笑う。

「カウティスの匂いだ」

カウティスはマントを引っ張って下ろさせ、屈んで口付ける。


「……だから、本人がいるだろうって」

顔を離すと、セルフィーネの頬がさあっと色付く。

それがまた、カウティスの胸を突き上げて、堪らず抱きしめた。



「今夜も、抱きしめて寝てくれるか?」

「……ああ」

耳元で言われて、衝動をぐっと堪えながら、カウティスは濃紺のマントをセルフィーネの身体に掛けようとした。

しかし、セルフィーネがその手を止める。


「直接触れて欲しい」

「セルフィーネ、でも……」

口を開いたカウティスの目に、薄紫と水色の魔力の層が見え始めた。

「カウティスに触れて欲しい。もっと。……まだ、実体はないけれど……駄目だろうか」

俯きかけたセルフィーネを、カウティスはふわりと横抱きに抱き上げた。

「駄目なわけがない」




抱き上げて歩く僅かな間、カウティスの胸に額をこするようにして添う彼女が愛おしくて、一度腕に力を込めた。


殆ど重みの感じないセルフィーネの身体を、カウティスは柔らかな寝台の上にそっと下ろす。

細い絹糸の髪が、白いシーツの上にサラリと流れた。


触れる頬は柔らかく滑らかで、カウティスの指が触れるところから徐々に濃い桃色に染まっていく。

紫水晶の瞳は、カウティスの瞳を真っ直ぐに見つめていた。

カウティスは、セルフィーネの淡紅色の薄い唇に、軽く口付ける。


「……カウティスが子供の頃から、ずっと好きだった」

囁くような小声で、セルフィーネが言う。

「会えなかった十三年も……再会しても、ずっと」

見つめる瞳に熱が籠もり、潤んでいく。

セルフィーネは胸の中心を両手で押さえた。


「でも……、こんなに胸が苦しい気持ちは知らなかった」


彼女が胸を押さえている手を、カウティスは両手で包む。

僅かに震えているその手を持ち上げて、頬を寄せた。


「……好きだよ、セルフィーネ。そなたのことが、とても好きだ」

「私も、カウティスが大好きだ」

泣きそうな顔で微笑んだセルフィーネに、カウティスは、再び口付ける。


……深く、ゆっくりと、二人は重なっていく。






「……お二人は、一体どんな夜を過ごされているのでしょうか」

日付が変わる少し前、天蓋付きの寝台の上で、心配気な呟きを漏らしたのはメイマナ王女だ。


明日の夜半、日付が変われば、水の精霊の契約更新が成される。

カウティス王子と水の精霊が二人で朝まで過ごせるのは、もう今夜だけなのだ。



「……貴女は、この状況でも水の精霊の心配をしているのか」

寝台の上で、メイマナを腕枕していたエルノートは、軽く苦笑いした。

胸に添っているメイマナの丸みを帯びた素肌の肩を、彼は固い指でゆっくりと撫でる。

「そっ、それはその、……私ばかりが幸せな夜を過ごしていて、何だか……」

メイマナはドキドキしながら言葉を探す。

「……水の精霊様の涙を、思い出してしまったのです」 


エルノートはあの日から、言葉通り足繁く通うことにしたらしく、一日置きにメイマナの部屋を訪れた。

侍女ハルタの努力の甲斐あって、二夜目の訪問で、磨き上げられた全身でエルノートの愛情を受け止め、メイマナはこの上なく幸せな気持ちになった。


そして、こんな時に自分だけとても幸せで、申し訳ないような気持ちが湧いてしまったのだ。



素肌の背中を強く抱き寄せられ、メイマナはドキリとして、すぐ側にあるエルノートの顔を見上げた。

彼は、分かれた前髪の間から見えるメイマナの丸い額に口付ける。

「私達もそうであるように、あの二人には、あの二人だけの関係がある。きっと、どのように在っても、二人一緒ならばそこに幸せはあるだろう」

エルノートはメイマナの錆茶色の髪を撫でて言う。

薄青の瞳は優しくも力強い。


「それに、これからも、あの二人の幸せな時間を失くすつもりはない」

メイマナは頷く。

「はい。母国にも、もう書簡は届いたはずです」

