偏見

風の季節後期月、四週四日。


一昨日降り始めた雨は、この時期にしては珍しくぐずつき、昨日も降ったり止んだりを繰り返した。

そして深夜の日付が変わる頃、ようやく雲が去って月が顔を出したのだった。




泥濘ぬかるんだ道を駆け、カウティスがラードとハルミアンを連れ、西部のアスクルの町に到着したのは、午前の二の鐘を過ぎた頃だ。


先に修繕中の神殿へ行ってみたのだが、イスターク司教は、巡教中の神官と共にアスクルの町へ行っていると聞かされた。

あちらには神殿はないので、ここまで来れない人の為に、司教自らが出向いているという。


まさか、司教の地位に就いている者が、地方の神殿にいる神官のような真似をしているとは思わなかった。



慰問の時に、人形劇を行っていたアスクルの広場には、日除けのテントが建てられていた。

西部に巡教に来ていたという神官が二人、テントの下で町人を診ている。 


広場の中央には、一部欠けてはいるが、古い石畳がある。

地面が泥濘ぬかるんでいる今日でも集まりやすいが、何故室内で行わないのだろう。

町民が寄り合いなどで集まる為の公共の平屋も、簡易的な造りではあるが完成していたはずだ。


聞けばそこでは今日、合同の結婚式を、イスターク司教が執り行っているという。

カウティスとラードは顔を見合わせる。

司教が式を仕切るなど、高位貴族でもない限り有り得ないことだった。

三人は、そこへ行ってみることにした。




開放された平屋の建物の入口に、子供達が集まっている。

中を覗いてキャッキャとはしゃいでいると、白いローブを纏った、白茶の髪の騎士が出てきた。

聖騎士エンバーだ。

彼は大柄な身体を折ると、人差し指を口元に当て、子供達に笑い掛ける。

子供達はくすくすと笑い合ってから、静かにして仲良く中を覗いた。


腰を伸ばしたエンバーが、カウティスに気付いて立礼する。

カウティスも近付いて一礼した。


「猊下が、結婚式を執り行っていると聞いたのだが」

「ええ。今年に挙げられていなかった、三組の合同結婚式を行っています。ご覧になりますか?」

エンバーが中に視線を向ける。

カウティス達も、子供達に混じって中を覗いた。


それ程広くない室内に長机が置かれ、白い布が掛けられて、簡易的な祭壇を作ってあった。

その前に白い祭服を着たイスタークが立ち、三組の若い男女に金と銀の杯を渡していた。


カウティスは驚いて目を見張る。

イスタークが着ている祭服は、司祭が着る儀式用の物で、兄の婚約式の時に着ていた司教の物ではなかった。

式の手順も、貴族や王族に対して行うものでなく、平民の合同結婚式の手順だ。


金と銀の杯に聖水が注がれ、お互いが一口ずつ口にして交換する。

幸せそうに見つめ合う男女と、神の祝福を祈る司教。

尊く、眩しい瞬間だ。


カウティスは子供達と共に、その眩しい光景に見入っていた。




「カウティス王子は、猊下をどのようにご覧になられていますか?」

エンバーの声に、カウティスは結婚式から意識を戻し、彼の方へ向いた。

「……どのように、とは?」

質問の意味が分からず、カウティスは自然とうかがうような目になるが、エンバーは色素の薄い瞳で、真っ直ぐ見つめ返した。


「僭越ながら、カウティス王子は、水の精霊の神聖力の一件で、猊下に偏った印象をお持ちではないでしょうか」

カウティスは眉根を寄せる。

「私が、偏見で猊下を見ていると言いたいのか?」

「ご不快に思われたならば、謝罪いたします」

エンバーは一度目を伏せる。

「ですが、猊下は決して、名誉や欲の為に動かれる方ではありません。どこの国へ出向かれても、そこに住まう人々の為にのみ神聖力を使ってこられました。神聖力はその為に与えられ、聖職者は人々の日常の為に在るべきだと考えておられるからです」



エンバーは平屋の入口から中を見る。

中ではちょうどイスタークが、神話の一節を説いている。

王城で見たような厳かな雰囲気はなく、分かりやすく噛み砕いた内容で、柔らかな語り口だ。


「この結婚式を見れば、猊下の人となりを、多少なりとも感じて頂けるのではないですか?」

「……確かに、この式だけを見れば、猊下は民に添おうとしていると思える。だが、強引な聖堂建築が、民の心に添っているとは思えない」

カウティスの言葉に険が籠もる。


西部の人々がまず望んでいるのは、復興だ。


「強引に進めたいのは本国です。むしろ猊下は、聖職者の数を減らしたり、ネイクーン王族の面子を潰してはならないと、聖王陛下に進言なさいました」

カウティスは困惑し、眉間のシワが深くなる。

ネイクーンに聖堂を建てようと、強引な動きを見せていたのは、イスタークだったはずだ。


同じ考えに至ったのか、ラードが隣で口を開いた。

「しかし、西部に大規模な聖堂が建つとネイクーンの民に噂を流したのは、イスターク猊下ではありませんか」

エンバーは痛い顔をする。

「……それを行ったのは、管理官の確認の際に同行していた、聖騎士の二人です。謁見の間で水の精霊が猊下に水を掛けた事で、猊下を侮辱したと憤り、先走りました。猊下はそれをお怒りになり、彼等の専属騎士の位を剥奪されました」

