エルフと司教

翌日、カウティスはラードとハルミアンを連れ、拠点を出て街道を北に進む。


途中、堤防建造の現場や資材置き場を視察し、イサイ村へ入る。

どこもそれぞれの代表者や魔術士達が上手くまとめていて、この半月程の間に大きな問題が起こるようなことはなかったようだ。


ただ、どこへ行っても、年明け以降の不安や疑問は投げ掛けられる。

カウティスは、それぞれに真摯に対応しながらも、ネイクーン王国には、やはり水の精霊は必要だと感じた。

実質的な働きだけでなく、水の精霊が護る国であるという意識が、精霊や神の存在を民に近付けていた。


セルフィーネの慈愛の心は、ほんの少しずつでも、ネイクーン王国の民の心に根付いている。





イサイ村を出て街道を東へ折れ、西部で一番大きなオルセールス神殿へ向かう。

報告では、イスターク司教は今週の始めにその神殿に入っているはずだ。


しかし、カウティス達が神殿に到着すると、出迎えたのは別の司祭だった。

西部の別の神殿から移動してきたという司祭は、カウティス達に丁寧に挨拶をした後、申し訳無さそうに司教の不在を告げた。



「修繕中の神殿へ?」

「はい。殆ど修繕は終えておりますが、小さな町ですし、まだ近隣は復興途中で、猊下を駐在させるわけにはいかぬと皆で説得したのですが……。まずは視察だけだと仰って」

司祭の後ろにいる神官達も、何やら困った様子だ。


イスタークは、この司祭が神殿に入ると入れ替わるようにして、聖騎士エンバーを連れて出ていったらしい。

修繕中の神殿とは、拠点から南へ行ったところにある神殿のことのようだ。

あまり離れていない位置に、メイマナ王女が慰問で訪れた、アスクルの町がある。


 