エルノートとメイマナは、ネイクーン王国とフルデルデ王国、両国の魔術士館の通信手段を統一し、連携を強化しようとしていた。



想い合うことの強さを教えてくれた二人を、引き離したくないという思いがエルノートにはあった。

そして、ネイクーン王国と水の精霊の関係を軽んじた、竜人族とザクバラ国への静かな怒りも。


「決して、思うようにはさせない」

エルノートは低く呟く。

胸に添い、彼の手をぎゅっと握るメイマナを、エルノートは愛おしく胸の上に抱き上げた。





風の季節後期月。

―――最終日。


日の出の鐘が鳴るまでに、まだ一刻程ある。

東の空に浮かぶ丸い月は、まだ青白い光を弱めていない。

セルフィーネは小さな庭園の泉に立って、冴え冴えと輝く月光を浴びながら、傷一つない新しい長剣を振る、カウティスを見守っていた。




セルフィーネとカウティスの魔力干渉は、長くは保たなかった。


寝台の上で、カウティスは熱を持って優しくセルフィーネに触れた。

吸い付くようでいて滑らかな白い肌が、カウティスの骨ばった指が触れるところから、徐々に熱を発していく。

抑えようと思っても、カウティスに触れられればセルフィーネに熱を抑える術はなく、肌は濃い桃色から赤に変わっていく。

次第に全身に赤味が広がり、熱さに耐えきれず、魔力干渉は解けた。


「…………ごめんなさい……」

直に触れることの出来なくなった胸元から、ゆっくり顔を離したカウティスに、涙目でセルフィーネは言った。

その胸は真っ赤に染まり、早い呼吸に合わせて上下する。

「なぜ謝る? そなたが、こんな風に反応してくれて、俺は物凄く嬉しい」


カウティスは寝台から降りて、濃紺のマントを取って来ると、上半身を起こしたセルフィーネの肩に掛ける。

マント越しに抱きしめ、まだ呼吸の整わないセルフィーネの背を、優しく撫でた。


セルフィーネが熱を持った瞳で見上げた。

「…………もし、私が実体を手に入れたら、また、こうして触れてくれるか?」

「当たり前だ。『もう離して』と言うまで、離してやらないからな」

カウティスが真面目な顔で言えば、ふふ、とセルフィーネが腕の中で小さく身体を揺らして笑う。

「『離して』なんて、きっと言わない」

「それなら、一生離れずにいないといけないな」

それは素敵だ、と彼女が嬉しそうに言うので、カウティスは、まだ上気している頬に軽い口付けをした。


そしてそのまま、早朝鍛練に起きる時間まで、二人は寝台で抱き合って眠った。





月の光が力をなくし、墨のように真っ暗だった空に薄闇が滲み始める。

もうすぐ、日の出の鐘が鳴るだろう。


進化をすることが出来ても、出来なくても、今日が、セルフィーネがネイクーン王国の水の精霊として過ごす、最後の一日になる。



今日という日を、カウティスの早朝鍛練を見守って始めたいと、セルフィーネは言った。

カウティスと出会ってから今まで、この場所でのこの時間は、ずっと特別だった。


最後の一振りを終え、袖で汗をぬぐうカウティスを見て、セルフィーネが口を開く。

「これからも、『そなたのことをいつも感じているので、鍛練を怠らないように』」

子供の頃に受けていた、体術指導の先生のような物言いに、カウティスが顔をしかめた。

「その台詞、子供の頃に聞いた気がするぞ」

「よく覚えているな」

セルフィーネが楽しそうに笑う。


昨日から、セルフィーネはよく笑った。

今までも、縛るものがなければ、きっと彼女はもっともっと感情豊かに日々を過ごしていたのだろう。



カウティスは泉に近寄って、微笑むセルフィーネの頰に手を伸ばす。


「今日は何をして過ごす?」

「…………一緒に、城下を歩きたい」

「城下を?」



日の出の鐘が鳴り、東の空で、月が太陽に替わった。




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