それで今回は、聖騎士がエンバー一人であったというわけだ。


エンバーは、不思議そうにこちらを見る子供達の前で、姿勢を正す。

「私は……いえ、私だけでなく多くの聖職者達が、猊下こそが神々の使徒として、オルセールス神聖王国を率いるに相応しい方だと思っています。どうか、ネイクーン王国の為にも、偏見を除いて猊下とお話頂きたい」



式が終わったのか、建物の中から参列者の拍手と歓声が上がった。


つられてカウティスは、そちらの方を見る。

満面の笑みの三組の男女の向こうで、イスタークは柔らかく微笑んでいた。





式が終わり、このままここで休憩をと、町長や町民がお茶や食事を運んで来たので、カウティス達は中で話をすることにした。


挨拶を交わす時、イスタークはちらりとハルミアンを見たが、特に反応はなかった。



「聖堂の建設地の選定ですが、もう少し南へ下った辺りが良いのではないかと考えています」

儀式用の祭服を脱ぎ、白いローブを羽織りながら、イスタークが言った。

「ここより南? 北寄りではなく?」


セルフィーネの光が発現し、月光神が奇跡を起こした場所は拠点の近くで、アスクルの町よりも北に位置する。

聖堂を建てるというのなら、きっとその辺りだろうとカウティス達は予想していた。

だからこそ、復興作業の妨げになると思っていたのだ。


「ええ。カウティス王子には見えないでしょうが、今や月光神の御力はベリウム川に沿って随分広がっています。拠点から少々離れても問題ありません」

イスタークはローブの袖と、金の珠を下げた細い革紐を丁寧に整える。

「南寄りの土地は国の直轄地だと聞きましたから、領地収益の問題もなく、利益はネイクーン王国に直接もたらされます。南部にも近いので、復興に注力している西部の力を出来るだけかず、南部から労働力を得る事も可能でしょう」


カウティスは混乱し、戸惑った。

エンバーから聞いた話にも戸惑いを感じたが、今のイスタークの提案は、ネイクーン王国の人間、特に西部の状況をおもんばかって考えられたもののように感じる。


「……猊下は、神の為に聖堂建築を推し進めようとされていたのではないのですか」

いぶかしげに聞くカウティスに、イスタークは軽く頷く。

「勿論そうです。神の御力を大陸中に深く広く広めることが、私の役割です。ひいてはそれが、この世界に住まう者の為になるのですから。聖堂建築もその手段ですよ。ですから、その手段の為に西部の人々に負担を掛け過ぎるのは、本末転倒なのです」



話を切ったイスタークが、カウティスの顔を見て、小さく笑う。

「カウティス王子、心の声が表情に出ておりますよ」

戸惑いや困惑が、大いに現れていたのだろう。

カウティスは思わず口元を押さえ、目を逸らした。


楽しそうに笑ってから、イスタークは小さく息を吐いた。

「旧知の者を連れて来て、私を動揺させるつもりなのかと思いましたが、カウティス王子はそのような小賢しい事を考える方ではありませんでしたね」


イスタークはハルミアンを見て、ほんの一瞬だけ目を細めた。

しかし、すぐに表情を改め、カウティスを射るように見つめる。


「……カウティス王子は真っ直ぐで、とても正直です。ですが貴方は、水の精霊に心寄せるあまり、最初から、我等聖職者を色眼鏡で見ておられる」

カウティスは息を呑む。

反論したくても、開けた口からは何の言葉も出ない。



「本当に何かを成したいと願うなら、偏見に流されず、全ての可能性を公平に吟味なさるべきです」

イスタークの言葉には尊大さやあざけりはなく、未熟な者を諭すような、年長者の響きがあった。






ネイクーン南西の街に、三国の代表官吏が無事揃った事が報告されたのは、四日の夕の鐘が鳴った後だった。

これで予定通り、明日三国の会談が行われる。



王太子エルノートは、魔術士の通信で報告された内容に眉を寄せた。

「ザクバラ国の宰相が、リィドウォル卿だと? 文官枠での参席ではなく?」


報告を持って来た魔術師長ミルガンは、白いモジャモジャの白い髪を揺らして頷く。

「はい。どうやら先日の政変で、高官は殆ど入れ替わったようです」


政変の知らせを聞いた時から、リィドウォル卿はどうなったのかと気にはなっていた。

しかし、こうなってくると、政変の首謀者は、彼だったのかもしれないという考えがよぎる。


そして、政変からまだ日が浅く、事後処理で多忙であろうこの時期に彼が自ら出向いてくることに、エルノートは薄ら寒いものを感じた。




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