「早速、聖堂を建てる場所を選考し始めたのでしょうか」

司祭達と別れた後、ラードが言った。

「どうだろう。聖堂を建てるなら、神の奇跡が起きた拠点の近くを指定するかと思っていたが……」

カウティスの言葉を聞いて、ハルミアンは首を傾げる。

「川の近くは地盤が弱いから、巨大な建築物には向きません。それこそ、ネイクーン王国の魔術知識が必要になるでしょうから、イスタークなら選ばないでしょう」


司教を呼び捨てしたハルミアンに、カウティスとラードは驚く。

「そういえば昨夜、司教と知り合いのようなことを言っていたが、一体どういう関係だ?」

昨夜ハルミアンがちらと見せた、小憎らしい物を見るような表情を思い出し、カウティスは彼をうかがう。

「フォーラス王国で、彼が魔術士だった頃を知っているんです」


間が空いて、ハルミアンがそれ以上話す気がなさそうなことを察し、カウティス達は聞くのを止めて馬に乗った。





カウティス達は、来た道を戻り、拠点で休憩してから修繕中の神殿へ向かう。


午後の二の鐘が鳴る頃には、三人は神殿に着いた。

西部が浄化された際に、拠点まで押しかけてきた聖職者集団を送り込んだので、建物自体の修繕は殆ど終わっているようだった。

イスターク司教は祭壇の間にいるということで、神官に案内してもらう。



オルセールス神殿は、基本的に二つの建物が繋がっている造りだ。

必ず、東側が太陽神殿、西側が月光神殿である。

カウティス達は神官の案内で、東側の太陽神殿の磨かれた廊下を歩く。


最奥の祭壇の間は、扉を開け放たれていた。

イスタークの低く、のんびりと間延びした声が中から聞こえる。

「天井と壁の上部の明り取りを、僅かに内に傾けて取り付け直しましょう。陽光が自然と祭壇の中心に集まり、特別な魔術具がなくても祭壇の魔力量が上がります」

どうやら、修繕の仕上がりを見て、現地の神官と話しているようだ。


扉の側まで来ると、扉近くに待機していたエンバーが、カウティス達に気付いて立礼した。

「イスターク様、カウティス王子がお見えです」

エンバーの声に、祭壇の側で神官と話していたイスタークが振り向き、カウティスを認める。

光輪を背負った荘厳な太陽神の像が立つ祭壇を背に、やや目尻の下がった焦茶色の瞳を細めて微笑む。


しかし、次の瞬間、カウティスの後ろにいる者に気付き、彼の笑顔は掻き消えた。


ハルミアンは、皮肉めいた笑顔で、カウティスの後ろから一歩前に出た。

「全て捨てて行ったはずの君が、こんな所で魔力集結の講義を行っているとは、驚きだね」

「……ハルミアン」

低く名を呼ばれたハルミアンは、軽く肩を竦めた。

「司教就任おめでとう、と言うべきかな」

イスタークは、ハルミアンを見つめたまま、大きな瞳をゆっくり細めた。





セルフィーネは西部の上空にいた。


昨日から南部のエスクト地方では、大型の魔術陣が試験的に稼働された。

上手く稼働したようで、魔術陣を中心にした一帯の、砂漠化に繋がる地熱が抑えられている。

セルフィーネにとっては微々たるものだが、ネイクーン王国の魔術士達の努力と心を感じて、胸が温かくなった。


彼等の努力を嬉しく思う。

そして、自分はネイクーン王国が好きなのだと改めて思った。

これが愛着というものなのだろうか。


三国共有のものになったら、ネイクーン以外の二国にも、同じ様に感じられるようになると良い。

マレリィ妃の生国で、これからセイジェ王子が暮らすザクバラ国。

メイマナ王女の母国で、アナリナがいるフルデルデ王国。

どちらもネイクーン王国のように愛することができれば、この心が消えることは決してないだろう。


セルフィーネは胸に手を当てる。

ふと、手に触れたカウティスのマントを撫でた。



昨夜、セルフィーネはガラスの小瓶に姿を現し、寝台の枕元にいた。

横になったカウティスと、何でもないことをたくさん話した。

その内、トロトロと眠りに入るカウティスの話が、支離滅裂になるのをこっそりと笑って見ていた。

眠りについたカウティスの寝息を聞き、側にいる喜びを噛み締める。


それにしても、どうして小さくなっていて欲しいと言われたのだろう。

ハルミアンは、カウティスが『触れたいのを我慢している』と言った。


我慢しなくてもいいのに。

むしろ、抱きしめて欲しかった。

でも、カウティスの困ったような笑顔を見たら、それ以上言えずにガラスの小瓶に留まった。


今夜は抱きしめてくれるだろうか……。

セルフィーネはマントの端を、キュッと握った。





「精霊と竜人に続いて、エルフとは。カウティス王子は、よくよく人外に縁がある方だな」

イスタークは、カウティスとラードが神官と話しながら祭壇の間を出ていくのを、目で追いつつ言った。

祭壇の間は、イスタークとハルミアンの二人だけになった。

エンバーは扉の所で待機したままだ。



「それで? 君がここにいるのは、聖堂建築に携わりたいからなのかな?」

ハルミアンの興味が建築学にあるのを知っているようで、イスタークはそう言って笑う。

その顔はいつもの柔らかな表情に戻っていたが、視線は扉に向いたままだ。


「確かに、歴史的建造物にはすごく興味があるよ。……でも、まさか君が担当責任者だとはね」

「適任だろう?」

当たり前のように答えるイスタークに、ハルミアンは綺麗な顔立ちを歪める。

「聞いたよ。セルフィーネを……、水の精霊を聖職者として神殿に据えようとしたって? 精霊を聖職者とするって、何なの? 聖堂建築の話だって、強引に進めようとしてるって聞いた」


何も言わないイスタークを見つめ、ハルミアンに苛立ちが込み上げる。

「そうまでして、神殿で出世したいの!? ネイクーンの水の精霊を犠牲にしてまで!?」



思わぬことを聞いたというように、イスタークは驚いた顔をして、初めてハルミアンの目を見た。

「……出世? 精霊を犠牲?」

くっと、イスタークは首を折って笑った。

「はは、これだからエルフは……」


笑われて苛立ちをあらわにしたハルミアンに、イスタークは懐かしむような目を向けた。

「変わらないな、ハルミアン。君は、あの頃のままだ。どうせ、建築学にしか興味がないのだろう。そもそも『精霊を犠牲に』と言うが、“考究の森”のエルフは、今までどれ程精霊を使って魔法を研究してきたのかな」

「それは……」

ハルミアンは形の良い眉を寄せる。


「君がカウティス王子と水の精霊に入れ込むのは勝手だが、私に当たるのはお門違いだ。水の精霊を所有して、心無い扱いをしているのは竜人族だろう」

イスタークは軽く頭を振ると、歩き出す。

後頭で纏められた焦茶色の髪が、手を振るように揺れた。



「君との縁は、フォーラス王国を出た時に切れた。今更私の人生に口を出すな、ハルミアン」

背中越しに放たれた拒絶の言葉が刺さり、ハルミアンの胸は酷く痛んだ。






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