フォーラス王国の研究者

風の季節後期月、四週二日。


フルブレスカ魔法皇国で、皇帝の葬送の式典が行われるこの日、しくも多くの地域では早朝から雨が降り始めた。




ネイクーン王城の前庭から、雨具を纏った騎馬の一団が大門を出て行く。

宰相セシウムを代表とする、文官と魔術士、騎士からなる一団だ。


水の精霊の三国共有を前に、三国での協約をまとめる為、フルデルデ女王の提言で各国の代表官吏が集うこととなった。

日は三日後の四週五日。

場所は、南部エスクト領の隣の領地で、ネイクーン王国の南西で三国が交わる地点に近い街だった。




雨脚の強くなってきた音につられ、王の執務室の続き間で、エルノートが手元から目線を上げた。

窓の外が白く見える程の土砂降りだ。

今日出発したセシウム達は、難儀するだろう。

彼等の無事を祈ったところで、ちょうどメイマナの来室を告げられて、エルノートはそのままペンを置いた。



ネイクーン仕様の紺色のドレスを着たメイマナの後ろに、侍女のハルタがワゴンを押して続く。

ワゴンにはお茶の他に、一口で食べられるサンドイッチや、果物が乗せられていた。


「昼食に頂いた果物が、とても瑞々みずみずしく美味しかったのです。エルノート様もいかがかと思いまして」

メイマナが柔らかく微笑んで、小皿に果物をいくつか乗せる。

お茶を注ぐのも茶菓を皿に乗せるのも、普通は侍女や侍従が行うのだが、二人でお茶をする時、エルノートに渡す皿には決まってメイマナが手づから乗せた。

どうぞと差し出された皿を受け取り、一つだけ口にすると、エルノートは皿を置いてしまった。


メイマナはエルノートの顔色をうかがう。

以前メイマナと約束してから、彼はある程度意識して食事を摂る努力をしてくれているのだが、今日は朝も昼も、殆ど食べなかったと聞いた。

具合が悪いのだろうか。



「皇国でも、今日は降っているのだろうか」

「そうですね。北の国境の方まで雨だそうですから、あちらも今日は降っているのかもしれません。……陛下がご心配ですか?」

葬送の式典前後には、新皇帝への忠誠を示す、誓約文書制作が行われる予想がされていた。

おそらくはその為に、王、又は王太子の参席を厳命したのだ。

フルデルデ王国からは、王太子が身重の為、メイマナの母である女王が参席しているはずだ。


「いや、さすがに葬祭期間に何かあるとは思っていない。皇国で何かあるなら、喪が明けて以降のことだろう」

「では本日、お心を重くする何かがございましたか?」

エルノートが視線を上げれば、つぶらな美しい錆茶色の瞳に、気遣うような気配がある。

エルノートはその瞳を見て、自嘲気味に小さく笑った。


不意に彼は立ち上がる。

メイマナが不思議に思うと同時に、当然のようにメイマナの隣に腰を下ろし、右腕で彼女の肩を抱いた。

自然と凭れたメイマナの頭が、エルノートの鎖骨に触れる。

侍女と侍従達は急いで顔を反らした。


「……エルノート様?」

メイマナはそっと呼び掛ける。

心臓が忙しく動き始め、胸が苦しい。

こんなに密着していて、この早い鼓動が、伝わってしまわないだろうかと心配になった。


「……それ程長い期間ではないが、亡くなった皇帝は義父であった」


メイマナは小さく息を呑む。

今こうして寄り添っているが、そういえば彼は、季節二つ前までは皇女を妻としていた。

「私の何を気に入ったのか、皇国にいる間、よく気にかけて下さった。本来なら、私が葬送の式典に参席すべきだったが……」


――――あの国にはフェリシア皇女がいる。


葬送の式典に参席すれば、必ず顔を合わせることになる。

諸々の事情を考慮して、父王はエルノートを行かせなかったのだろう。

皇帝を悼む気持ちと、出来るだけ思考から消していたフェリシアの姿を思い出し、昨夜は久しぶりに眠れなかった。

いや、眠れば悪夢を見そうで、怖気付おじけづいて起きていたのだ。



エルノートは、メイマナの肩を抱く右腕に力を込める。

「……すまない」

「何を謝られますか」

メイマナは彼の左手を取って、両手で包む。

「お側におります」

メイマナの柔らかい温もりに、強張っていた心が解ける。

エルノートは、緩く編んだ彼女の髪に口付けた。





西部の拠点では、カウティスとラードが、雨具を被って建物の中に入ってきた。


兵舎へ用があって、ちょっと外に出ただけなのに、あっという間に濡れそぼってしまった。

ラードと二人で雨用のローブを脱ぐと、足元に小さな水溜りが出来そうだった。


拭く物を、とマルクが用意しようとすると、椅子に座っていたセルフィーネがスイと指を引いた。

「おわっ!?」

ラードの驚きの声と共に、二人の身体が乾く。

カウティスにはお馴染みの感覚だが、ラードは初めてだったので、身体が僅かに引かれた瞬間、相当驚いたようだった。

「ありがとう、セルフィーネ」

カウティスはラードの反応を笑いながら言った。

セルフィーネは、柔らかな微笑みを返す。


ラードも礼を述べようとセルフィーネの方を見て、彼女の向かい側に、不貞腐ふてくされたような顔で頬杖をつくハルミアンに気付いた。

「何だ、お前はまだへそ曲げてるのか」

