抱き合って

カウティスが抱きしめても、セルフィーネはもう逃げないで腕の中に収まっている。

カウティスは胸が熱くなった。


細い絹糸の髪に、頬擦りするように鼻先を埋め、サラサラと滑る感触を確かめる。

首筋から立ち上る、朝露のような蒼い香りをいっぱいに吸い込み、熱い息を吐いた。

「好きだ、セルフィーネ」


ピクリと身体を震わせるセルフィーネに気付き、カウティスは腕の力を緩めた。

セルフィーネの肌は濃い桃色に色付き、見上げる紫水晶の瞳はとろけるように熱を帯びている。


「……私も、カウティスが好きだ……」

今にも泣きそうな声で言うセルフィーネの唇に、指を添わせた。

熱い想いを、同じような熱を持って返してくれることに、胸が震える。



まるで、初めての口付けのように、セルフィーネの震える唇に、カウティスは緊張してそっと唇を落とす。

触れるだけの、優しい口付け。



唐突に魔力干渉が途切れて、カウティスは驚いて目を開ける。

セルフィーネは、カウティスの手をすり抜けて、へなへなとその場に力なくしゃがみこんだ。

「セルフィーネ! 大丈夫か!?」

カウティスもしゃがんで、彼女の顔を覗き込む。


耳も胸元も、火照るように濃い桃色に染めて、セルフィーネは上目にカウティスを見た。

「……口付けは、こんなに熱いものだったか?」

「え?」

「驚いて魔力干渉が解けてしまった……」

恥ずかしそうに言って顔を覆うセルフィーネに、思わずカウティスは笑った。

藍色のマントを払い、セルフィーネに掛けると、その上から抱きしめた。

「可愛すぎるよ、セルフィーネ」



顔を覆ったまま、セルフィーネが小さな声で言った。

「逃げて……ごめんなさい」

いいのだと返しながら、もう二度と逃げないで欲しいと願って、カウティスは腕に力を込めた。






「どれも、この地には似合わないな。これなんか、祭壇の設置構成も理解してないよ」

ハルミアンは三つの聖堂設計図案を見て、顔をしかめる。

「まさかと思うけど、この三案から選ぼうとしてるわけじゃないよね」

先程までと違い、研究者の顔になって、ハルミアンは図面を指で叩いた。



ハルミアンはイスタークに連れられて、神殿内にある、聖職者達の控室に来ていた。

ネイクーン王国の聖堂建築の為に描かれた設計図案を見せられ、意見を求められたのだ。


「他に適当な図面を引ける者がいなければ、この中のどれかになるだろうな」

イスタークは肩を竦める。


何せ本国は、皇帝が入れ替わる事になったこの時期に、さっさと聖堂建築に漕ぎ着けたいのだ。

皇国の貴族院が口を出してきた事が全くもって気に入らない上層部は、この聖堂建築で、世界中にオルセールス神聖王国の存在感を見せつけたいはずなのだ。


イスタークの言葉を聞いて、信じられないというようにハルミアンは首を振る。

「歴史的な建造物になるんだよ! そんないい加減な決め方じゃ駄目だよ!」

「特殊建造物なのだから、図面を引ける者がいないのは仕方ないだろう。既存の聖堂の図面が残っているだけマシだ」

イスタークは、わざとらしく溜め息をついて見せた。


「僕が引く! 僕なら描ける!」

思わず叫んだハルミアンに、イスタークはこっそりとほくそ笑む。

「そうか。では、君が引く図面も選考に入れてあげるから、出来るだけ急いで用意してくれ」

イスタークはそう言って、三つの図面を片付け始める。


ハルミアンはいぶかしげに目線を上げた。

「『関わるな』じゃなかったの?」

「『私の人生に口を出すな』と言ったんだ」

図面を几帳面に揃えて筒状に丸めながら、イスタークは答える。

「……関わってもいいってこと?」

「聖堂建築にはな」

ハルミアンはパッと顔を輝かせた。

「じゃあ、許してくれるの?」

「……許す? 何をだ?」

イスタークは焦茶色の大きな瞳を細めた。

「君が国を出る前、僕が聖職者を理解していなかった事だよ。……知っていたら、引き止めたのに。あの時の事を、謝りたかったんだ」



暫く沈黙があった。



イスタークは眉根を寄せ、溜め息をつく。

「数日観察したからといって、聖職者の何たるかが君に理解わかるのか。それは随分と軽く見られたものだな」

「そんなつもりじゃないよ。ただ、少しでも知ってから、謝りたくて……」

ハルミアンは急いで言うが、イスタークは取り付く島もなく、丸めた図面を抱え上げる。


「カウティス王子に感化されたのか? だいたい、君に謝ってもらう必要はない。あの時、君が聖職者というものを理解していても、例え引き止めたのだとしても、結果は何も変わらなかったよ」

