残された時間に

意見交換

風の季節後期月、五週四日。



西部国境地帯の修繕中の神殿では、机の上に聖堂設計図案を広げて、難しい顔をしているイスターク司教がいる。


「何か問題でもあるのですか?」

聖騎士エンバーが、横から図面を覗き込む。

「大きな問題はないがね、どうも、どれもしっくりこないんだ」

広げられた設計図案は三つある。

世界に二つ存在する、聖堂の古い図面を元に考えられた物。

神殿の建築に関わっている建築士が考えた物。

ネイクーン王国の建築士が考えた物の三つだ。


「既存の聖堂と似た造りだとここの景観に合わないし、かと言って、聖堂の造りをよく知らない人間が設計した物は、神聖さに欠ける」

イスタークは、白い祭服の腕を組んで唸る。

設計図の見方もよく分からないエンバーには、どれも細かくて、難しい事が描かれてあるとしか分からない。


「イスターク様が設計なさってはどうです? 建築物には、お詳しいのではなかったですか?」

「私が詳しいのは、主に建具だよ。建物の設計を一から行うのは難しいね」

何がどう違うのか分からないエンバーは、そうですかとしか答えられない。


「古い聖堂の造りも理解して、この土地に相応しい新しい聖堂の設計が出来、図面を引ける者……」

イスタークが軽く眉を上げる。

「……一人いるな」

呟くように言った時、神官がカウティスの訪問を告げた。





カウティスは、ラードとハルミアンと共に修繕中の神殿を訪れた。

イスタークと聖堂建築に関しての意見交換をする為だ。

神殿に常駐している神官も、そこに加わる。



ネイクーン王国としては、西部復興の妨げにならないことを条件に、聖堂建築をゆっくり進めたい考えだ。

建築に関わる人材を西部から奪わないこと、建築する土地が、堤防建造予定区域に被らないこと、実際に建築工程に入る時期を出来るだけ遅くすることなど、希望を説明する。


イスタークは、カウティスの出した意見におおむね同意したが、建築の時期を遅らせる事だけは良しとしなかった。




「ネイクーン王国の西部は、神殿が足りません。それ故に、聖職者の人数も、他の地域に比べて圧倒的に少ない。西部の民の命や健康を考えるなら、聖堂建築は出来る限り早い方が良いと考えます」

イスタークはそう言って、神殿と聖職者の数を地域比較した資料を提示した。


“民の命や健康”と言われれば、カウティスは言葉に詰まる。


そもそも西部は、ザクバラ国との紛争で荒れてから、街や村が多く失われた為に、人口が激減している。

停戦となってからも、ここより南の、国の直轄地になった辺りは閑散としたままだ。

カウティスとしては、堤防建造が進めば、徐々にあの地域にも町や村を増やしていきたいと考えているが、手を付けるのはまだまだ先だろう。


「過去何度か、西部に神殿を建てたいと、ネイクーン国王陛下から本国に要請がありましたが、許可されませんでした。……人口が少なければ、神殿の収益に繋がらないからです」

イスタークは苦い表情で最後の言葉を吐いた。

司教が口にした赤裸々な事実に、神官は焦る。

後ろに立つエンバーを見るが、彼は平然としている。

「復興が進まなければ、人は増えない。人が増えなければ、今後も本国は、神殿建築の許可は出さないでしょう。それでは、いつまで経っても西部の人々は、神聖力の恩恵にあずかれません」


カウティスも、王がオルセールス神聖王国に、何度も西部に神殿をと願い出ていた事を知っている。

神殿があり、聖職者がいることは、民の命と健康に繋がるだけでなく、年間を通しての神祭事や冠婚葬祭などの節目の行事などにも、深く関係してくる。


「本国は、聖堂建築については強引にでも進めたいのです。ネイクーン王国は、それを利用するつもりで受け入れるべきと考えます」

カウティスはいぶかしげに目を細めた。

「利用するとは?」

「利点を活かし、オルセールス神聖王国の名を利用なさい。敢えて急いで従うようにして、国境地帯を神聖王国の庇護下に置くのです。そうすれば、この地が再び紛争にさらされることはないと、世界中に周知されます」

当然のように“利用”と言ったイスタークに、神官はぎょっとする。

しかし、イスタークは平然としている。


「安全が保証されれば、人も集まりやすくなり、復興も進むでしょう。聖堂建築が開始されれば、聖職者が多く巡教に訪れるので、神殿がなくても巡教者で神祭事が行なえます。……何より、この地で亡くなった方々と、失われた領地に埋没した墓地での供養を、持続的に行なえます」

カウティスとラードは息を呑んだ。

この国の人間でないイスタークが、神聖王国の損益に関係のない慰霊について、既に考えていたことに驚いた。



『 猊下は、どこの国へ出向かれても、そこに住まう人々の為にのみ、神聖力を使ってこられました。神聖力はその為に与えられ、聖職者は人々の日常の為に在るべきだと考えておられるからです 』