呆れたように言われて、ハルミアンは片眉を上げた。

「別にへそ曲げたりしてない。今日は久しぶりに現場に行こうと思ってたのに、この雨じゃ行けないからがっかりしてただけ」

さすがに、今日の天気では、屋外の作業はできない。




二日前に、修繕中の神殿でイスターク司教と話してから、ハルミアンは元気がない。

あの後、イスタークは町人で診なければならない者がいるとかで、すぐに神殿を出て行ってしまった。

空が暗くなる前に拠点に帰るつもりだったので、カウティス達は、そのまま拠点へ戻ったのだった。


元々、イスタークに挨拶をするだけのつもりだったので、カウティスの目的は達したのだが、ハルミアンの様子がこれなので気になる。

本人は知ってか知らずか、窓の外を見て溜め息をついた。



音もなくセルフィーネが立ち上がり、ハルミアンの側に行くと、彼の頭に手をやる。

時々ハルミアンが彼女にするように、彼の短いくすんだ金髪を指でいた。

「ハルミアンは、何が悲しいのだ?」

セルフィーネの瞳には、労る気持ちが溢れている。

椅子から見上げて目を瞬くハルミアンは、僅かに情けなく顔を歪めた。

「悲しくなんか……」

言いかけて、綺麗な顔を更に歪める。

「…………僕、悲しいのかな?」


「なんだそりゃ」

ラードが呆れたように眉を上げて、部屋の隅に置かれた机に向かった。

昼食の時から置いたままだった魔術具の水筒を手に取り、少し微温ぬるくなったお茶をカップに注ぐ。

「もやもやしてるなら、聞いてやる。話してみろよ」

言って、ハルミアンの前にカップを置いた。


ハルミアンは、セルフィーネと、カウティス達の顔を見回す。


二日前から、何も聞かずに様子を見てくれていたのであろう彼等の気遣いに気付き、小さく溜め息をついた。

「何なのかなぁ、君達は」

両手で包んだカップは、ほんのりと温かい。



「……二十年以上前の話だよ」

ハルミアンはカップに視線を落としたまま、ゆっくりと話し始めた。

「僕はフォーラス王国の“考究の森”で、建築学について一人で研究していた。……イスタークはその頃、中央の魔術士の一員でね、ある時、一人で僕を訪ねて来たんだ」





フォーラス王国は、大陸の北に位置する魔術国だ。

他国に比べて、有する魔術士の数は圧倒的に多い。

魔術士達は、国の防衛に関わる魔術士団か、魔術研究や民の生活に関わる魔術士館のどちらかに属する。


イスタークは、魔術士館に席を置く魔術研究者だった。

彼の研究は、建物の構造などによって、魔術具を使わずに自然から魔力を集める、“魔力集結”がテーマで、魔術や魔術具を研究するのが花形の魔術研究者の中では、かなり薄い存在だった。


建築学を研究するエルフの存在を知り、イスタークは是非とも共同研究を、と突然ハルミアンを訪ねてきた。



「僕は個人的に人間と関わるつもりはなかった。それでなくても、砦の強化の為に、国からの要請で魔術士団に協力しないといけなくて、うんざりしていた頃だったし。だから全然相手にしなかったんだ。でも、イスタークはそんなこと全く気にしてないみたいで、飽きもせず毎日毎日僕を訪ねて来た」

ハルミアンはカップを軽く揺らす。

昔の風景がそこに映っているように、一瞬懐かしそうに目を細めた。



ある時、イスタークが置いて帰った資料を何気なく見てみると、その情報量の多さに驚いた。

使い魔を使って見て回るハルミアンと違って、彼は実際に足を運び、細かく丁寧に時間を掛けて調べて纏めてある。

その研究姿勢に素直に感心して、次の日にそう言うと、彼はこれ以上ないというように嬉しそうにした。

そして、ハルミアンの話も是非聞かせて欲しいと言う。

ハルミアンが研究について話し始めると、その熱の籠もりように、他のエルフ達は引いてしまうのだが、イスタークは目を輝かせて次々に話を引き出していく。



「気が付くと二人で一晩語り明かしてて、すっかり意気投合してさ。一緒に研究室を借りて、共同研究を始めた。人間にもこんなのがいるんだなぁって、見直したりしてさ。……でも、僕が一月程出掛けている間に、状況はすっかり変わってしまったんだ」

ハルミアンは水面から目線を上げないで言った。



その頃、国境付近に他国仕様の新しい建物が建つと聞き、ハルミアンは使い魔でなく、実際に見に行ってみることにした。

イスタークの影響だったのかもしれない。

一緒にどうかと誘ったが、ちょうど彼は魔術士館の公務が入っていて行けなかった。


一ヶ月程経って、この成果を元に、どう研究を進めていくか考えながら帰って来たハルミアンを待っていたのは、オルセールス神聖王国の管理官を二人連れたイスタークだった。




「イスタークは、神聖力を得たから魔術士館から……フォーラス王国から除籍して、オルセールス神聖王国に籍を移すことになったと言ったんだ。そして次の日に、研究資料を全部燃やして、彼は国を出て行った」

ハルミアンはようやくカップから顔を上げ、皮肉めいた顔で笑った。



「彼は全部捨てて行ったのさ。国も、魔術士であることも、研究も。……そして、友人ぼくもね」




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