閉じた心
カウティス達はイサイ村へ行き、村長や作業員達と話をして、その後堤防建造現場へ向かった。
堤防建造作業は、ネイクーン王国側は予定していたよりもやや早く進んでいる。
新しく取り入れた作業工程も、今の所は上手くいっているようだ。
ザクバラ国側は、一時建造が止まっていた為に、こちら側よりは遅れているが、作業が再開してからは順調だ。
政変後、一応貴族が代表として就いているが、姿を見せたのはネイクーン側と顔合わせをした一度だけだ。
現場は職人頭が仕切っているらしいが、予定通り進んで問題がないなら、こちらが口を出すことではない。
年が明けて、確認作業の為の話し合いが予定されているので、その時にはまた姿を見せるだろう。
カウティスが現場で警備兵と話していると、ラードが声を掛けた。
「王子、イスターク猊下です」
思わぬところでその名を聞き、ラードが示した方に、若干険のある視線を向けてしまう。
現場から少し離れた街道に、イスタークと聖騎士エンバーが馬を止めて、こちらを見ている。
気付いてしまったからには無視することも出来ず、カウティスは姿勢を正して立礼した。
イスタークとエンバーは、馬を降り、街道を外れてこちらに歩いて来る。
立ち去ってくれれば良かったのに、と思ったところで、横でラードが咳払いした。
「気持ちが顔に出てますよ」
言われて、カウティスは渋々表情を改めた。
「街の神殿へ向かう途中だったのですが、カウティス王子をお見かけしたので、ご挨拶をと思いまして」
現場近くまで来たイスタークが、立礼してのんびりと言う。
「それから、昨日は失礼な事を申し上げてしまったので、謝罪を。どうも歳を取るとひねくれた物言いが多くなるようで、エンバーに叱られました。大変申し訳なかった」
「いいえ。私こそ、不躾で失礼な物言いでした。申し訳ありません」
歳のせいではなく、イスターク自身の性格なのではないかと思いながら、カウティスも謝罪した。
「水の精霊を奪われると申し上げたのは、何もカウティス王子を不快にしたかった訳ではないのです。ただ、そういう可能性があるということを言いたかっただけで」
「……猊下、もう結構ですから、それ以上は……」
笑顔で話を続けようとするイスタークと、それ以上セルフィーネのことについて話したくなかった。
カウティスが立礼して終わらせようとすると、イスタークの間延びした声が降ってきた。
「奪われる前に聖職者として登録すれば、少なくとも、水の精霊を他国にはやらなくてすみますよ」
カウティスは思わず顔を上げた。
強く眉を寄せ、
「……水の精霊は、聖職者ではありません」
「体裁としては、ですね。勿論、私はオルセールス神聖王国の人間ですから、管理官の判断に従います。ですが、自分の目で見たものを信じています。水の精霊には、神聖力がある」
カウティスは小さく溜め息をつく。
「平行線のようです、猊下」
「そうですね。でも、覚えておいて下さい、カウティス王子。契約更新が成される前に聖職者として登録すれば、水の精霊の所属はオルセールス神聖王国に変わる。それ以後は、例え竜人族でも契約魔法に手を加えることは出来ません」
イスタークは笑顔を崩さないで続ける。
「ネイクーン王国から出られない水の精霊は、聖職者として登録されたとしても、本国や他国へは移せません。つまり、今後ずっと、ネイクーン王国にいられるということですよ」
カウティスは強く拳を握った。
「……それは、彼女の枷を増やすことになるだけなのではないでしょうか」
「枷?」
イスタークは首を捻る。
「我が国にいられるといっても、結局は聖職者という枷がはめられ、新たな役割を強いられるのでは? そこには彼女の気持ちなど、何も考慮されていないではないですか」
怒りを含んだカウティスの言葉に、イスタークは呆れたように太い眉を上げた。
「……王子は、水の精霊を“掛け替えのない者”と仰る割には、何が何でも、他を犠牲にしてでも、自分の側に置いておくという気概はないのですね」
「……何だと?」
気色ばんだカウティスを、ラードが止める。
同時にエンバーもイスタークを
「イスターク様、言い過ぎです」
だがイスタークは引かない。
「誰でも皆、何かしらの役割を持ち、制限の中で生きているものではないですか? それがどのようなものかは、人それぞれというだけのこと。今の状況で水の精霊の気持ちなど考慮していれば、そんなものは関係ないと思う者に、あっさり奪われて消されますよ」
「っ!」
「王子!」「イスターク様!」
ラードとエンバーが、同時に二人の間に入った。
ちょうどその時、背を向けていた現場の作業員達が声を上げるのが耳に入って、カウティスは振り向く。
造りかけの堤防の向こうに、荒れるベリウム川の水面が見えた。
「川が!?」
水の季節の大雨の後のように、突然川面がうねり出し、川底の砂利土を巻き込んで、透明だった水が泥水に変わっていく。
「急に何だ!? 上流で何かあったのか!?」
「水位が上がれば不味いですよ! 建造途中部分が決壊してしまうかもしれません」
ラードが険しい声を出す。
「それよりも、まず避難させろ! 猊下もここを離れて下さい!」
カウティスが急いで現場に指示を飛ばした。
「王子、水の精霊様が!」
マルクが空を見て声を上げる。