「でも、でも僕は……」

イスタークはハルミアンを一瞥いちべつする。

「どちらにしろ私は魔術士を辞め、国を出てオルセールス神聖王国の聖職者となった。それが変わらぬ事実で、その事を微塵みじんも後悔していない」

ハルミアンは強く眉を寄せた。


イスタークはそのまま部屋を出る。

入口で待機していたエンバーが、ハルミアンに一礼してその後に続いた。


ハルミアンはその背中を、ただ見つめるだけだった。






日の入りの鐘から一刻程過ぎて、カウティスは、ラードとマルクと共に、広間で明日からの予定の確認をしていた。

明日はイサイ村へ向かい、堤防建造の現場を視察する。


年末年始は作業現場も休みになり、少数を警備に残す以外は、作業員達の殆どが自分達の家に戻って過ごす。

カウティス達も、明後日拠点を出て帰城し、年末年始の祭事の間は王城に留まる予定だ。



以前のように、セルフィーネは少し離れてカウティス達を眺めていた。

時々カウティスが顔を上げると、目があって軽く微笑む。

それだけの事にカウティスの胸は温かくなって、それと同時に、どうしょうもなく彼女を胸に抱きたくて、じっとしていられない気持ちになった。


「王子、後は大丈夫ですから、今夜は休んで下さい」

カウティスの前に置かれてある書類束をラードが取り上げた。

顔を上げれば、マルクも笑って頷く。

「後は片付けておきますから」

「しかし……」

カウティスが口を開くと、ラードが器用に片眉を上げた。

「あんまりソワソワされると、こっちが落ち着かないんですよ、王子」

「うっ、…………すまない」

カウティスは、耳朶を赤くして素直に謝ると、立ち上がってセルフィーネに手を差し出す。


「セルフィーネ、おいで」

セルフィーネは頬を染めてふわりと笑むと、そっとカウティスの手を取った。




扉の向こうに消える二人の後ろ姿を見て、マルクは小さく息を吐いた。

「……本当に、どうにもならないんでしょうか」

「竜人族との契約魔法は、魔術士達お前達に手が出せないなら、人間に出来ることはない。……水の精霊様が受け入れておられる限り、どうしようもないよな」

そう言うラードも、どこか悔しそうに見える。


恥じらうように手を握って歩く水の精霊は、恋するただの乙女のようで、三国の水源を支える強い魔力を持つ存在には見えない。

「確かに強い魔力を持っているけれど、人格は一人の女性なのに……」

マルクは唇を噛む。


出来ることは何でもやっている。

特に魔術士達は、水の精霊の魔力を目に見て感じるだけに、見えない者に比べて焦りも大きい。

水の精霊を支える取り組みだけでなく、魔法契約自体を、どうにか出来ないものかと考える者もいるが、今のところ手掛かりはない。


「後、六日……」

マルクは呟いた。





部屋に入って、カウティスがマントを壁に掛けている間、セルフィーネは黙って立っていた。

詰襟を緩め、首元から銀の細い鎖を引くのを、静かに見ている。


「お願いがある」

ガラスの小瓶を寝台の枕元に置いたと同時に、セルフィーネが口を開いた。

「お願い? 何だ?」

思い詰めたような顔をしたセルフィーネの頰に、カウティスは手を伸ばした。


「抱きしめて眠って欲しい」


カウティスの指がピクリと動いたのを感じて、セルフィーネは目を伏せる。

「……無理な願いだろうか」

「無理じゃない。一緒に眠ろう」

カウティスはそう言って、マント越しにセルフィーネを抱きしめた。


彼女が文字通り、ただ抱き合って眠りたいのは分かっている。

それでも、触れ合うことの熱さを知ったセルフィーネがそう望んでいるなら、叶えてやりたかった。




二人は一緒に寝台に横になった。


カウティスは、マントを巻いたままのセルフィーネを抱きしめる。

お互いの額を近付けて、囁くような小声で色々な話をした。


時折、嬉しそうに微笑む彼女に、カウティスは胸を突かれて口付けする。

とろけそうな瞳で頬を染めるのを見て、それ以上の衝動を抑えるのには苦労したが、カウティスの胸に、額を寄せて顔を隠す仕草が愛おしく、不思議と満たされた気持ちになった。


目が冴えて、なかなか眠ることは出来なかった。

しかし、日付が変わって暫くした頃には、セルフィーネの囁く声が、ゆっくりとカウティスの意識を眠りに導いていった。




瞼を閉じ、心地良い寝息を立てるカウティスの顔を、セルフィーネは間近で見つめる。

もう意識はないのに、カウティスの腕は彼女の身体を抱いたまま離さなかった。


想い合う人間の男女のように、抱き合って眠る。

その願いが叶って嬉しかった。


これからも、ずっとカウティスと一緒にいたい。

こうして、毎夜抱き合って眠りたい。


そう思っても、困らせるだけなのは分かっているので、口には出来なかった。

ただ、あと数日をこうして過ごすことが出来たなら、きっとを潔く迎えられるはずだ。



セルフィーネは自分に言い聞かせるように、カウティスの胸にそっと額を寄せた。





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