この前エンバーが、イスタークをそう評したことを思い出した。

少なくとも、イスタークは聖職者の本分をぶれることなく保っている。


カウティスは、確かに自分には偏見があったのだと思い知らされ、口の中が苦くなった。





「今日は、水の精霊は一緒でないのですか?」

意見交換を終えて、神殿を出ようとするカウティスに、イスタークが声を掛けた。


「いつも一緒というわけではありませんから」

答えるカウティスを見て、イスタークは不思議そうにする。

「カウティス王子は、年明けはもうすぐだというのに、あまり焦っておられないのですね。“掛け替えのない者”だと仰っていたので、水の精霊を奪われて、さぞ嘆いておられるのかと思っていましたが」

カウティスは眉根をキツく寄せた。

「水の精霊は奪われておりません」

「ああ、今はそうですね。しかし、三国共有など、続くでしょうか? 国境という縛りがなくなれば、奪い取ろうとする者も出てくると思いますが」


カウティスの胸の奥にしまわれていた、苛立ちや不安が首をもたげる。

それでも、歯を食いしばり、耐えた。

「聖職者としての猊下には、尊敬の念を持ちます。……しかし! その物言いは、不快だ!」


その一言に憤りを込めて、カウティスは踵を返した。

ラードが僅かに顔を顰めたが、立礼してカウティスを追った。




「イスターク様……、あれは少し意地が悪いのでは?」

エンバーが気の毒そうに、去っていくカウティスの後ろ姿を見守る。 

「そうだね。もう少し話したかったのに、怒らせてしまった」

イスタークは楽し気に笑っている。

「私は王子の真っ直ぐなところは好きだが、嫌われてしまったかな」



ふと、カウティスについて行かず、少し離れて立っているハルミアンが目についた。

彼は使い魔と同じ様に、真剣にイスタークを見ている。

イスタークは、はあと溜め息をついた。

「いい加減、何か言いたいことがあるなら言ったらどうだ」


ハルミアンは、暫く口を開けたり閉めたりしていたが、思い切ったように声を出した。

「ここ何日か見ていたけど、聖職者って、こんなに身を粉にして働くのかって驚いたよ。……でも、見ていて分かった。君は、嫌々務めている訳じゃないんだね」

ハルミアンは白い頬をカリカリと指で掻く。

「……良かったよ」


イスタークはポカンとした。

「そんなことを確認するために、毎日見ていたのか?」

「聖職者がどんなものかも分からないままじゃ、話もしてもらえないと思ったからさ」

居心地悪そうに身体を揺らし、僅かに口を尖らせるハルミアンを見て、イスタークは溜め息をつきながら軽く首を振った。


イスタークはそのまま踵を返す。

肩を落とすハルミアンに、背中越しに声が掛けられた。

「ハルミアン、君に見せたいものがある。付き合ってくれ」

ハルミアンは深緑の瞳を輝かせ、後に続いた。





馬上でラードに小言を聞かされながら、カウティスが苦虫を噛み潰したような顔をして拠点に戻ったのは、夕の鐘が鳴る頃だった。


門を入ってすぐ、マルクが待っていた。

何事かあったかと思ったカウティスに、セルフィーネが戻っていることを伝える。

カウティスは馬を任せて、建物まで走った。




セルフィーネは、カウティスの部屋にたたずんで待っていた。


「セルフィーネ、戻ったのか」

息を弾ませてカウティスが駆け寄り、手を伸ばしたが、また逃げてしまうかと思い、すんでのところで止める。

セルフィーネは心細げにその手を見て、自分からそっと、カウティスの胸の前まで寄った。

ようやく側に来てくれたことにほっとして、カウティスは藍色のマントごと、彼女を抱きしめた。




「……昼過ぎに、王が国内に入った」

フルブレスカ魔法皇国で、葬送の式典に参席していた王は、明後日王城に戻る予定だ。

「お元気そうか?」

「変わり無い様子だった」

それだけ言ってそっと離れるセルフィーネに、もしかして王の帰国を伝える為だけに戻ったのだろうかと思った。

しかし、セルフィーネは僅かに視線を彷徨さまよわせ、細い声で言う。

「……今夜は、一緒にいても良いか?」

「勿論だ」

カウティスは安堵して微笑んだ。

もう、逃げないで側にいてくれるようで、嬉しかった。



セルフィーネが藍色のマントの間から、そっと白い腕を伸ばした。

細い指先で、壊れ物に触れるように、カウティスの手に触れる。


「……セルフィーネ?」

俯き加減の彼女の顔を覗こうとしたカウティスの目に、美しい魔力の層が見え始めた。

セルフィーネの細い指が、カウティスの固い指先をきゅっと握る。 

カウティスはドキリとした。


「……カウティスに、もっと……触れてみても良いか?」

頬を温かな桃色に染め、セルフィーネがそう呟く。

掻き抱きたくなる衝動を堪え、カウティスは出来るだけ抑えた声を出した。

「ああ」




セルフィーネが白い両腕を伸ばす。

藍色のマントが、彼女の白い足元にパサリと落ちた。


僅かにひんやりとする指先が、おそるおそるカウティスの頬をなぞる。

確かめるように、ゆっくり、ゆっくりと、セルフィーネは指先を動かす。

コクリと鳴らす喉に降り、肩、胸をなぞると、セルフィーネはほっと息を吐いてから言った。


「……カウティスが大好きだ」


もう我慢できず、カウティスは彼女を引き寄せて抱きしめた。




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