「セルフィーネがどうした!?」
ベリウム川の急変から、セルフィーネに何かあったのではと頭を
マルクは苦し気に顔を歪めて、絞り出すように言った。
「……今、水の精霊様が目を閉じられました」
王城のメイマナの居室では、ネイクーン王国の国史を開いていたメイマナが、ふうと息を吐いて伸びをした。
「随分と熱心ですね、メイマナ様」
侍女のハルタが温かいお茶を差し出した。
「王妃となるのですもの、国史も頭に入れなければ。……それに、水の精霊様がどのように今のようになられたのか、少しでも知りたくて」
メイマナがお茶を一口飲んで言った。
「水の精霊、“様”ですか?」
いつの間にかメイマナも、ネイクーン王国の水の精霊に“様”をつけて呼ぶのが定着しているようで、ハルタはネイクーン王国の水の精霊とはどういうものなのかと目を瞬いた。
「メイマナ様! 大変でございます!」
突然、別の侍女が慌てて駆け込んで来た。
「まあ、どうしたの?」
行儀が悪いとハルタに睨まれながらも、侍女が落ち着かないまま言った。
「……今夜、日の入りの鐘半に、王太子殿下がこちらにお越しになると、先触れがございました」
「こ、今夜?」
声の裏返ったメイマナが、驚いてカップを置く。
普段、所作の美しいメイマナには珍しく、カチャンと大きな音が鳴った。
二人は婚約中で、婚姻が成されていないので、共寝の部屋はまだない。
「殿下の侍従からは、お茶をするだけだと言付けされましたが……」
侍女の言葉に、メイマナはほっと息を吐いた。
「ああ、お茶のお誘いなのね」
一瞬ドキリとした自分が恥ずかしく、ふふと笑ってハルタを見上げ、その形相にギョッとする。
ハルタは今から戦いに行くかのような、気合の入った表情で腕を
「こうしてはおられませんわ、メイマナ様! 早速湯浴みの準備を! あなた達は香油と寝間着の準備を。それから、夕食は自室で摂られると伝えて」
「ハ、ハルタ!? 何を言っているの、王太子様はお茶をしに来られるのですよ?」
ハルタはキラリと目を光らせて、メイマナを見た。
「とんでもございません! 殿方がわざわざ夜を選んで婚約者の部屋を訪れるのですよ! 言葉通りに受け取ってはいけません!」
「え、ええ~!? で、でもハルタ、もし本当にお茶だけだったら……?」
その気になって準備しているのに、向こうはお茶だけのつもりだったら、物凄く恥ずかしい事にならないだろうか。
……しかも、まだ婚約中なのに。
「何を仰るのですか! 全く準備していないのに事に至ったらどうなさるのです!? 初めての共寝は、一番お美しいメイマナ様をお見せしなければっ!」
「とっ、共寝!」
一気に真っ赤になったメイマナを見ても、ハルタの勢いは収まらない。
そうして、異様に燃えているハルタの勢いに負け、メイマナは言われるがままにピカピカに磨かれたのだった。
日の入りの鐘半。
普段通りの詰襟姿でメイマナの居室を訪れたエルノートが、明らかに構えて、ガチガチに緊張しているメイマナを見て、止まった。
お茶だけだと伝えなかったのか、と侍従に耳打ちするのを見て、メイマナは顔から火が出るかと思った。
見兼ねたエルノートが小さく息を吐く。
「大丈夫だ。襲ったりしないから」
そう言って、
あの夜に自分が言ったことだと気付いて、メイマナはふふと笑った。
笑ったら、少し緊張が解けた。
「あの夜、メイマナが私の部屋を訪れたことで、噂が立ってしまったようだ。……すまない」
ハルタがお茶を入れているのを見ていたメイマナに、隣に座ったエルノートが言った。
婚約中の王女が、はしたなくも夜半に王太子の部屋に忍んで行ったと、王城内で噂になっていた。
今日メイマナは、王妃教育の場でマレリィに
「貴女のことだ。私の為に、理由を言わなかったのだろう?」
「婚約を急いだ厚かましい王女なのですから、少々噂がされても平気ですわ。……もしかして、それでこちらへお越しに?」
メイマナがつぶらな瞳を瞬けば、エルノートは
「私がこちらに足繁く通えば、噂は上塗りされるだろうから」
今度は自分が噂されるというのに、そんな風に考えてくれたとは。
メイマナは、くすぐったいような嬉しさと共に、先走って準備万端に整えた自分が恥ずかしくなった。
それで、話題をわざと逸らした。
「そういえば、あの夜、水の精霊様が私の前で泣かれたのです」
「泣いた?」
エルノートが驚いて聞き返した。
「はい。『嫌だ』と仰って、泣いておられました」
あの悲痛な泣き声を思い出し、メイマナは眉を寄せる。
「……私の前では『協約に従う』としか言わなかったのに、メイマナの前では泣いたのか」
エルノートが小さく溜め息をつく。
「きっと、言えなかったのですわ。まだ正式な王族でない私の前だから、吐き出せたのかもしれません。……何とか、あのお心を軽くして差し上げられないものでしょうか」
膝の上でキツく握られたメイマナの手を、エルノートが優しく叩く。
「あの者の心を軽くするのは、カウティスにしか出来ないだろう。……だが、負担を減らしてやることは我々にも出来る」
エルノートはメイマナの肩を抱く。
「我々に出来ることが、きっとまだある」
メイマナは彼の肩に頭を預けて、小さく頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます